児童養護施設出身モデル・田中れいか「おてんばな7歳が3時間泣いた入所の日」

児童養護施設出身モデル・田中れいかさんに聞く「なりたい自分になる」 #1~小学生編~

モデル:田中 れいか

モデルとして、法人代表として、精力的に活躍する田中れいかさん。  写真提供:田中れいか

生い立ち関係なく、誰もがなりたい自分になれる社会をつくる──。

児童養護施設で育ったモデルの田中れいかさん(26)は、こう目標を掲げ、「社会的養護」の子どもたちへの理解の輪を広げる情報を発信しています。

YouTubeの人気動画は19万回再生を突破。2021年には初の著書『児童養護施設というわたしのおうち』(旬報社)を出版。彼女を突き動かす原動力を探ります。

※第1回(全4回)

田中れいかPROFILE
7歳から18歳までの11年間、東京都世田谷区の児童養護施設で暮らす。短期大学卒業後、モデルの道に。ミス・ユニバース2018茨城県大会準グランプリ・特別賞受賞。モデル業のかたわら、自らの経験をもとに、親元を離れて暮らす「社会的養護」の子どもたちへの理解の輪を広げる講演活動や情報発信をしている。

ミス・ユニバース2018茨城県大会準グランプリ・特別賞を受賞し、茨城県庁を表敬訪問したとき。  写真提供:田中れいか

父が怒鳴り姉と家を飛び出した夜……小学2年で入所

モデルやリポーターとして活躍する田中れいかさん(26)。7歳から高校卒業の18歳まで、東京都世田谷区の児童養護施設で暮らしました。短大卒業後は「なりたい自分」を目指してモデルの道へ進んだ経歴の持ち主です。

現在はモデル業の傍(かたわ)ら、自らの経験をもとに、里親や児童養護施設など「社会的養護」のもとで暮らす子どもたちへの理解を広げる活動を展開。当事者目線の分かりやすい解説が人気を呼び、YouTubeチャンネル「たすけあいch」の人気動画は19万回再生(2022年11月現在)を突破しました。

2021年には体験談を混じえながら児童養護施設のリアルを伝えた初の著書『児童養護施設というわたしのおうち』(旬報社)を出版し、話題を呼んでいます。

多方面で輝きを放つ田中さんですが、親の離婚が原因となり、家を飛びだしたのは小学1年の終わりでした。

深夜にパジャマ姿で姉と交番に駆け込み一時保護所へ

「出ていけ!」

まだ小学1年だった3月2日の夜、洗い物で失敗した小学5年の姉を𠮟る父の大声が響きました。

「はっきりとは覚えていないんですけど、お姉ちゃんが率先して洗い物をしてたら、シンクのお水があふれて床やカーペットが水浸しになっちゃって。

帰ってきたお父さんがそれを見て『出ていけ!』と大声で怒鳴ったんです。いつもみたいに団地の廊下に出るのかなあ、と思ってお姉ちゃんに付いていったら、その日は本当に家を出たんです」(田中さん)

パジャマ姿で姉と向かった先は、交番でした。その時、時計の針は午前0時を回り日付は3月3日に。その後、家に戻ることはありませんでした。

両親のけんかが絶えず、母が家を出ていき離婚。母がいなくなってから、父は3つ年上の兄に手をあげ、姉妹を激しく怒鳴るようになりました。

こうした日々が続き、度重なる𠮟責に耐えかねての行動でした。小学生の姉妹は、自ら社会にSOSを求めたのです。

3時間泣き続けた児童養護施設への入所日

交番から児童相談所に移動し、併設の一時保護所で過ごしました。

逃げ出した夜から一時保護所で1ヵ月半、その間は一度も両親と顔を合わせることなく、大人に抗うこともなく、流されるままに過ごしたといいます。

一時保護所は子どもの避難所のような場所のため、ここにいる間は学校に通えません。このときの感情の記憶は「ほとんどない」という田中さん。揃いのジャージを着て、勉強や運動をして言われたとおりに過ごしました。

小学2年になった4月、姉と一緒に世田谷区(東京都)の児童養護施設「福音寮(ふくいんりょう)」へ。その後11年間、高校卒業まで「おうち」として暮らした施設です。

「7歳だったので、自分の状況もよく理解できていませんでした。一時保護所にいた当時の記憶は全くといっていいほどありません。『無』でした。

自分の気持ちをどう表現していいか分からない状態だったと思います」と当時を振り返ります。

おてんばだった少女が大人しく静かな子に一変。それほど、小さな心では抱えきれない気持ちを背負っていました。児童養護施設への入所日、田中さんは車から降りずにずっと泣いていたそうです。

「6年生になっていたお姉ちゃんは、状況を受け入れてすんなり施設に入ったらしいんですけど、当時私は2年生になるときで、状況を理解できなくって。

車から3時間ぐらい出てこないでずっと泣いてたって後から施設の先生に聞きました。それが生きるための唯一の抵抗であり、感情の表し方だったのかなぁと今は思います」

突然変わった環境。徐々に慣れていけたのは、職員の存在はもちろんですが、状況や感情を共有できる4つ年上のお姉ちゃんがいたから。

「お姉ちゃんの存在は大きかったです。お姉ちゃんが一緒だったから安心できました。もし1人だったら、もっと長い間、だんまりを決め込んでいたかもしれません」

姉は高校1年生のとき、自分の意思で施設を出ました。

小学2年のときに施設で行われた誕生日会。  写真提供:田中れいか
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