
あなたの街の「公民館」はどう? 全国から注目「繁多川公民館」(那覇)が不登校から高齢者まで 多世代の“居場所“に進化した理由
シリーズ「地域をつなぐ みんなで育つ」#3‐1 「繁多川公民館」【1/2】(沖縄県那覇市)
2025.03.08
ライター:太田 美由紀
豆腐づくりからはじまった地域づくり
那覇市の高台にある繁多川(はんたがわ)公民館を訪れると、3階建ての建物の前に大きな広場が広がっていました。敷地内には、実のなる木、草木染めや香辛料に利用できる植物をはじめ、地域の人たちの手でさまざまな植物が植えられています。
1階は図書館、階段を上がった2階がロビー。ロビーにはいくつかのテーブルと椅子があり、小学生が数人声を上げて遊んでいます。
受付から館長の南信乃介(みなみ・しんのすけ)さんが顔を出し、「今ちょうど、ゆし豆腐できたから食べますか?」と言ったかと思うと、返事をする間もなく奥に消えてしまいました。しばらく待っていると、ゆし豆腐の入ったお椀を手に南さんが笑顔で現れました。

お椀からは湯気が出ています。友人の家に遊びに来たかのような錯覚を覚えましたが、ここは確かに公民館のロビー。南さんのお話を聞きながらいただいたゆし豆腐は温かく、体にやさしく染み込んでいきました。
繁多川公民館は現在、南さんが代表を務めるNPO法人1万人井戸端会議が那覇市の指定管理者となって運営されています。
「この地域は豆腐づくりが盛んだったんです」と南さん。でもそのことは、地域の若い人たちにあまり知られていませんでした。もちろん、南さんも知らなかったそうです。
2006年、自治会の紹介で70~80代の高齢者10人に声をかけ、一般公募15人、大学生20人で6つのグループを編成し、昔の暮らしや地域の文化をインタビューする『繁多川見聞録』という講座を3年かけて全36回開催することになりました。南さんはスタッフとして関わりました。
「この地域は別に何にもないよ、と言っていた方たちからも、対話を繰り返していくうちにいろんなエピソードが出てくるんです。
沖縄戦の話、豆腐づくりが戦後の暮らしを支えたこと、豆腐づくりに役立った湧き水が今でも豊富にあること、大豆の在来種の存在──。これは子どもたちに街の誇りとして伝えなければと、皆さんの思いが高まっていきました。
途絶えていた在来大豆の栽培を復活させ、その大豆を収穫して、石臼で昔ながらの豆腐をつくる『あたいぐゎープロジェクト』を立ち上げたんです。あたいぐゎーは、沖縄の島言葉(方言)で屋敷内の菜園のこと。
2009年からは地域の3つの小学校で『総合的な学習の時間』にも取り入れられていて、自治会や地域の方も公民館のスタッフと共に授業をサポートしてくださっています」