「普通であってほしい」保護者の陥りがちな沼
そして不登校になっているお子さんの場合。不登校とは、子どもは疲れていて病気に近い状態ですから、まずは本人がホッとできる、「自分は存在していていいんだ」と思える、学校とはまた違う世界があるということを知らせてあげることが大事です。
「学校の授業に遅れてしまう」と心配される方もいらっしゃいますが、学校の授業を受けなくても、知識や考える力を身につけることはできますから大丈夫! それよりもせっかく時間があるのだから、本人が好きなことをやってほしいと思います。本人が好きなこと、やりたいことこそが、子どもたちを支えてくれますから。
保護者の陥りがちな沼というと、やはり「子どもには普通であってほしい」という想いです。親御さんはきっと「“低次の読み書き”ができて、一人前」という考え方の中で育ってきていらっしゃるのだと思います。また日本社会では「同じでいること」「和を乱さないこと」「こうあるのが常識」といった圧力が強く、そこから外れると白い目で見られるという怖さもあるのでしょう。
でも、じゃあ“普通”ってなんでしょう? 低次の読み書きができないことや不登校が足かせで、子どもさんが本来持っている魅力や面白さが発揮できないなんてもったいない! 10年後、20年後、子どもさんが「自分はこれができる!」とニコニコ笑顔で言えるようであってほしいですよね。そうであれば、“低次の読み書き”だけに囚われる必要はないのです。
子どもは何が好きなのか、どんなことが得意なのか。本人が醸し出しているはずですから、その芽を摘まないように親御さんは気を付けてほしいなと思います。
「突出した能力がない子どもはどうしたらいいですか?」
相談いただく保護者の方からはよく「突出した能力がない子どもはどうしたらいいですか?」と質問を受けます。しかし、何の能力もない子はいません! みんな、何かを持って生まれてきているのです。親がそれを見損ねてしまっているだけ。
“低次の読み書き”ができないことに囚われ、子どもを見つめる目に煙幕が張られてしまっているだけで、保護者の方とお話ししていると「ウチの子はお花が好きです」「お菓子を上手に作れます」といったエピソードはどんどん出てきます。忘れてしまっているだけなのです。
何でも、まんべんなくできる方は素晴らしいと思います。でも今、時代は本当に変わってきていて、何かに特化した能力を発揮できるというのも、大きく評価されるようになりました。
ディスレクシアは読み書きに困難さがありますが、それ以外のところで素晴らしい能力を発揮していることも多いです。私はそういった存在が、世の中に彩りを与えてくれていると思います。
【ディスレクシアの全ての人が活き活きと暮らせる社会を目指す団体「NPO法人エッジ」代表・藤堂栄子さんインタビューは全3回。第1回ではディスレクシアの基礎知識と現状について、続く第2回では「ディスレクシアの子どものために、親ができること」について伺いました。最後の第3回では、藤堂さんご自身の子育て体験とそこから得られた発見について伺います】
木下 千寿
福岡県出身。大学卒業後、情報誌の編集アシスタントを経てフリーとなる。各種インタビューを中心に、ドラマや映画、舞台などのエンターテイメント、ライフスタイルをテーマに広く執筆。趣味は舞台鑑賞。
福岡県出身。大学卒業後、情報誌の編集アシスタントを経てフリーとなる。各種インタビューを中心に、ドラマや映画、舞台などのエンターテイメント、ライフスタイルをテーマに広く執筆。趣味は舞台鑑賞。