「どうしたら戦争を終わらせられるの?」子どもに聞かれたらどうこたえますか。

生駒山上遊園地の飛行塔 子どもの遊具が「軍の監視台」になった悲しい歴史とは

作家:吉野 万理子

今、子どもに「戦争と平和」を伝えるには?

ロシアのウクライナ侵攻やパレスチナ問題に、大人も子どもも胸を痛めています。

「どうしたら戦争を終わらせられるの?」子どもからこんな問いかけがあったとき、みなさんならどう答えるでしょう。大人にとっても、子どもにとっても、難しい問いだと思います。

歴史という「流れ」から考えてみるのは一つのやりかたです。

奈良県の標高642メートルの生駒山の頂上には、子どもたちに戦前から愛される生駒山上遊園地があります。そこには現存する日本最古の遊具、飛行塔があります。飛行塔は、高い山のてっぺんから、日本を見つめてきました。飛行塔は、戦争、復興、という昭和・平成・令和という100年ちかい歴史を見つめてきたのです。

この飛行塔をモチーフに戦争と何なのか? どうしたら終わらせられるのか? を考え、『100年見つめてきました』という幼年童話を書き上げた作家、吉野万理子さんに「戦争と平和」を考えるメッセージをもらいました。

現存する最古の遊具、生駒山上遊園地の飛行塔(児童図書編集チーム提供)

わたしにとっても戦争は“はるか昔におきた出来事”だった

わたしが小学生時代を過ごしたのは、半世紀近く前の1970年代です。当時、自分にとって戦争は“はるか前に起きた遠い出来事”でした。それでも今考えれば、終戦からまだ30年ほどしかたっていなかったわけです。戦争を経験した人の話を聞いたり、本を読んだりする機会はとても多かった記憶があります。

特に印象深かったのは、小学高学年のときに読んだマンガ『はだしのゲン』でした。教室の本棚に置いてあって、授業以外の時間なら自由に読んでいいことになっていました。わたしは、他の時間にすればいいのに、なぜだかいつも給食の配膳を待つ間に読んで、食欲を失う毎日を過ごしていたのでした。

作家として、変わってきた意識

時が流れ、子どもに物語を届ける立場になりました。スポーツのお話、学校の教室のお話などさまざまなジャンルの作品を書きながら常に念頭にあったのは、わたしも戦争について、なんらかの形で今の子どもたちに伝えられないだろうか、ということでした。

もっとも戦争をめぐる意識はずいぶんと変わってきています。テレビで連日、目にする戦争の映像。一方で、遠ざかっていくかつての戦争。今の時代に、何をどのように子どもたちへ伝えたらいいのか、と悩む日々でした。

生駒山上遊園地の「飛行塔」との突然の“出会い”

そんな折、1つのきっかけがありました。ラジオドラマの脚本を書くための取材で、奈良県生駒市の生駒山へ行ったのです。

この取材の目的は2つありました。1つは、旅するチョウ・アサギマダラの飛来地である山上の風景を見ること、もう1つは、すでに取り壊された航空道場という戦跡の跡地を確認することでした。

取材当日、ケーブルカーで山頂に着いた直後、生駒山上遊園地の入り口でパネルに釘付けになりました。この遊園地の名物・飛行塔に関する説明文でした。「現存する日本最古の遊具である」と紹介されていたのです。

単に「日本最古」だったら、さほど驚かなかったかと思います。「現存する」というところがポイントでした。この飛行塔よりも前に造られた、“先輩”の遊具が実は全国にたくさんあったことを意味します。それらは戦争中に取り壊され、回収されたのです。この飛行塔だけが例外的に回収をまぬがれたのでした。

 そんな“数奇な人生”を描いていくことで、新しい視点の戦争童話を提案できるのではないか、と考え始めました。

生駒山上遊園地の飛行塔のパネル。「現存する日本最古の遊具」と紹介されています。(提供:吉野万理子氏)

子どもの遊具が「軍の監視台」になったという悲しい歴史

飛行塔について、もう少しくわしくご紹介しましょう。

生駒山上遊園地は1929年にオープンしました。そのときからシンボル的存在だったのが、飛行塔です。4つの飛行機がついていて、くるくる回りながら高く上がってまた降りてきます。設計したのは“大型遊戯機械の父”と呼ばれた土井万蔵氏。飛行塔は当時、人気のアトラクションで全国に15基あり、生駒山のものが16番目でした。

やがて太平洋戦争が始まり、日本は深刻な金属不足に陥りました。その結果、金属類回収令が発令され、全国の遊具が取り壊され、金属として回収されたのでした。しかし標高642メートルの生駒山山頂にある飛行塔は、軍の監視台として使われることになり、回収を免れたのです。もっとも、残されたのは塔の部分のみで、4基あった飛行機は撤去されました。

飛行塔は、そのような“被害”を受けただけでなく、戦争の“目撃者”でもありました。生駒の山上からは四方の景色がはるか彼方まで見渡せます。特に西側は大阪平野が一望でき、遠く淡路島まで視野に入ります。つまり飛行塔は、大阪大空襲を目のあたりにしていたわけです。

戦争によって変わっていく人と街を、飛行塔を通して物語に描いていこうと、飛行塔を主人公に童話『100年見つめてきました』執筆の準備を始めました。

焼夷弾の迫力に圧倒される

大阪には、戦争の資料館がいくつもありますが、そのなかで「ピースおおさか」を見学させていただきました。こちらの資料館には、大空襲の前後の写真や、被害に遭った市民の描いた絵が多数展示されています。

大阪大空襲は全部で8回行われました。最初は1945年3月13日から14日にかけてです。続いて6月から7月にかけて毎週のようにB29が来襲。最後の第8回目は、終戦前日の8月14日でした。主に使われたのは焼夷弾で、凄まじい数が投下され、数千メートルの高さまで煙が上ったこともあったそうです。

「ピースおおさか」には、実物大の焼夷弾や1トン爆弾が展示されており、その迫力に圧倒されました。また実際にくぐれる防空壕も用意されています。わたしの父方の親戚は大阪出身なので、このような防空壕に頻繁に逃げていたのだろうか、と思いを馳せました。

ピースおおさかに展示されている焼夷弾(提供:吉野万理子氏)

なぜ戦いたい人たちがいるのか、なぜ戦争は終わらないのか?

この童話には、空襲の被害を直接受ける人間は登場しません。代わりに、焼夷弾の炎で傷ついたタヌキと、爆弾の煙によって喉を傷めたカモメが出てきます。

ケガしたタヌキについては「ケガしたらしいよ」「死んだらしいよ」と、他の動物から伝え聞く形にするか、実際に傷ついたタヌキを登場させるか、迷いました。“痛み”の要素が強いと、子どもたちが読んでいてつらいのではないかと気になったからです。しかし、伝聞では、戦争の恐ろしさが伝わらない可能性もあります。それで、タヌキには飛行塔の前に現れてもらうことにしました。

タヌキの他にも、近所に住む少年をはじめ、ネコや鳥類、そしてチョウなど多くの生きものが登場しますが、もう1つ、無生物のキャラクターが出てきます。

飛行塔の“友人”となる航空灯台です。戦前は、夜間に飛ぶ航空機のために生駒山の位置を知らせていた実在の灯台でした。物語では、「軍の情報に強くて飛行塔にさまざまなニュースを教える」というキャラクターにしました。

なぜ戦いたい人たちがいるのか、なぜ戦争は終わらないのか……そういった事柄は、被害を受ける一般市民の側だけではなく、違う視点でも描いたほうが伝わりやすいと思ったからです。飛行塔と航空灯台は、時に語り合い、時に静かに黙って過ごし、やがて終戦の日を迎えます。

戦争の終結を願い、その後も平和を祈り続ける飛行塔

戦後、飛行塔は復活しました。新たに4基の飛行機が設置され、遊園地の他の遊具も整備されて、1946年に生駒山山上遊園地は営業再開しました。間もなく開業100年を迎えようとするなか、今もたくさんの人たちが飛行塔に乗って、山上からの絶景を楽しんでいます。

そんな飛行塔の“数奇な人生”を描いた物語は、4年の歳月を経て完成しました。それが、このたび上梓した『100年見つめてきました』です。川上和生さんのイラストが、とても温かく優しく、物語を包み込んでくれています。

書く段階では、戦争をテーマにした物語を、と気負いましたが、できあがった今はシンプルに、子どもたちに楽しんで読んでもらえたらと思っています。

執筆して、改めて気づきました。心置きなく遊ぶことのできる日常は、平和があってこそなのだ、と。飛行塔に乗れるのも、他のテーマパークに行けるのも、ゲームなどを満喫できるのも、平和だからなのです。子どもたちが、たくさんの選択肢に囲まれながら遊べる世の中であり続けてほしい、と願っています。

この童話を読むと、戦争の「痛み」とその後の平和の「ありがたさ」を感じる

新作童話『100年見つめてきました』は、吉野万理子さんの平和への願いからうまれました。

戦争は遠い世界の出来事ではありません。身近なところにその痕跡はあります。

関西圏に住んでいる子どもたちにとっては、生駒山上遊園地は身近な存在です。ぜひ行って楽しんで、そして飛行塔の悲劇とその後の復興を見つめてきたことを伝えてほしいと思います。

いま小学校や中学校では、地域教育が盛んです。自分の住んでいる地域の特色や地理、名産や歴史をリサーチし、問題点をみつけ解決策を考える授業が行われています。リサーチを通じて、戦争の痕跡を見つけることがあると思います。そのときに、その時代になにがあったのか、そして自分が聞いた、感じた戦争についての話を子どもたちに聞かせてほしいと思います。

戦争に関する資料館やニュースに足を運ぶこともできますが、戦争をテーマにした童話『100年見つめてきました』を読んで、親子で感想を伝えあうのも「平和教育」につながります。

最後に、この本を読んだ書店員さんや、司書さんたちからの感想を伝えます。

「被害者」「加害者」ではなく、「第三者視点」で描かれる戦争童話は、
子どもたちに客観的に戦争について考える力を与えてくれます。
──紀伊國屋書店横浜店 花田優子

「平和がいかに大切か。争いのない世の中がどれだけ尊いものか。稼働する最古の大型遊具が見つめた、戦前、戦中、戦後。その歩みをユニークな手法で伝えるやさしくてせつない物語。幅広い世代に手に取ってほしいです!」
──NetGalley先読み読者

「過去の過ちを繰り返したくない。記憶し学ぶことができるのが人間なのだから」
──公共図書館勤務 吉岡円

『100年見つめてきました』(吉野万理子 作/川上和生 絵)/講談社

『100年見つめてきました』
吉野万理子 作/川上和生 絵


朝日新聞で「世代を超えてつながる命の讃歌」と絶賛!

奈良県生駒市の生駒山上遊園地の遊具「飛行塔」が話す歴史ファンタジー!

標高642メートルの生駒山から見続けた昭和4年から戦時中、令和までの、歴史童話。

飛行塔は、子どもたちを空の世界へと誘う楽しい遊具として、昭和4年に生まれました。戦争中は、飛行塔部分をもぎとられ「金属回収」されてしまいます。明石空襲、大阪空襲を目の前で見て「戦争とは何か」を考え、その後、高度経済成長期の変わる日本を見届け、令和の子どもたちにあたたかい声をかけます。

長い年月の間、高い山のてっぺんから、いろんなものを見てきた、現存する最古の遊具である飛行塔のお話。

●巻末に、年表や語句説明もあり、「戦争を伝える」ためにもぜひご覧頂きたいです。

●発売前から書店員さん、司書さんから評判です!

よしの まりこ

吉野 万理子

Mariko Yoshino
作家

神奈川県出身。作家、脚本家。2005年、『秋の大三角』(新潮社)で第1回新潮エンターテインメント新人賞を受賞。児童書の作品に、『チームふたり』をはじめとする「チーム」シリーズ(学研プラス)や、『おはなしSDGs 陸の豊かさも守ろう 海をこえて虫フレンズ』、『おはなしサイエンス バイオミメティクス(生物模倣技術)マンボウ、空を飛ぶ』、『強制終了、いつか再起動』、『100年見つめてきました』(以上、講談社)、『5年1組ひみつだよ』(静山社)などがある。2012年『劇団6年2組』、2015年『ひみつの校庭』(ともに学研プラス)で、うつのみやこども賞を二度受賞。

神奈川県出身。作家、脚本家。2005年、『秋の大三角』(新潮社)で第1回新潮エンターテインメント新人賞を受賞。児童書の作品に、『チームふたり』をはじめとする「チーム」シリーズ(学研プラス)や、『おはなしSDGs 陸の豊かさも守ろう 海をこえて虫フレンズ』、『おはなしサイエンス バイオミメティクス(生物模倣技術)マンボウ、空を飛ぶ』、『強制終了、いつか再起動』、『100年見つめてきました』(以上、講談社)、『5年1組ひみつだよ』(静山社)などがある。2012年『劇団6年2組』、2015年『ひみつの校庭』(ともに学研プラス)で、うつのみやこども賞を二度受賞。