児童養護施設出身モデル・田中れいか「おてんばな7歳が3時間泣いた入所の日」
児童養護施設出身モデル・田中れいかさんに聞く「なりたい自分になる」 #1~小学生編~
2022.11.25
モデル:田中 れいか
きょうだいでも友だちでもない 「仲間」という存在
“親と暮らせない”という大きな共通点を持つ、仲間の存在も大きかったと田中さんは振り返ります。
施設では幼児から高校生までのさまざまな子どもたちが暮らしていて、異年齢交流が日常でした。
年上の子からはかわいがられ、抱っこをしてもらった記憶も。同学年も多かったので、気の合う子と遊んで過ごしました。
「わりとみんな仲がいい良好な関係性で、グラウンドでサッカーしたり、施設の部活動でバレーボールをしたり。公園で鬼ごっこや缶蹴りをして楽しく過ごした思い出があります。
上の子が下の子の面倒を見る、ということが日常的にある環境でした。だから私も年下の子の面倒を見ることが自然と身に付いていましたし、そのことで嫌な気持ちになるというのはまったくなかったです」
衣食住を共にする施設の仲間たち。きょうだいでも友だちでもない、不思議な関係でした。
「人によっては“家族”と表現する人もいますが、私は家族と思ったことはなくて。きょうだいと友だちの間くらいの感覚かな。
みんな何かしらの事情があって親と暮らせない。その感覚、ニュアンスは多くを語らなくても分かり合える仲間で、仲良くなると、家族の話を打ち明けることもありました」
「わたしを見てくれている」心が通った担当職員との手紙交換
小学3年から4年にかけては、施設の担当職員との印象的な交流もありました。
当時20代半ばだった女性の先生(田中さんが暮らしていた施設では、担当者を「先生」と呼んでいました)。
学校から帰って宿題を教えてもらい、日常生活を共に送っているうちに、だんだんと距離が縮んでいきました。
そして始まった先生とのお手紙交換。直接交換することもありましたが、先生が朝までいない日は、寝ている間に2段ベッドの枕元の壁に貼り付けてくれていました。
「お手紙がある!」
目覚めてすぐのわくわく感を、今でもよく覚えているそうです。
「小学生ですから、手紙の内容は『今日もありがとう』とか、たわいもない内容だったと思います。先生からは好きなキャラクターのイラストを兼ねたお手紙でした。
もらった手紙は大切にとっていて、並べてコレクションするほどでした。『わたしのことをちゃんと見てくれてる』という感覚が手紙を通して感じることができたと今は思います」
施設での共同生活に慣れてくると、自分の気持ちをあまり表出しないクセのようなものが自然と身に付いていきました。
「悪く考えれば周りを気にして生活している、と言われるかもしれませんが、良い面を考えると、気持ちを抑えすぎているというより、周りを見る力が養われた感覚です。周りを見ながら自分の気持ちを解消しているような感じはあったかなと思います」
子ども時代に施設で培(つちか)った「周りに目を配る力」が社会人となった今、大いに生かされていると感じるそうです。
「大人になってから気づきました。こういう(サポートする)役割が得意なのは、共同生活が長かったからだなって。リポーターの仕事でも、スタッフさんを見ながらどこに立ったらうれしいかなとか、インタビューしていて相手の言いたいことを察するとか、いろいろな場面で役立っています」
大好きなおばあちゃんちで味わった家庭の「大皿料理」
一時保護所での1ヵ月半は一度も両親と顔を合わせませんでしたが、2年生で児童養護施設に移って以降は母とは毎月1回外出し、父とは手紙のやり取りをしていました。
夏休みと冬休みは1週間ずつ、母と一緒に母の実家である新潟の祖母のもとへ遊びに行っていました。おばあちゃんちのテーブルいっぱいに並んだ大皿料理。「一人分」が決められた施設の食事とは違い、好きなものを好きなだけ食べられるスペシャルな食卓でした。
「お母さんは料理をしない人なんですけど、おばあちゃんはいっぱい料理をしてくれて。おばあちゃんには生活力が備わっているので、貴重な経験でした。
お正月だったらおせち料理やお雑煮を作ってくれましたし、笹団子を作ってくれた思い出もあります。おばあちゃんの料理を食べることを通して、安心や信頼をつかんだような気がしました」
「お母さんよりお母さんっぽく接してくれた」という祖母は、今でもずっと田中さんにとって大切な存在です。
7歳で親元を離れて児童養護施設へ。こうして過ぎていった激動の小学生時代。親元を離れ、心の葛藤を背負いながらも、姉や祖母、仲間、職員などたくさんの人たちと関わりながら過ごしました。
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次回は多感な思春期をどう乗り越えたのか。不登校や反抗、進学と大人への階段を上っていった中高生時代のリアルをお届けします。
取材・文/大楽 眞衣子
大楽 眞衣子
社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーに。3人の育児で培った生活者目線を活かし、現在は雑誌やWEBで子育てや女性の生き方に関わる社会派記事を執筆している。大学で児童学を専攻中で、保育士資格を取得。2歳差3兄弟の母。昆虫好き。イラストは三男による「ママ」 ●公式HP「my luck」
社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーに。3人の育児で培った生活者目線を活かし、現在は雑誌やWEBで子育てや女性の生き方に関わる社会派記事を執筆している。大学で児童学を専攻中で、保育士資格を取得。2歳差3兄弟の母。昆虫好き。イラストは三男による「ママ」 ●公式HP「my luck」
田中 れいか
親の離婚をきっかけに、7歳から18歳までの11年間世田谷区にある児童養護施設で暮らす。退所後、短期大学へ進学し保育士資格を取得。その後、モデルの道に。ミス・ユニバース2018茨城県大会準グランプリ・特別賞受賞。 モデル業のかたわら、自らの経験をもとに、親元を離れて暮らす「社会的養護」の子どもたちへの理解の輪を広げる講演活動や情報発信をしている。 2020年4月社会的養護専門情報サイト「たすけあい」を創設。同年12月より、児童養護施設や里親家庭から進学する子たちの受験費用をサポートする団体、一般社団法人ゆめさぽ代表理事に就任。 著書に『児童養護施設という私のおうち』(旬報社)がある。 ●田中れいか 公式ホームページ ●インスタグラム tanaka_reika ●ツイッター @tanaka_reika ●社会的養護専門情報サイト「たすけあい」 ●進学応援プロジェクト「ゆめさぽ」
親の離婚をきっかけに、7歳から18歳までの11年間世田谷区にある児童養護施設で暮らす。退所後、短期大学へ進学し保育士資格を取得。その後、モデルの道に。ミス・ユニバース2018茨城県大会準グランプリ・特別賞受賞。 モデル業のかたわら、自らの経験をもとに、親元を離れて暮らす「社会的養護」の子どもたちへの理解の輪を広げる講演活動や情報発信をしている。 2020年4月社会的養護専門情報サイト「たすけあい」を創設。同年12月より、児童養護施設や里親家庭から進学する子たちの受験費用をサポートする団体、一般社団法人ゆめさぽ代表理事に就任。 著書に『児童養護施設という私のおうち』(旬報社)がある。 ●田中れいか 公式ホームページ ●インスタグラム tanaka_reika ●ツイッター @tanaka_reika ●社会的養護専門情報サイト「たすけあい」 ●進学応援プロジェクト「ゆめさぽ」