松尾依里佳さん「道なき道」の先にあった夢のステージと人生の転機

ヴァイオリニスト・松尾依里佳さん「私の“音育”」#2 ~学生から仕事・結婚・出産編~

京都大学で過ごした学生生活はとても充実していたと笑顔で語る松尾依里佳さん。  写真:小林岳夫
すべての画像を見る(全4枚)

プロのヴァイオリニストとしてステージへ立つ一方、タレントとしてクイズ番組に出演したり、情報番組のコメンテーターを務めたりと幅広く活躍されている松尾依里佳さん。京都大学在籍時は、学生と音楽家の仕事をこなしていましたが、現在では1児のママ。
音楽家になる夢を叶えた松尾さんの人生に結婚・出産はどのような影響を与えたのでしょうか。

キャンパスライフは“ESS”に“軽音サークル”と充実

ヴァイオリンのレッスンを1年休止し、見事に京都大学へ現役合格した松尾さん。晴れて京大生となり、学生生活はハードながらも楽しい日々だったと振り返ります。

「京都大学でおもしろい人たちと仲良くなる、というのは入学してからの目標の一つでした。ESS(English Speaking Society)という、英語でスピーチ・ディスカッション・ディベートに取り組むサークルでは英語で意見を情熱的にぶつけ合うおもしろそうな人たちを見つけたので、私も入部したんですよ。

彼らはいたってマジメに活動に取り組んでいたので、テンション高く『仲良くしてください!』と途中から入ってきた私は不審な目で見られていましたね(笑)。でもどうしても仲良くなりたかったので、私もマジメなのをアピールするために積極的にスピーチ文を書いたり、他大学とのディスカッションに参加したりしてしっかり引退まで活動しましたよ。ESSの仲間たちも私が音楽活動をしていることは知っていたので応援してくれて、結果的に今でも連絡を取る間柄です」

大学では授業以外にサークル活動へも積極的に取り組み、また『ヴァイオリンの小児科』と名高い工藤千博先生に師事しながらレッスンも再開したという松尾さん。学生時代の思い出を笑顔で語る様子からは、いかに楽しい学生生活を過ごしてきたかがうかがえます。

「充実していたけど、自分の好きなことしかしていなくて危なっかしい学生生活だったので、自分の子どもから同じようにしたいと言われたら、どうぞって言ってあげられるかな? って思っちゃいます(笑)」(松尾さん)。  写真提供:本人

京都大学から音楽家へ 異色の経歴ゆえの苦悩とは

そんな充実した学生生活を送っていた松尾さんですが、就活に関しては悩みが多かったといいます。

「入学するときに、周りが就活で内定をもらう頃には私も音楽の世界で“内定”をもらう、と目標を立てました。具体的にどうすればいいのか全然わからず、日々模索していましたね。

そこで、軽音サークルへ入部したんです。『なんでもやります!』と先輩たちに顔を売っていたところ、外部で音楽をやっている方と知り合い、その方からはプロのジャズギタリストをご紹介いただいて……ご縁の数珠つなぎで、3年生の冬にジャズバンドを従えてステージデビューすることが決まりました。

そのステージは私がやりたかったヴァイオリンをメインにしたものでした。実際はおじさまジャズメンたちをバックに自分がフロントで演奏するという形態で。自分が中心に立って音楽を表現するメインのコンサートは初めてでしたが、それが音楽家としてのスタートですね」

精力的にさまざまな活動を行っていたことが、人と人とのご縁をつないで仕事にもつながっていったという松尾さん。在学中にステージデビューを果たすと、そこから音楽家としての道が始まります。

「はじめは関西を中心にステージへ立ち、次第に東京・名古屋・博多などでコンサートツアーを行うようになったんですが、そこで壁にぶち当たることとなりました。ステージを重ねるにつれ、もっと自分をアップデートしていきたいけれど、成長が追いつかない。スタートを切ることも大変でしたが、続けることの難しさも感じるようになりました。

学業との両立も難しくなり、まずは大学をきちんと卒業してからにしようと思い、一度大学に戻ることにしたんです」

希望通り音楽家としての道を進み始めた松尾さんでしたが、理想と現実とのギャップに思い悩み、決して順風満帆とは言えませんでした。そんなとき、また転機が訪れます。

「卒業の目処が立った頃に偶然、ドラマ『のだめカンタービレ』のために結成される『のだめオーケストラ』のオーディションの話を耳にしました。新たに吸収できることがあるかもしれないと思ったのに加えて、原作の大ファンだったこともあり(笑)、応募したところ合格。いざ参加してみると、メンバーは現役音大生や音大出身者ばかり。

自分が京都大学だと言うと『変わってるね!』と声をかけてもらうこともよくありました。そこではじめて音大生の友達ができて、新しい世界に触れさせてもらった気がしましたね」

新たに出会った音大生の友人たちに就活について尋ねたところ、自分の知らない世界の話に松尾さんは衝撃を受けたといいます。

「音大では、OB・OGの先輩から紹介してもらった仕事で結果を残すことで次へとつなげていくそうなんです。私は総合大学なので音楽系の仕事を紹介してくれる先輩はいませんでしたし、衝撃でしたね。けもの道もない道、まさに“道なき道”だと当時は感じていました。

それまでの私はジャズなどジャンルをまたいだクロスオーバーな表現を模索してましたが、音大出身の友達と出会ったことであまり取り組んでこなかった分野にもチャレンジしてみようと思ったんです。例えば、作曲をする友達に影響を受けて自作のオリジナル曲を作り始めたりなど、やりたいことがどんどん見えてきましたね。

そして、大学卒業後はオリジナル曲を収めたCDアルバムをリリースしたり、さまざまなステージで演奏する機会に恵まれるようになりました」

次のページへ 母のように子育てできないことにモヤモヤした
12 件