不登校のまま迎えた思春期 進路が見えない中で「息子に起きた変化」

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子どもと社会とのつながりはスモールステップで

中学校へ登校できずにいた時期の大半は、息子は親やきょうだい以外の人とほとんど関わらずに過ごしていました。

「学校に行っていないのだから仕方ない」と自分に言い聞かせながらも、このまま社会から取り残されてしまうのではないか……という怖さを、私はずっと抱えていました。

思春期の子どもは、親の言葉を素直に受け取れないこともあります。子ども扱いは嫌なのに、自分から助けを求めたり、将来のことを考えたりするのはまだ難しい。

だからこそ親としては「このままで大丈夫なのだろうか」と、なおさら不安になってしまうのです。

実際、社会とのつながりはとても細くなっていたのだと思います。けれど、完全に途切れていたわけではありませんでした。

当時は気づくことができませんでしたが、息子には息子なりに、人と関わるきっかけを少しずつ探していたのだと思います。

わが家にとって、最初の小さなつながり直しの場が、適応指導教室でした。いきなり元の学校生活に戻るのではなく、少人数の安心できる環境の中で、人と関わるところから始まったのです。

思春期の息子にとって、親以外の大人や同世代の子どもたちと関わりながら、自分をそのまま受け入れてもらえる場所ができたことは、とても大きかったと思います。

そうした小さな一歩の積み重ねのなかで、息子は少しずつ外の世界に気持ちを向けられるようになっていきました。

安心できる場所で過ごし、他者と関わる時間を重ねるうちに、進路のことも少しずつ考えられるようになっていったのです。

現在25歳になった息子は、飲食関係の仕事に就き、社会の中で揉まれながらも日々を歩んでいます。

あのころは、「このまま社会から見放されてしまうのではないか」と絶望的な気持ちになる日もありました。けれど、適応指導教室という安全な場所で他者と関わり、小さな一歩を踏み出したことが、確実に今の息子へとつながっています。

学校に行けない時期は、親も子も「この先どうなるのだろう」という不安ばかりが大きくなりがちです。

息子の場合は、将来や進路を考えるよりも先に、安心して人とつながれる場所が必要だったのだと思います。社会との接点を小さく取り戻していくことが、結果として進路を考える土台にもなる、そう実感しました。

親にできるのは、その子と社会の小さな接点が途切れないよう、そっと支えることなのかもしれません。

文・一ノ瀬奈津

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