
登山家・田部井淳子の子育て 親に無断で高校中退した息子を立ち直らせた「第三の大人」のスゴさ
世界的登山家・田部井淳子の子育て【2/3】~高校中退の先~
2025.06.17
フリーライター:浜田 奈美
この逆質問に面食らい、教師が答えを探している間に、平野さんは「成人前の人間がタバコを吸うと、成人よりもずっと健康に悪い影響があるから」と説明を続け、ひとしきり話し終わると「じゃ、そういうことで。進也、帰るぞ」。
進也さんはあわてて背中を追いながら、平野さんの想定外の対応に、「すっげえな」と感動したといいます。
またあるときには、「学校にすごく苦手な先生がいて、その授業に出るのがめちゃくちゃ苦痛」とこぼす進也さんに、平野さんは、「じゃその授業だけ出なきゃいいじゃねえか」ときっぱり。
意外すぎる返答に、進也さんも「逆にビビりました」と苦笑します。
「親なら『我慢しなさい』って絶対言うじゃないですか。びっくりして『それってアリなの?』って聞いたら、均さんは『全然アリだろ』って(笑)。だから保健室の先生に理由を説明して、その時間だけ保健室で休ませてもらいました」
平野さん自身、学校からドロップアウトした経験のある、既存の考え方にとらわれない人でした。そのことが、幼少期から「田部井さんの息子」という視線に傷ついた進也さんの心を解放してくれたようです。
しかし人の心というものは一足飛びに変わるものではありません。
2000年に田部井さん(当時61歳)が進也さん(当時22歳)と出演したNHKのドキュメンタリー番組『親子で向き合うふたり旅』では、田部井さんに「ややギレ」の返答をする進也さんや、撮影の鬱陶しさにキレてダッシュで「戦線離脱」しようとする進也さんの姿が、映し出されました。
そして息子の突発的な行動に、あわてて取り乱す田部井さんの姿も、カメラはしっかりとらえていました。
さらに興味深いことに、親子で登山をするこの番組の中で、進也さんの「心の変化」も紹介されました。
何とか撮影に戻り、母と共に頂上にたどり着いた進也さんは、「お母さんが山に登る理由が分かる?」と聞かれ、「なんとなく」と答えました。
「一緒に登ったほうが分かると思って」と田部井さん。すると進也さんは「真面目に生きる。これから」と答えました。
そして2度目の高校生活を終える直前、進也さんは「大学に行ってみようと思う」と両親に告げました。
田部井さんは息子の成長を喜びつつ、「進也君にやりたいことがあって、行きたい大学があるなら、ぜひそうしなさい」と、静かに背中を押しました。
政伸さんが解説します。
「僕たち夫婦は、『アレをしなさい』とか『ここを目指しなさい』とか、押しつけるようなことは絶対にしませんでした。自分たちはたまたま登山が好きな夫婦だけれど、子どもたちは別の人間なんだから、彼らがやりたいと思うことを尊重しようと、決めていましたから」
進也さんは大学院へも進み、卒業後はスポーツ衣料メーカーに就職しました。社会人2年目からは、田部井さんが福島県猪苗代町で経営していた温泉ロッジの仕事も兼務しながら、忙しく働いていました。
しかし2011年3月11日、東日本大震災が起きました。
この災害が、田部井さんが晩年に心血を注ぎ、進也さんへと引き継いだプロジェクトの始まりでした。
取材・文/浜田 奈美
●「東北の高校生の富士登山」プロジェクト(一般社団法人田部井淳子基金主催)
田部井進也さんがプロジェクトリーダーを務める、東北の高校生と富士登山に挑むプロジェクト。福島県出身の田部井淳子さんが企画し、東日本大震災の翌年(2012年)からスタート。現在も全国からの寄付や支援を得て続いている。プロジェクトの詳細や寄付の宛先は一般社団法人田部井淳子基金の公式HPから。
・一般社団法人田部井淳子基金
https://junko-tabei.jp/fuji
田部井さんを知るおすすめの本


浜田 奈美
1969年、さいたま市出身。埼玉県立浦和第一女子高校を経て早稲田大学教育学部卒業ののち、1993年2月に朝日新聞に入社。 大阪運動部(現スポーツ部)を振り出しに、高知支局や大阪社会部、アエラ編集部、東京本社文化部などで記者として勤務。勤続30年を迎えた2023年3月に退社後、フリーライターとして活動。 2024年5月、国内では2例目となる“コミュニティー型”のこどもホスピス「うみとそらのおうち」(横浜市金沢区)に密着取材したノンフィクション『最後の花火』(朝日新聞出版)を刊行した。
1969年、さいたま市出身。埼玉県立浦和第一女子高校を経て早稲田大学教育学部卒業ののち、1993年2月に朝日新聞に入社。 大阪運動部(現スポーツ部)を振り出しに、高知支局や大阪社会部、アエラ編集部、東京本社文化部などで記者として勤務。勤続30年を迎えた2023年3月に退社後、フリーライターとして活動。 2024年5月、国内では2例目となる“コミュニティー型”のこどもホスピス「うみとそらのおうち」(横浜市金沢区)に密着取材したノンフィクション『最後の花火』(朝日新聞出版)を刊行した。