赤ちゃんはどうして、なんでも口に入れるのか?
背後に身体が存在しないやりとりから、コミュニケーション能力を学べるのだろうか、というのが私たちの小さくない懸念事項です。「身体の欠如」に関する問題は、脳科学の第一人者でもあり、その研究成果を教育現場に還元する活動を続けている小泉英明先生が前々から警鐘をならしています。
たとえば、小泉先生は『脳は出会いで育つ~「脳科学と教育」入門』(2005年、青灯社)の中で、人間が成長の過程で、精神や意識を獲得するときに、「身体性」がその基本にあることを論じています。
歌人・俵万智さんの「生きるとは手をのばすこと幼子の指がプーさんの鼻をつかめり」(『プーさんの鼻』、2005年、文藝春秋)という短歌を引用して、これが赤ちゃんの発達の基本を捉えているとおっしゃっています。
赤ちゃんの発達にとって、「自分の体の一部である手を伸ばしてみること」そして「その手でプーさんの鼻の感触を感じること」、さらには「自分がどのような角度で、どう手をのばしたら対象に届くのかを学んでいく過程」がその後の成長にとって欠かせないことなのです。
赤ちゃんはつかんだものをよく口に入れてしまいます。つまり赤ちゃんにとって、触覚の体験は、そのまま味覚・嗅覚の体験にもつながります。身体感覚は発達の基本的な土台を形成するものであり、であるならば、身体を持たない生成AIとのおしゃべりで、どこまでコミュニケーション能力が学べるのか疑問が残るところです。
人間は、五感すべてで世界を体験する
次の点は、先ほどの「身体の欠如問題」と密接に関わりますが、生成AI相手では、人間の成長に欠かすことのできない「五感すべてへの刺激」が満たされないことが懸念されます。
例えば、授乳中の状況を考えると実感できますが、赤ちゃんは、養育者の肌やぬくもりを感じ、表情を見て、匂いを嗅ぎ、ミルクや母乳を味わいながら、その声を聞いています。つまり、触覚・視覚・嗅覚・味覚・聴覚すべてを駆使して、世界を体験しているのです。
そもそも、子どもだけでなく大人にとっても「五感すべてが重要」ということは、言語学・心理学の観点からも確立された事実です。といいますのも、私たちは五感があたかも独立して働いているかのように考えがちですが、まったくそんなことはありません。
もっとも直感的に理解しやすいのは、「味覚」と「嗅覚」でしょうか。食べものの味は、その匂いに大きく影響されますし、鼻がつまって匂いが嗅げないときには、食べものの味を十分に堪能できません。
















































































