2児の母・PTA会長 39歳で悲願の落語家の道へ 三遊亭あら馬

落語家・三遊亭あら馬さんインタビュー #1 2児の母、落語と出会う

落語家:三遊亭 あら馬

二ツ目に昇進した、三遊亭あら馬さん。  
撮影:土居麻紀子

落語家の三遊亭あら馬さんは、なんと39歳で三遊亭とん馬師匠に入門し、2021年5月には、一人前の落語家のスタートライン、二ツ目に昇進。また、2人のお子さんを育てながら、PTA活動にも積極的に参加しました。
夢を追い続けるあら馬さんに、これまでの人生を話していただきました。

撮影:土居麻紀子

第1回は、あら馬さんが落語と出会うまでの怒涛の人生と、PTAの仕事と両立しながら入門するまでです。

とにかく東京に行きたい! と思ったことが原点

――まずはこれまでの経歴を教えてください。あら馬さんのHPも拝見したのですが、かなり濃い人生ですね。

「私は鹿児島市出身で、鹿児島大学の工学部とアナウンススクールを掛け持ちしながら勉強していたのですが、結果は大惨敗。
とにかく東京に行きたかったので、東京のキー局だけしか受けなかったんです。今思えば無鉄砲でしたね(笑)。

その後、仕事も決まらないまま上京して、フリーペーパーを作っているコンサル会社に就職しました。
しかし、その会社の朝礼で、私が話すととにかくウケたんです。それで気をよくして“やっぱりアナウンサーになりたい”という気持ちがむくむくと(笑)。
それから、なんとか日本テレビ系列の事務所に入りました。最初は会社と掛け持ちしていたのですが、オーディションを受ける機会が増え、会社は辞めました。

でも、フリーアナウンサーとは名ばかりで、リポーターや再現VTRの仕事ぐらいしか来なくて。
その後、鹿児島で番組を持ったり、『進ぬ電波少年』の仕事をさせてもらったり、劇団に入って役者をやってみたりといろいろな経験をさせてもらいましたが、気づけば28歳。
当時は若くないと仕事がこない時代だったので、キッパリ引退しました。引退と言っても、世に出てもいなかったんですけど(笑)。

ちょうどそのとき、当時つきあっていた今の夫が、浜松に転勤するというので、それに着いて行くかたちで結婚しました。
その後、名古屋に引越し、子どもを2人出産。子育てをしていたら、パイロットの友達から『六本木で結婚式をするから司会をして欲しい』と頼まれたんです。華々しい世界に触れたことで、表に出たい欲がふつふつとまた湧きはじめました。

同じ頃に私の父が亡くなり、そのとき、以前、父が私に「東京にマンション買ってやる」と言ってくれていたことを思い出したんです。それで思い切って東京に家を建てることを決めて、子どもが小学校に上がる前に東京に引越しました。夫は名古屋に置きっぱなしで(笑)」

撮影:土居麻紀子

落語を始めたきっかけは幼稚園の保護者会

――とにかく決断力と行動力がすごいですね。

「やっぱり“私の生きる場所は東京だ”と思ったんですよね(笑)。
引越し先は、近隣の10区画すべてが新規の建売で、みなさん新しく引越してきた方ばかり。ママ友もできて楽しく過ごしていたのですが、長女の幼稚園の保護者会でなぜか緊張してしまい、上手く話せなかったんです。
でも他のお母さんたちは、まあ、話がお上手で。“こんなの私じゃない!”となり、所属していた事務所に相談したところ、話のトレーニングとして落語教室を紹介されました。

ただ、教室が19時からだったので、半分諦めていたところ、お隣のママに、何の気なしに“落語教室に通いたいんだけど、夜なんだよね”、という話をしたら、預かるよ~と言ってくれて。
そのお宅には大きい子も含めて、子どもが4人いたのですが、“4人も6人も同じだから~”と。ありがたかったですね。そして、その落語教室で教えていたのが、今の師匠である三遊亭とん馬でした。

そこには3年通ったのですが、お隣さんに毎週預かってもらうわけにはいかないので、託児所にも預けながら続けました。
ただ、当時は夜に預かってくれる託児所はほとんどなくて。子どもに後から聞いたら、ある託児所で叩かれたこともあったとのこと。
“私はダメ母?”と、自己嫌悪に陥って、何度もやめようと思いながらも、どうにかこうにか続けてしまいました。親としては失格だったと思います」

――そこまでしても通いたいほど、落語にのめり込んでいたんですね。

「もう落語が楽し過ぎて。落語家になりたいと思い、33歳のときに一度、『弟子入りさせてください』と師匠・とん馬にお願いしたのですが、『弟子は取ってない』と、断られてしまったんです。
でも、諦めたくなかったので、日曜の昼間に開いていた子連れでも行ける落語教室に通うことにしました。そこに2年通い、ますます落語の魅力にはまりましたね。
やっぱりプロの落語家になるのを諦めきれず、師匠・とん馬にもう一度お願いしたんです。
『弟子を取る気になりましたか?』と。
そうしたら、なんと『いいよ』って! 
5年越しの入門が叶い、そこから前座見習いが始まりました。

【落語の階級】
前座見習い…弟子入り後はまず前座見習いとして楽屋に入る前座になるため、着物のたたみ方、楽屋での過ごし方、太鼓の手などの修業をする。期間は師匠によって違う。

前座…寄席が始まる番組の前の高座に座ることから前座と呼ばれる。各協会で楽屋入り時期が決められ、期間も違うが、期間は大体3年から4年。

二ツ目…前座修業を終え、落語家としての名目で自由な活動が許されるのが二ツ目。(関西(上方落語)にはない階級)紋付きの着物と羽織を着られる。期間は大体10年間。

真打ち…弟子を取ることができる、修業を終えた一人前の落語家。その昔、蝋燭で明かりをとり、最後に蝋燭の芯を打って消したところから「真打ち」となる。

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