子どもの苦手克服法 STU48・峯吉愛梨沙が音痴を克服できたワケ
#1 アクターズスクール広島のボイストレーナー田中都和子先生に聞く!
2023.02.11
「会いに行けるアイドル」をコンセプトに、秋元康プロデュースにより誕生したAKB48。その姉妹グループとして2017年、国内で6番目、海外を入れると8番目に誕生したのが、瀬戸内を拠点に活動するSTU48です。※STUは、SETOUCHIの文字をとったもの。
STU48の1期生として活躍する峯吉愛梨沙(みねよしありさ)さんは、4歳からアクターズスクール広島でダンスレッスンを受け始め、6歳から歌のレッスンをスタート。スクール内のオーディションを受けては落ちていましたが、STU48のオーディションを自ら受け、合格します。当時の年齢は14歳でした。
選抜メンバーとして歌うことができたのは、さらに5年後の2022年。選抜メンバーになるまでに時間がかかったのは、なぜか。
それは……本人いわく「音痴だったから!」
ところが、歌の実力を競うイベント「AKBグループ歌唱力No.1決定戦」で決勝に残るまでに成長します。彼女は、どのようにして音痴を克服したのか? 「STU48の選抜メンバーに選ばれるまでの努力の軌跡」をお聞きしながら、そのナゾに迫ります。
「この娘の音痴をなおすのは、ムリだろう…」
峯吉さんがアクターズスクール広島に入ったのは、4歳のとき。人見知りで、積極性に欠ける子だった峯吉さんの性格を心配して、お母さんが入学を決めたと言います。
「初めは、自分がやりたいと思って入ったわけじゃなかったんです。でも、スクールに通い出したら、ダンスがめちゃくちゃ好きになりました。
小学生になってからは、歌のレッスンも始めました。ダンスでリズム感はあったし、自分では気持ちよく歌っていたつもりだったんですが、家に帰ってレッスンを録音したものを聞いたら、こりゃ、やばいなと自分で思うほど音痴だったんです……。ただ、歌っているときは、何がどう間違っているのか、私には全然わからなかったんですよね」(峯吉さん)
アクターズスクール広島で、峯吉愛梨沙さんの歌の指導担当だったのが、ボイストレーナーの田中都和子先生です。クラシックからポップス、ジャズまで、幅広く音楽の世界で活動してきた田中先生に、あらためて聞いてみました。
音痴というのは、いったいどういう現象なのでしょうか?
「音痴とは、一概には言えませんが、正しい音程の認識ができず音程やリズムを正確に歌うことができない調子外れという時もあります。音痴を克服するには、プロの指導のもとで3~5年はかかります。ダンスは数ヵ月である程度までは踊れるようになりますが、歌の上達には時間がかかるんです。峯吉さんはまだ小学1年生だったので、正直、耐えられるかな? と心配でした」(田中先生)
小学1年生の子が、自分自身が音痴だとは、なかなか自覚できるものではありません。しかし、スクールには一緒にレッスンを受ける仲間がいます。周りの歌える子たちの歌声を聞いて、「自分は音痴なんだ」と峯吉さんは気づきました。
ボイストレーナーの田中先生は、振り返ります。
「彼女の場合、音の聴き取りは正しくできていたんです。ただ、聴こえた音を正しく出すことができなかった。幸い、彼女の家にはピアノがあったので、ピアノの音を1つ聞かせて、同じ音を声で出す、という練習をひたすら繰り返しました。ズレていたら正しい音はこれと訂正していく。地道な練習を、スクールでも家でもやってもらいました」(田中先生)
ピアノはやめても、歌は続けられた。その違いは何だったのか?
実は、アクターズスクール広島に入学する前に、ピアノも習っていた峯吉さん。
我が子にリズム感を養わせようと、親御さんが習わせてくれました。しかし全然弾けるようにならず、「ピアノは才能がない!」と思ってやめてしまいます。
ピアノはやめても、歌は続けられた。その違いは何だったのか?
「ピアノのレッスンは先生と一対一。でも、アクターズスクールには友達がいて、切磋琢磨するのが楽しかった」(峯吉さん)
初めて自分の歌を録音したものを聞いて「音痴だ……」と気づいたときも、「あぁ、自分はもうダメだ」などと思わず、うまい子たちの歌をひたすら聞き、「どうやったらうまくなれたの?」と仲間たちに素直に聞いてまわったと言います。
「音痴克服」のために努力しているとき、励ましてくれた仲間や先輩がいたのか? と聞いたところ、「励まされるというより、みんな良きライバルみたいな存在だった」と振り返ります。
「1年間に何回もオーディションがあって、その度にみんなで競っていくんですが、オーディションに落ちて『また頑張ろうね!』と言い合ったり、ダメな部分がわかると『次までに修正すればいいよ!』とみんなで話したりしました。一緒に高め合っていける仲間がいたのが大きいですね」と当時を思い出す峯吉さん。
しかし、田中先生は言います。「オーディションに落ちて、峯吉さんのように『次も頑張ろう!』と思える子もいますが、心が折れちゃう子もいますよ」と。
「何回も落ちると、やめちゃう子もいます。落ち続ける我が子を見て、親御さんも『才能ないからやめなさい』と言っちゃうパターンも多い。峯吉さんの場合は、親御さんが『次頑張ればいいじゃない?』と、プラス思考で声をかけていました。関与の加減がちょうどよかったように思います」(田中先生)
親御さんも我が子の歌のレッスンを録音したものを聞いたはず。そこで、「ああ、うちの子はダメだわ」と思ってしまったらおしまいだったのかもしれません。そこで、親御さんが諦めなかったのが正解でした。
まだまだ幼い子どもに対して、親が「あんた、音痴なんだから、もうやめなさい」と言ってしまったら、たいていの子は親の意見に従ってやめてしまうでしょう。峯吉さんは「叱咤激励し合える仲間がいたから頑張れた」と言っていますが、実は「叱咤激励してくれる親の存在」が、大きかったのではないでしょうか。
幼い子どもが好きなことを続けるには、親のサポートがとても大切な要素と言えます。第2回では、「子どもの苦手克服に、親はどう関わるべきか」に迫ります。
取材・文 須貝誠、鈴木久子
峯吉愛梨沙さんの連載は全3回
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3回目を読む
峯吉愛梨沙(みねよしありさ)
STU48メンバー
2004年9月2日広島県生まれ。STU48加入前は、2009年「アクターズスクール広島」の21期生として加入。田中先生のレッスンを受け音痴の克服に励む。
2017年3月19日、STU48第1期生オーディションの最終審査の仮合格者となる。2017年3月20日「アクターズスクール広島」のスクール生としての活動を終了。2017年3月31日、STU48の正式メンバーに決定。2022年2月11日、STU48の8thシングル曲「花は誰のもの?」で、初の少人数選抜に選出される。
2022年には、モデルの仕事をすることと、好きな洋服のブランドとコラボしてグッズを作るという夢を実現。ファッション会社「エヴァヴィンテージ」とコラボし、高校生社長として洋服をデザインし販売する。現在も、STU48のメンバーとして活躍中。
田中都和子(たなかとわこ)
「アクターズスクール広島」所属。ボイストレーナー。
エリザベト音楽大学大学院修了。 在学中より演奏会にソリストとして出演。ソロ、ジョイントリサイタルも数回開催。オペラでは「コシ・ファン・トゥッテ」(ドラベッラ役)でデビュー。他多数出演。日本国内のみならず、海外においてもコンサートを開催。
演奏活動をするほか、舞台監督として舞台製作にも携わる。クラシック以外では、バックコーラスなどでテレビ、ラジオ番組に出演。各地でボイストレーナーとしても活躍。多くの生徒をさまざまな分野に輩出している。現在、アイドルグループSTU48メンバーの峯吉愛梨沙もそのひとり。峯吉愛梨沙の在籍中、彼女の音痴克服に努め成果を上げる。
現在も、ASH、AGHグループ他のボイストレーナー。現代音楽演奏集団HER、スーパー・ファクトリーに所属し活躍、STU48のボイストレーニングにも携わっている。