ことばの日・国語辞典のレジェンドが教える「辞書の見方が変わる」深い話

辞書はことばを映す“鏡” 辞書編集者・神永曉さんインタビュー#1

木下 千寿

5月18日は「ことばの日」。そこで、『美しい日本語101』『悩ましい国語辞典』の著者で、37年間ほぼ辞書編集一筋、国語辞典ファンの読者からは「レジェンド」と称される神永曉さんに、「ことば」にまつわる知識や、「辞書の見方が変わる」深い話をお聞きしました。

読者から「レジェンド」と称される辞書編集者・神永曉(かみながさとる)さん

元小学館辞書編集部編集長の神永曉さんは、37年の間、辞書編集に携わり、用例集100万を収録した日本最大規模の国語辞典『日本国語大辞典 第二版』をはじめ、さまざまな辞書を世に送り出してきました。

数多くのことばと触れ合う中で得た自身の経験を活かし、『辞書編集者が選ぶ 美しい日本語101』『悩ましい国語辞典』など著書を発表、講談社から刊行されたビジュアルずかん「日本のことばずかん」シリーズの監修などを通じ、ことばの面白さを多くの読者に伝え続けています。

辞書編集とはどのような仕事なのか? またそもそも、辞書とはどのような書物なのか? 神永さんの編集者人生を振り返りながら、辞書の魅力を探っていきます。

神永曉さん監修の『日本のことばずかん そら』より
名作に登場する「空にまつわる美しい日本語」に、写真や歌川広重や俵屋宗達などの絵を添えて紹介している

辞書編集者・神永曉さんインタビュー#1
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辞書編集者・神永曉さんインタビュー#2
辞書編集者・神永曉さんインタビュー#3

「辞書の編集者になりたい」なんてまったく思っていなかった

子どものころから本を読むのが大好きだった神永さん。中学生になってからは芥川龍之介を愛読し、彼の作品世界に魅了されると共に、芥川が使っていることば、“芥川語彙”に興味をもつようになり、自分もまねをして文章を書く際に使ってみたりしたそう。次いでその使用語彙をまねするようになった作家が、太宰治でした。

「私にことばの広がりをいちばん教えてくれたのは、芥川だったと思います。たとえば芥川は『なかんずく』ということばを『就中』と表記していたのですが、これに私は『なんて高尚でカッコいいんだ!』と感銘を受けました(笑)。また太宰は『ちょっと』の表記に、『鳥渡』を多用しているんですよ。

そんなふうに小説を読んでいて気になることばを見つけたら調べてみたり、新しく覚えたら自分でも使ってみたりする。そういうことは当時からよくやっていたなと思います」

文学好きが高じて、大学は文学部国文学科に進学。就職活動にあたっては「文芸書を作りたい」という想いから出版社を目指しますが、思うような結果は得られず、小学館関連会社の尚学図書に入社します。

「尚学図書は教科書や辞典を作る会社だったので、行き先は教科書か辞典の二択(笑)。上から『お前は辞書をやれ』と言われて、『日本国語大辞典』の編集部に配属されました。『日本国語大辞典』は小学館の刊行なのですが、当時、尚学図書には編集部の主立ったメンバーが残っていて、『日本国語大辞典』の改訂作業はここで行っていたんです。

私自身に『辞典をやりたい』という想いはまったくありませんでしたから、最初のころは会社に行くのがイヤでイヤで仕方ありませんでした」

日本のさまざまな文学作品で使われていることばを掘り起こす

「辞書の編集者は、辞書の“あ”から“ん”までのゲラ(ゲラ刷りの略。印刷物の校正をするための試し刷り)を、『今日は●●ということばから、▲▲ということばまでチェックする』と毎日ひたすら読んでいき、間違いや引っかかるところ、不備がないかを探していきます。

初校(最初の校正用のゲラ刷り)から、雑誌の場合は再校(初校戻しの修正を反映したゲラ刷り)、多くても三校くらいまでで校正は終わりですが、辞書の場合は五校、六校まで取って、ずっと校正し続けるんです。本当に終わりのない世界なんですよ。20代前半は、『俺は一生、こんなことをやるのか……』とかなり憂鬱になっていました(笑)」

しかしその地道な作業と向き合ううち、神永さんは少しずつ辞書編集の仕事に面白さを感じるようになっていきました。

「辞書に採録することばは、専門家の先生や研究者がさまざまな日本の文献から拾ってきます。辞書に載っている用例を通じて、自分が今まで読んできた本だけでなく、名前だけ知っていた本やまったく知らなかった本を目にする機会も増えました。なじみの薄かった古典文学に触れられて楽しかったですし、そこで実際に使われている言葉を掘り起こしていくという作業に興味をもち始め、『辞書とは面白い世界だな』と思うようになりました。

どんなことばにも生まれた背景があり、時代を経て使われるうちに意味が変わってくるものもあります。それはひとつの“歴史”として捉えられるなと。ことばの歴史を読み解いていくのは興味深いと感じたのです」

神永曉さん監修の『日本のことばずかん そら』より

変化し続けることばをどう記述し辞書に載せるかが辞書編集の仕事

入社して10年後の1990年からは、『日本国語大辞典 第二版』の改訂作業が本格的に始動。神永さんは編集者として携わることに。編集者人生の中で出会った二人の先生も、辞書編集という仕事を深く知るうえで非常に大きな存在だったと、神永さんは語ります。

「『日本国語大辞典 第二版』の編纂にあたっては古代から現代まで幅広く文献を当たり、用例を採集しました。

『日本国語大辞典』は松井簡治(まついかんじ)先生が著した『大日本国語辞典』を受け継いだ辞書で、簡治先生のお孫さんである松井栄一(まついしげかず)先生が初版、第二版の編集委員をされているのですが、松井先生は文献、とくに近代文学の中から用例を採取するという仕事をされておられたので、どのようなところで面白い、変わった意味の言葉を採取するのか、また日本語のことばの歴史など、ずいぶんいろいろと教わりました。

『三省堂国語辞典』の編者であった見坊豪紀(けんぼうひでとし)先生は、とくに現代日本語に強い先生でしたので、新聞や雑誌からどうやって新語を拾っていくのか、用例採取の仕方を教えていただきました」

神永さんが編集に携わった『日本国語大辞典 第二版』(小学館)は、コクリコ編集部のある講談社の図書室にも全巻そろっている

『日本国語大辞典 第二版』が刊行されたのは2000~2002年。長い歳月をかけて編纂された辞書で、現在は第三版に向けての改訂作業が進められています。

「辞書というのは、校了(校正終了)した時点から次の改訂が始まります。『ああすればよかった』『こうすればよかった』ということが本当にたくさんあり、訂正リストがどんどん溜まっていくのです。『この訂正を新しい辞書に反映できるのは、いつになるのだろう……』と気が遠くなってしまいますよ(笑)。

改訂サイクルは辞書によりまちまちですが、とくに『日本国語大辞典』のように収録語50万項目、100万用例という大型で専門性の高い国語辞典の場合は、時間を要するのです。

人が生きているかぎり、人が使うことばも変化し続けますから、それをどの時点で切り取り、どのように記述して辞書に載せるか。それが辞書編集者としての仕事だと思っています」

辞書というと、「正しい日本語が載っている」というイメージをもつ人も多いはず。しかし神永さんは、辞書編集者の考えはまた異なると言います。

辞書はひとつの手本であり世のことばの変遷を映すものでもある

「見坊先生が『辞書“かがみ”論』を提唱しておられるのですが、辞書はことばを映す“鏡”であると同時に、ことばを正す“鑑”でもあると。鏡の部分を重視するのであれば、辞書は言葉の諸相を記述するものであり、鑑だと考えるのなら、ことばの手本ともなるべき規範を記述するものということになります。

辞書というのは、常にこの2つの要素がせめぎ合っています。一般読者の方は辞書を“鑑”、ことばの手本として捉えている方が多いかなと思いますが、私たち辞書編集者としては“鏡”、世の中のことばの変化や動きを映し出す鏡として、辞書を作っています。

今の時代に即したことばと、その解説や用例が載っている書物。辞書をそんなふうに捉えていただければ、みなさんの辞書の見方も変わってくるかなと思います」

神永曉さんが監修した『日本のことばずかん そら』

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【神永曉さんPROFILE】
1956年、千葉県生まれ。1980年、小学館の関連会社尚学図書に入社。1993年、小学館に移籍。尚学図書に入社以来、37年間ほぼ辞書編集一筋の人生を送る。

担当した辞典は『日本国語大辞典 第二版』『現代国語例解辞典』『使い方のわかる類語例解辞典』『現代国語例会辞典』『美しい日本語の辞典』など多数。2017年2月に小学館を定年で退社後も、『日本国語大辞典 第三版』に向けての編纂作業に参画している。著書に『悩ましい国語辞典』『さらに悩ましい国語辞典』(単行本は時事通信社、文庫本は角川ソフィア文庫)、『辞書編集者が選ぶ 美しい日本語101』(時事通信社)、『微妙におかしな日本語』『辞書編集、三十七年』(いずれも草思社)などがある。

2014年にNPO法人「こども・ことば研究所」を「辞書引き学習」を考案した深谷圭助中部大学教授と共同設立。国語に限らず小学校の英語教育や支援教育も視野に入れて、「辞書引き学習」による子どもの語彙力アップを目指した教育活動を展開(http://kokolab.or.jp/)。

取材・文/木下千寿

きのした ちず

木下 千寿

ライター

福岡県出身。大学卒業後、情報誌の編集アシスタントを経てフリーとなる。各種インタビューを中心に、ドラマや映画、舞台などのエンターテイメント、ライフスタイルをテーマに広く執筆。趣味は舞台鑑賞。

福岡県出身。大学卒業後、情報誌の編集アシスタントを経てフリーとなる。各種インタビューを中心に、ドラマや映画、舞台などのエンターテイメント、ライフスタイルをテーマに広く執筆。趣味は舞台鑑賞。

かみなが さとる

神永 曉

Satoru Kaminaga
辞書編集者

1956年、千葉県生まれ。1980年、小学館の関連会社尚学図書に入社。1993年、小学館に移籍。尚学図書に入社以来、37年間ほぼ辞書編集一筋の人生を送る。 担当した辞典は『日本国語大辞典 第二版』『現代国語例解辞典』『使い方のわかる類語例解辞典』『現代国語例会辞典』『美しい日本語の辞典』など多数。2017年2月に小学館を定年で退社後も、『日本国語大辞典 第三版』に向けての編纂作業に参画している。著書に『悩ましい国語辞典』『さらに悩ましい国語辞典』(単行本は時事通信社、文庫本は角川ソフィア文庫)、『辞書編集者が選ぶ 美しい日本語101』(時事通信社)、『微妙におかしな日本語』『辞書編集、三十七年』(いずれも草思社)などがある。 2014年にNPO法人「こども・ことば研究所」を「辞書引き学習」を考案した深谷圭助中部大学教授と共同設立。国語に限らず小学校の英語教育や支援教育も視野に入れて、「辞書引き学習」による子どもの語彙力アップを目指した教育活動を展開(http://kokolab.or.jp/)。

1956年、千葉県生まれ。1980年、小学館の関連会社尚学図書に入社。1993年、小学館に移籍。尚学図書に入社以来、37年間ほぼ辞書編集一筋の人生を送る。 担当した辞典は『日本国語大辞典 第二版』『現代国語例解辞典』『使い方のわかる類語例解辞典』『現代国語例会辞典』『美しい日本語の辞典』など多数。2017年2月に小学館を定年で退社後も、『日本国語大辞典 第三版』に向けての編纂作業に参画している。著書に『悩ましい国語辞典』『さらに悩ましい国語辞典』(単行本は時事通信社、文庫本は角川ソフィア文庫)、『辞書編集者が選ぶ 美しい日本語101』(時事通信社)、『微妙におかしな日本語』『辞書編集、三十七年』(いずれも草思社)などがある。 2014年にNPO法人「こども・ことば研究所」を「辞書引き学習」を考案した深谷圭助中部大学教授と共同設立。国語に限らず小学校の英語教育や支援教育も視野に入れて、「辞書引き学習」による子どもの語彙力アップを目指した教育活動を展開(http://kokolab.or.jp/)。