あの日、あの時、胸躍らせて目撃したのは何だったのか? 今回取り上げるのは「6月11日」(1971年)。
映画のロケ隊が倒れているのが発見される。それは、旧日本軍が開発した猛毒のイエローガスによるものだった。イエローガスの開発には、今は故人となっている岸田隊員の父親も参加していた。「岸田家の責任」をとる決意を胸に、岸田はイエローガスを吐いて暴れるモグネズンに、挑む。
毒ガスを吐く怪獣
すると、時代劇映画のロケ隊が死亡しているのが発見される。さらに、現場にはウサギの死骸もあった。MATはロケ隊のカメラを回収し、記録されていた映像を確認。すると、彼らは漂ってきた黄色い霧のようなものに苦しみ、死亡してしまったことがわかる。さらに、映像には怪獣の姿も記録されていた。
その後、地球防衛庁の佐竹参謀がやってくる。ロケ隊の死因は毒ガスだった。その毒ガスは、旧日本軍が開発したイエローガス弾という、呼吸器官に入ると10秒以内に死に至るという、非常に毒性の高いものだった。そのイエローガスという名前に、岸田は聞き覚えがあった。
イエローガスは使用命令が下る前に終戦を迎えたため、廃棄処分されたらしい。岸田は、軍人であった亡き父親の資料を調べ、父がイエローガスの開発に関わっていたことを知る。手記によると、岸田の父はイエローガスの開発に悩み苦しみ、使用されなかったことに安堵していた。
一方、映像に映っていた怪獣・モグネズンが山に出現。さらに、毒ガスを吐いて人間を襲いはじめた。モグネズンは岸田と郷の乗ったマットアロー1号の攻撃を受けて地中に逃げ込むが、イエローガスの入ったガス弾の弾体を吐き出していたことから、モグネズンはイエローガスを食べていたと判明した。