激増中のトコジラミ 約20年前まで日本では「幻の虫」だったってホント?〔専門家が解説〕

[ちょっとマニアな季節の生きもの]昆虫研究家・伊藤弥寿彦先生が見つけた生きもののふしぎ

昆虫研究家:伊藤 弥寿彦

「トコジラミ」と「ヒトジラミ」

トコジラミ ©PIXTA
最近よく「日本各地でトコジラミが激増中! 被害続出!」などというニュースを見たり聞いたりします。そもそもトコジラミってどんな虫? 一体どんなシラミなの? と思いますよね。私は50年くらいほぼ毎日、昆虫を見ていますけれど、生きたトコジラミをまだ一度も見たことがありません!(標本は見たことがあります)。

トコジラミは日本では2000年くらいまでは、「幻の虫」と言ってもよいくらい滅多に見ることのない昆虫だったのです。

トコジラミはカメムシのなかま!

そもそも「トコジラミ」には「シラミ」という名前がついていますが、本当のシラミとはまったく関係のない昆虫です。「トコジラミ」と「シラミ」はお互い「血を吸う」という共通の生態があるだけで、トコジラミは吸血性の「カメムシ」のなかまなのです。その証拠にトコジラミは独特のにおい(私は嗅いだことがありませんが、少し甘ったるいカビのようなにおいだといいます)を出し、中国語ではズバリ「臭虫」と書きます
カメムシのなかまは皆、針のような口を持っていて、それを食べ物に突き刺し、中の液体を吸って栄養をとります。大きく分けると植物の汁を吸う草食性のものと、他の虫などを襲って体液を吸う肉食性のものに分かれます。

トコジラミは肉食性のカメムシの中で、特に哺乳類や鳥類の血液を吸って生きるという進化をとげました(海外にはトコジラミの他にも人を含めた動物の血液を吸うサシガメのなかまがいます)。
トコジラミの成虫の大きさは4~5ミリほど。ヒト以外の動物、イヌやネコ、鳥などの血液も吸うようです。幼虫も成虫もオスもメスも血を吸います。はねが退化してなくなり、飛べないので自力で長距離移動することはできません。

しかし人が移動するときの荷物などにくっつくことで世界中に分布を広げました。日中は布団や家具のすき間、畳のふちなどにじっと身を潜めていて、夜暗くなると活動を始めます。そして寝ている人に取り付いて手足、首など露出したやわらかい皮膚に口を突き刺して血を吸います。

それが「床虱(トコジラミ)」と呼ばれるゆえんです。
トコジラミは、一度血を吸えば1年以上死なずにいられるといいます。実験室で1年半も血を吸わずに生きた記録があるそうです。寿命は温度によって変わりますが、成虫が1年以上生きることができるようです。

刺された後の症状は人によって違います。無症状の人もいるけれど、多くの場合、アレルギー症状を起こして赤い発疹ができ、夜も眠れぬほど痒いそうです。これはできれば刺されたくないですね。

「トコジラミ」という和名はよろしくない

トコジラミは日本では別名「ナンキンムシ(南京虫)」とも呼ばれてきました。「南京虫」の「南京」とは、江戸時代、海外(中国)から伝わってきた珍しいものに付けられる名だったそうです。私は個人的に「トコジラミ」という名前は誤解を生むので良くない和名だと思っています。

カメムシの仲間なのですから、それがわかるように「チスイカメムシ(あるいはチスイガメ」とか「ネドコノカメムシ」とか、せめて「トコジラミカメムシ」とするべきでしょう(注:生きものの名前は学名をむやみに変えることはできませんが和名にはその決まりはありません)。

本当のシラミとは?

では真の「シラミ」とはどんな昆虫なのか?

シラミは「カジリムシ目」に含まれる昆虫です(昔は「シラミ目」として独立していましたが、「チャタテムシ目」と「ハジラミ目」と同じグループだと考えられるようになり、最近では「カジリムシ目」とされています)。

シラミも動物の血液を吸って生きています。ただし針のような口で血を吸うカメムシ目の「トコジラミ(カメムシ)」と違って、シラミは「カジリムシ目」ですから、かじるタイプの口で皮膚に嚙みついて血を吸うのです(シラミも幼虫、成虫、オス、メスのすべてが吸血します)。
布にたからせたコロモジラミ
シラミ類は種類によって取り付く宿主がかなり厳密に決まっています。イノシシにはイノシシジラミ、サルにはサルジラミがつきます。人につくのはヒトジラミとケジラミです。

ヒトジラミは人の血しか吸いません。「ヒトジラミ」には、髪の毛について暮らす「アタマジラミ」と衣類について暮らす「コロモジラミ」がいます。元々裸だったヒトに寄生していたのはアタマジラミでしたが、ヒトが服を着るようになったことで、アタマジラミの一部が居場所を衣類に移して進化したものだと考えられています。
アタマジラミ ©PIXTA
アタマジラミとコロモジラミは外見はとてもよく似ていますが、生息環境(暮らす場所)が違うのです。別種とされることもありますが、アタマジラミとコロモジラミは交尾して子孫を残すことができ、遺伝子が混ざることがあることがわかっています。

もう1種、ヒトの血を吸うのが「ケジラミ」です。ケジラミはヒトジラミと別のグループ(属)のシラミで、頭髪以外の毛に取り付きます。研究によって非常に面白いことがわかっています。「ヒトジラミ」はチンパンジーにつく「チンパンジージラミ」から、「ケジラミ」はゴリラにつく「ゴリラジラミ」から分化した種類だというのです!
チンパンジー ©PIXTA
ヒトジラミは発疹チフスの病原体(細菌)などを媒介するので昔から恐れられてきました。でも上に書いた「トコジラミ(カメムシ)」と同じように、日本では1945年以後、徹底的に駆除されたので、少なくとも日本では相当珍しい昆虫になりました。シラミに関しても私は最近まで生きた姿を見たことがありませんでした。

ただアタマジラミは、毎年どこかの保育園や小学校などで発生して子どもの頭にわくようです。私はアタマジラミの写真を撮りたくて数年前から情報を集めているのですが、なかなか「よい知らせ」?が届きません(苦笑)。そんな中、今年(2023年)、ある研究所の協力で、コロモジラミの観察をさせていただく機会を得ました。せっかくですから献血(餌やり)もさせてもらいました。

コロモジラミに血を吸わせてみた

筆者の腕で血を吸うコロモジラミ
コロモジラミは小さなケースの中で、5センチ四方ほどの小さな布にたからせて飼われていました。シラミの大きさは2~3ミリほど。その布をピンセットで取りだして腕の上に置くと、体温を感じたシラミたちが一斉にワラワラと腕に移動して血を吸い始めます。

腕に神経を集中していると、ほんのかすかにチクッという刺された(咬まれた)感覚がありましたが、気にしなければほとんど気が付かないほどの刺激です。よく見ると白かった体が吸った血でみるみる黒っぽくなっていきます。しばらくするとお尻の先から粒を出しました。血の塊の糞のようです。
吸血中のコロモジラミ
拡大してよくみると、つぶらな眼をした愛嬌のある顔をしていて、だんだん愛おしくなってきました(笑)。お腹がいっぱいになると皮膚からポロリと離れます。刺された跡は腫れることもなくかゆみもありませんでした。実際にたくさんのシラミにたかられるのは嫌ですけれど、「トコジラミ(カメムシ)」と比べれば、本家「ヒトジラミ」のほうは咬まれても痒くならない?という点で、なかなかかわいい昆虫だと私は感じたのでした。
写真提供/伊藤弥寿彦
いとう やすひこ

伊藤 弥寿彦

Ito Yasuhiko
自然番組ディレクター・昆虫研究家

1963年東京都生まれ。学習院、ミネソタ州立大学(動物学)を経て、東海大学大学院で海洋生物を研究。20年以上にわたり自然番組ディレクター・昆虫研究家として世界中をめぐる。NHK「生きもの地球紀行」「ダーウィンが来た!」シリーズのほか、NHKスペシャル「明治神宮 不思議の森」「南極大紀行」MOVE「昆虫 新訂版」など作品多数。初代総理大臣・伊藤博文は曽祖父。

1963年東京都生まれ。学習院、ミネソタ州立大学(動物学)を経て、東海大学大学院で海洋生物を研究。20年以上にわたり自然番組ディレクター・昆虫研究家として世界中をめぐる。NHK「生きもの地球紀行」「ダーウィンが来た!」シリーズのほか、NHKスペシャル「明治神宮 不思議の森」「南極大紀行」MOVE「昆虫 新訂版」など作品多数。初代総理大臣・伊藤博文は曽祖父。