【働くママが脳出血に】リハビリに励む2児ママを襲った家族の死 悲しみの先に見えた希望
脳出血で緊急入院!【萩原はるな:ワンオペママの闘病記】#4 〜家族の逝去編〜
2022.05.19
ライター:萩原 はるな
決意を新たに 再び病院へ
それからみんなでお寿司を食べて、13時過ぎには病院を目指して出発することになった。
またしても、右側に息子、左側に娘。なんだかすっかり、娘の背が伸びていることに驚く。もしかして、私の背を抜いちゃってるんじゃないか? 声も、心なしか低くなっているようだ。
息子は夏の日焼けがまだ残っていて、笑うと歯だけがやけに白い。伸びかけの坊主頭で、うれしそうにニコニコ笑っている。
「お母さん、右手でピースできる?」と息子。何、ピースだって!? ゆっくりとグーパーができるまでに回復したものの、5本の指をそれぞれ動かすのはまだまだ難しかった。
「次に会えるときまでに、できるように頑張るよ」と言ったところ、「じゃあ、パワー送るね!」とずっと握っていてくれた。
車内では、二人に挟まれて窮屈(きゅうくつ)でお尻が痛くなったし、久しぶりの外出でくたくただったけれど、本当に幸せな時間だった。
帰りは渋滞もなくスムーズで、15時半には病院に到着した。このまま一緒に帰りたい気持ちを奮い立たせて、よちよちと車から降り、病院のエントランスへ向かう。
「お母さん、頑張ってね!」「待っているからね! ピース、きっとできるよ!」と子どもたちが窓から手を振っている。
「受験勉強と野球、頑張るんだよ。一緒にいられなくてごめん。クリスマスには、きっと帰るから。お父さんとばあばの言うこと、ちゃんと聞くんだよ〜!」
病院に戻ったところ、すでに私の荷物はすべて個室に移されていた。
思いがけない父の死。でも父のおかげで、家族と一緒に過ごすことができた。子どもたちと実際に会って、温かい体温を感じることができた。
それともうひとつ。実際に車椅子を置いて、杖で病院の外に出たことで、「あと2ヵ月近く、リハビリを頑張ればなんとか生活できそうだ」と自信がついたのも大きなプラスになった。
夫や子どもも”右手と右足が、以前のようには動かない私”と実際に半日過ごしてみて、今後の生活がイメージできたようだ。
「車椅子のお母さんしか見てなかったから、杖で歩けて安心した」と、後から息子がメールをくれた。
「ありがとうね、お父さん」
外出を許可してくれた病院と、日帰りで5時間も運転してくれた姉にも感謝。この日はいろいろな涙を流しながら、あっという間に眠ってしまった。
<つづく>
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萩原 はるな
情報誌『TOKYO★1週間』の創刊スタッフとして参加後、フリーのエディター・ライターとなる。現在は書籍とムックの編集及び執筆、女性誌やグルメ誌などで、グルメ、恋愛&結婚、美容、生活実用、インタビュー記事のライティング、ノベライズなどを手がける。主な著作は『50回目のファーストキス』『ハピゴラッキョ!』など。長女(2009年生まれ)、長男(2012年生まれ)のママ。
情報誌『TOKYO★1週間』の創刊スタッフとして参加後、フリーのエディター・ライターとなる。現在は書籍とムックの編集及び執筆、女性誌やグルメ誌などで、グルメ、恋愛&結婚、美容、生活実用、インタビュー記事のライティング、ノベライズなどを手がける。主な著作は『50回目のファーストキス』『ハピゴラッキョ!』など。長女(2009年生まれ)、長男(2012年生まれ)のママ。