PTA革命を起こしたママ落語家の“PTA経験を宝”に変える方法

落語家・三遊亭あら馬さん「PTAの手引き」リアルエピソード編#5〜大改革の先にあった PTAの本質〜

落語家:三遊亭 あら馬

2人の子どもが小学生時代に9年間もPTAに携わった三遊亭あら馬さん。 写真:土居麻紀子
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「PTAに不満や不安が出てくる春の時期になりましたね」と笑うのは、2021年5月に二ツ目に昇進した、落語家の三遊亭あら馬さん。

高校生と中学生、ふたりの娘を育てるあら馬さんは、元女優で元アナウンサー、そして落語家で、PTA改革の為にPTA会長を累計3年務めたママです。

あら馬さんが目指したのは、みんなが楽しく参加できる、敷居の低いPTA。

あふれかえる書類のペーパレス化、無駄な活動や組織をバッサリ断捨離、会費の大幅減額まで成功……。7つの変革の末、刷新したPTAのなかで見つけたものとは。
※全6回の5回目(#1#2#3#4を読む)

やってみなくちゃわからない!

長女の小学校入学と同時に足を踏み入れることとなったPTA。あら馬さんが直面したのは、無駄が多くておかしなシステムだらけ、いう現実だったと話します。

「最初、広報部に入ったのですが、長年いる先輩ママが、『PCソフトのIllustratorと一眼レフカメラは買うのが必須です』と、高圧的に言ってきて。

私はITの知識があったので『そんなのなくても、Wordで作れますよ』と言い返ししました。PTA歴が長いほどマウントを取り、変なルールを押し付けて来る先輩ママがいる。これが、まずPTAが嫌われる理由のひとつですね。

また、当時の広報部は広報誌の賞レースに参加していたのですが『賞を獲って、何になるんですか?』と質問。1年目のペーペー役員からの反論ですから、話題になりましたね(笑)」(あら馬さん)

何の役にも立たない無駄なことはしたくないし、納得のいかないことをそのままにしておけない、という竹を割ったような性格のあら馬さん。

「広報部に所属した1年では、なかなかPTA組織を変えることはできなかった。『みんなが楽しめる、敷居の低いPTAに私が変えよう!』と決意したんです」(あら馬さん)

会長に就くことを3年前から宣言 いざ改革スタート!

「当時はまだ下の子が小さかったので、娘ふたりが小学校に入ってから本腰を入れようと思いました。

そこで、次年度から、PTA役員希望用紙の備考欄に『3年後、次女が入学したら会長をやるので、それまでくじで当てないでください』と書くことに。

そんなことを予言するママはこれまでいなかったので噂が広まり、私が会長になる年(2015年)には、全役員がほぼ友人で出揃うことになったんです」(あら馬さん)

宣言通り、そこから3年間会長を務めることになります。

「私のように、家庭の事情で活動できる期間が限られていたり、早めに計画を立てておきたい保護者もいると思ったんです。

ですからまずは①役職立候補制に取り組み、【年度登録】をしてもらうことに。この成果もあって、毎年もめていた互選会(※1)がうまく回るようになりました。

また、イベントを開催するだけの企画部を廃部にしたり、卒対(卒業対策委員)も廃止。学級の代表は学年の代表に絞って2名に縮小、各学年2名ずつ×6学年で12名体制にするなど、②運営のスリム化もはかりました」(あら馬さん)
※1「互選会」=PTA役員を決めるための会議

各役職で保護者の任命数を減らすことで、総体的な負担を一気に減らしたのです。

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