養老孟司が語る「じぶんの壁」 子どもと大人のはじめての養老学

「自分」ってなんだろう?

編集者:横川 浩子

6月4日は「虫の日」。解剖学者であり、昆虫の研究者でもある養老孟司さんが、日本記念日協会に働きかけ、制定されました。養老先生は昆虫の姿を通してどんなことを考えていたのでしょうか?

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虫の先生は解剖学者

「話せばわかる、なんてウソ!」と、累計450万部の大ベストセラー『バカの壁』で断言し、私たちの目と脳みそにまで貼りついていたウロコをぽろぽろ落としてくれた解剖学者の養老孟司さん。

養老先生はいつも読者のさまざまな思い込みに対し、補助線のようにスッとメスを入れ、もう一度自分の頭で考えることを促します。

撮影・伊藤弥寿彦

講演会と虫捕りで全国に足を運ぶ養老先生は、小中学校に招かれることも多く、授業を受けた子どもたちからはこんな感想がしばしば届きます。

「先生は虫のことだけでなく、医者をやっていてびっくりしました」

「先生がいると、虫がうじゃうじゃよってきました。先生の体には虫がよってくる液がぬってあるのかと思いました」

なんだか楽しそうな授業ですね。教室では主に虫の話、野外ではみんなで虫捕り。一緒に虫を見ていれば「年齢の壁」なんてなくなります。

子どもにどう接したらいいか分からないという大人には、この回答。

「山で虫捕りをさせておけば大丈夫です」

養老先生自身が子どもの頃から、虫を通して多くのことを学んだからこその助言でしょう。

養老先生が子どもだったとき

2022年6月4日「虫の日」に、養老先生が手がけたはじめての絵本『「じぶん」のはなし』が出版されました。

絵を担当した横山寛多さんが、子ども時代と現在の養老先生を描いたページがこちらです。

よこやまかんた・え(ようろうたけし・さく/『「じぶん」のはなし』より)

電子顕微鏡をのぞきこみながらピンセットを動かす先生は、虫の標本を作っているところでしょうか。その足元には養老家で17年間ともに暮らし、2年前に永眠した愛猫「まる」が……。

まるの姿をできるだけ生前の様子に近づけたいと、横山さんは何度も描き直してこの絵を完成させました。

『「じぶん」のはなし』 の下絵

この絵を見て養老先生は、自分が子どもだったころのことを話してくださいました。

「小学校1年生の時のことです。あるとき家の前の路地に犬のフンが落ちていて、そこに虫が来ていました。しゃがんでそれを見ていると、家から出てきた母親に『何してるの』と訊かれたのです。

仕方がないから『イヌのフン』と答えたら、『フーン』と言って行ってしまいました。

そこから離れて1時間くらい経ったのですが、虫がどうなったか気になったので、また戻ってフンを見ていると、ちょうど母親が帰ってきました。母親は、私がずっとフンを見ていたのだと思い込んだようです。

ふだんあまり口をきかない子だったこともあって、『この子は発達に問題があるのではないか』と心配され、次の日私は知能検査に連れていかれました。

子どものころから、小さな虫が元気よく動き回っているのを見ると、不思議で仕方がなかったんです。『何をしているのだろう』と思いました。いまでもそう思います。

のろのろしている虫でも、ちょっと触ったりすると、だしぬけに元気よく動き出したりします。『えっ』と驚くんですが、そこが面白いんですね。

そうやって虫に関心を持っているうちに、どういう虫がどういう場所にいるのかわかってきます。名前も覚えるようになって、クワガタムシとかカミキリムシとか、グループの名前がわかるようになったんです。

横山さんの絵を見ていると、その頃のことがひとりでに想い出されて、懐かしい気がします」

人間は、ハエ1匹さえ創りだせない

「虫をひたすら見ているだけで、さまざまな気付きがある」と養老先生は言います。「人間は、宇宙にロケットを飛ばせるようになっても、小さなハエ1匹さえ創りだせない」とも。

虫とはつまり、自然のこと。自然はまさにセンスオブワンダー、驚きに満ちた世界です。身体を使って自然の営みを感じれば、人の力の及ばない自然の偉大さを知り、想像力や他者への思いやりにも結び付くのではなかろうか、というわけです。

出前授業や保育園の理事長などで、長年にわたって子どもと関わる機会のあった先生は、80代半ばに達したいま改めて、子どものことが心配になってきたそうです。自然とかかわる機会がますます減ってきた子どもたちに、わたしたち大人ができることは何でしょうか?

よこやまかんた・え(ようろうたけし・さく/『「じぶん」のはなし』より)

自分の頭で考える

この絵本は、山に虫を探しにいく子どもたちのお話です。ガイドはもちろん、養老先生! 山に到着したら、ガイド役の先生も虫に夢中です。ときには朝から夜まで虫を見ていることもあると話す先生に、子どもたちからこんな質問が投げかけられます。

「先生はどうしてそんなに虫が好きなんですか?」

よこやまかんた・え(ようろうたけし・さく/『「じぶん」のはなし』より)

先生は、きっぱりとこう答えました。

「好きなことに、理由は必要ありません。好きなことがあるだけで幸せになります」

お昼のお弁当を食べ終えると、今度は先生がみんなに問いかけます。

「みんなのからだが大きくなるための材料は、なんだと思う?」

うーん……と考えて、自分が食べたものかな? と答えた子どもたちに、そうだねと先生はうなずき、こう続けました。

――たんぼも じぶん。 はたけも じぶん。やまも じぶん。 うみも じぶん。

よこやまかんた・え(ようろうたけし・さく/『「じぶん」のはなし』より)

「じぶん」は何からできているのでしょうか。

先生が入れた、1本のメス。

ここからみなさんは、どんなことを思い浮かべますか?

自然を感じることは、ぐるっとまわって自分自身を考えること。

絵本のページをめくりながら親子で一緒に考えたら、本を閉じて、ぜひ外へ! 自然の中で五感を発揮すれば、子どもたちはみずから、生きる力を身につけていくでしょう。

大人が子どもにできるのは、答えを与えることではなく、そこに至る機会や環境を用意することだけかもしれません。

『「じぶん」のはなし』 ようろうたけし・さく よこやまかんた・え
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よこかわ ひろこ

横川 浩子

Hiroko Yokokawa
編集者

絵本、童話、YA小説、ノンフィクション、翻訳文学、図鑑など、幅広い児童書を担当。展覧会構成と図録編集などにも携わる。アイコンのフクロウ原画は担当画家ミヒャエル・ゾーヴァ氏からのプレゼント。

絵本、童話、YA小説、ノンフィクション、翻訳文学、図鑑など、幅広い児童書を担当。展覧会構成と図録編集などにも携わる。アイコンのフクロウ原画は担当画家ミヒャエル・ゾーヴァ氏からのプレゼント。

ようろう たけし

Takeshi Yoro
解剖学者

1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入り、東京大学教授となる。退官後、東京大学名誉教授、北里大学教授、大正大学客員教授を歴任。京都国際マンガミュージアム名誉館長。著書に『からだの見方』(筑摩書房/サントリー学芸賞受賞)、『バカの壁』(新潮社/毎日出版文化賞特別賞受賞)ほか多数。子どもの頃からの虫好きで、現在も日本だけでなく世界各地へと採集に出かけ、標本を作って研究を続けている。10万点もの昆虫標本を所蔵。ライフワークはゾウムシの分類研究。

1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入り、東京大学教授となる。退官後、東京大学名誉教授、北里大学教授、大正大学客員教授を歴任。京都国際マンガミュージアム名誉館長。著書に『からだの見方』(筑摩書房/サントリー学芸賞受賞)、『バカの壁』(新潮社/毎日出版文化賞特別賞受賞)ほか多数。子どもの頃からの虫好きで、現在も日本だけでなく世界各地へと採集に出かけ、標本を作って研究を続けている。10万点もの昆虫標本を所蔵。ライフワークはゾウムシの分類研究。