ベストセラー『病院で死ぬということ』の医師が子育ても支援する理由とは?

子どもの居場所 ルポルタージュ #2‐2 東京都『ケアタウン小平』

ジャーナリスト:なかの かおり

ユニークなイラストが印象的な、『ケアタウン小平』の看板。  撮影:なかのかおり

ジャーナリスト・なかのかおりさんによる、“子どもの居場所”についてのルポルタージュ連載。1回目では、『ケアタウン小平』で行われている、月に1回のイベント「集まれ! こども広場」の様子をお伝えしました。2回目は、このイベントが誕生した理由について。  (全3回の2回目。1回目を読む

スタッフが娘さんと工夫を凝らして作ってきた氷カップ。  撮影:なかのかおり

その時間をたっぷり遊ぶことに意味がある

東京都小平市にある『ケアタウン小平』は、賃貸住宅やデイサービス、在宅医療の診療所、配食サービス事業者などが集まっている3階建てのコミュニティです。庭では、月に1回、親子が集うイベントがあります。

2022年6月末の土曜、猛暑日に開かれた「集まれ! こども広場」は、持ち寄った氷を溶かしたり、触ったりして楽しみ、お昼過ぎに解散しました。

その後、ケアタウンの子どもの図書スペースでは、スタッフの反省会が開かれました。NPO法人『あそび環境Museumアフタフ・ バーバン』のさとうりつこさん、ケアタウン小平を拠点に活動するNPOスタッフ、ボランティアのママが参加者です。

りつこさんは、大人向け、子ども向けにかかわらず「表現を引き出す表現者」として全国を飛びまわり、遊びのワークショップを開いています。

「当日にどういう遊びをするか、考えてはきますが、みんながどう感じて動くかは、そのときにならないとわかりません。その時間を、たっぷり遊ぶことが大事です。こちらのこども広場で遊ぶっていうのは、そういうことだと思っています。

この日もきれいな氷や、貼り出したくなるメッセージがたくさんあって、もう少し環境整理をして、達成感が得られるようにしたらいいかなと思ったけれど、子どもと大人がそれぞれの流れで楽しんでいましたね」(りつこさん)

凍らせただけで、おもしろいものができる。  撮影:なかのかおり

地域で支え合い生きる場 ケアタウンとは

さて、『ケアタウン小平』がどうやって生まれたか、お伝えしたいと思います。

子育て真っ最中のときには、考えにくいかもしれませんが、病気や介護、看取りは、自分自身や家族が、いつかは直面することです。

筆者は、新聞記者だった20年以上前、福島で終末期医療のテーマに出会い、地元のホスピスや在宅医療を取材しました。その際に、福島出身で東京にある『桜町病院』のホスピスに勤めていた山崎章郎さんに、取材をお願いしました。

山崎さんは外科医の経験から、30年前に著書『病院で死ぬということ』を発表。ベストセラーになり、映画化もされています。山崎さんはこの本で、「死を見つめることは、毎日をよりよく生きることだ」というメッセージを届けました。

その後、緩和ケア医に転身して、桜町病院のホスピスで働き、この『ケアタウン小平』を構想し、特定非営利活動法人『コミュニティケアリンク東京』を設立。NPOの理事長や診療所の院長として、2005年にスタートしたケアタウンで在宅医療にあたりました。2022年から院長を引き継ぎ、現在は山崎さん自身ががんの闘病をしながら、在宅医療に携わっています。

NPO法人『コミュニティケアリンク東京』は、 がんなどの終末期にある方や高齢者など、さまざまな困難に直面している人を支援し、安心して住み続けられる地域づくりを目指しています。

デイサービス、訪問看護、居宅介護支援を中心として8つの事業を実施。その他、子育てや教育に関する相談支援、地域のボランティア育成、医療や福祉に関する講演会、地域交流会などを企画してきました。

ケアタウン小平設立時に、父の遺産を活用し、活動の基盤となる土地の確保や建物の建設など、多方面でバックアップした長谷方人さんにも取材しました。『桜町病院』でホスピスコーディネーターを務めていた長谷さんは、山崎さんと話し合う中で、地域に貢献するために、子どもやいろいろな人が集える場にしたいと、子育て支援の事業もすることにしたと言います。

長谷さんが大のサッカー好きなので、庭にはフットサルのゴールを設置。コロナ禍で開放は休止していますが、子どもの図書コーナーがあるアトリエも作りました。

コロナ禍以前は、活用していた図書コーナーのあるアトリエ。こども広場の反省会はこちらで行いました。  撮影:なかのかおり

NPOの理事で子育て事業にあたる河邉貴子さんは、夫を『桜町病院』のホスピスで看取りました。河邉さんは幼児教育にたずさわった経験があり、主治医だった山崎さんに、「ケアタウンでボランティアをしませんか」と声をかけられ、参加することに。河邉さんは、こども広場はプロに入ってもらったほうがいいと考え、交流のあった『あそび環境Museumアフタフ・バーバン』に協力を依頼しました。

熊本地震で学んだこと

通称『アフタフ』のさとうりつこさんは、こども広場の始まりのころから関わっています。元は熊本で保育士をしていましたが、『アフタフ』を知り、上京して活動に加わるように。

『アフタフ』のワークショップは、やりとりが見せ場で、“かかわることで生まれる響き合い”を大事にしています。

「遊びで、その子の今が見えてくるんです。熊本地震のとき、被災地に遊びを届けたいと思い、折り紙を持って訪ねました。3つぐらい何か作って遊ぼうと思っていたら、みんな心がざわざわしていて。

1枚の折り紙を、100枚ぐらいに細かくちぎっている子がいたんです。これは展開できるなと思って、急遽、どれぐらい小さく破けるか大会にしました。

学校には、ケアの先生がつくけれど、そのケアの部屋に行くのが子どもたちにはハードルが高い。でも遊びは、ケアになります。

そのときはちぎったものを花火に見立て、みんなで投げました。そういうときに、『世界が明るくなりますように』とか、子どもが気を遣う発言をするんです」(りつこさん)

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