2021年8月の西日本での集中豪雨、2020年7月の熊本県を中心とした集中豪雨など、毎年のように豪雨による深刻な土砂災害が起きています。この7月上旬にも九州を中心に深刻な大雨・土砂災害が起きたばかりです。それらを裏付けるように、2020年版の国土交通白書には、過去10年の土砂災害の年間発生件数は、その前の20年と比較して1.5倍に増えたと書かれています。
背景には気候変動があると考えられていますが、原因はそれだけではないと警鐘を鳴らす人がいます。サントリーホールディングス株式会社(以下サントリー)で、今年20周年を迎える「サントリー 天然水の森」事業の立ち上げ、推進に携わってきたサステナビリティ経営推進本部チーフスペシャリスト(取材時)の山田健さんです。
サントリーでは、次世代環境教育として「水育」を行っています。その一環として行っている小学校4・5年生用の出張授業で、頻発する土砂災害の、また別の原因のひとつが見えてきました。
『水はどこからやってくる? 水を育てる菌と土と森』で山田さんを取材した、森と森で働く人に詳しい作家の浜田久美子さんにお話を伺いました。
日本人が知らない日本の自然
「水育の話に入る前に、あまり知られていない日本の森の一側面についてまずは触れておきたいと思います。昔の日本は今よりもっと森が豊かだったのでは、と考える人は少なくないと思います。実際は違う姿だったようです」(浜田さん/以下カッコ同)。
第二次世界大戦が終わる1945年ごろまで、日本の長い歴史の中では、木の使い過ぎがずっと問題になってきたと浜田さんは解説します。建物のための建材、さまざまな道具、生活と産業で欠かせない燃料として、膨大な量の木が日本人の暮らしを支えていたのです。
江戸時代の浮世絵を見ると、木が生えていないかまばらな山や里の様子が描かれています。
「浮世絵のハゲ山については、当時の風景をある程度忠実に描いていると考えてよい、という研究が出てきていて、当時の日本人は集落近くの山々の木を伐り尽くす勢いで使っていたことが見えてきました」
転機となったのは、1950年代~60年代の「エネルギー革命」。燃料は石油・ガス・電気に、道具はプラスチックや金属へと置き換わっていきます。一番使われていた燃料に木を使う場面は生活からどんどん失われていきました。
「戦後の復興のために大々的に針葉樹を植林したものの、収穫できるのは40~50年後。戦後復興から高度経済成長にかけてうなぎのぼりに増える木材需要にはとても対応できず、当時安価だった南洋材を大量に輸入するようになりました。木材使用量は戦前以上に増えているのに、日本の木は使われない。このようにして日本の木は、慢性的な“使いすぎ”から“使わなさすぎ”に急激に振り切れたのです」
日本人が有史以来、初めて経験する、あまりに急速なライフスタイルの変化が、日本の森に大きな影響を与えたのでした。
森(山)の手入れ不足が原因のひとつに
ところで、日本では、森は山とほとんど同じ意味で使われているのだとか。
「日本は国土の約7割が山で、しかもほとんどが森におおわれています。日本の森林面積は約67%ということからも、森イコール山ということが見えてきます」
春から夏にかけての山は緑の木々で埋め尽くされ、遠くから眺めると自然の美しさを実感します。しかし、特に植林した山(人工林)に足を踏み入れると、美しい自然からはほど遠い光景が見えてくると、長年さまざまな森を見てきた浜田さんは言います。
暗くてカビくさく、地面にはスギなどの落ち葉はあるものの、他の植物はほとんど生えていなくて生き物の気配が薄い……。ひとことで言うと「荒れた」状態になっているのだそうです。
「なぜ山が荒れてしまったかというと、木を使わなくなったことと関連して、手入れ不足も大きく影響しています」
でも、林業を仕事にしている人は今でもいますよね?
「今は、身近に林業従事者を見つけるのは難しいかもしれません。なぜなら、1955年に約52万人いた林業就業者(注:狩猟業も含む)は2020年に約4万4000人、つまり13分の1にまで激減しているからです」
なんと、林業に携わっている人は、いまや日本の山を守ってくれる貴重なヒーロー、ヒロインとなりつつあるのでした。
高度経済成長期、山村で農業や林業をなりわいとしていた人たちは、より稼げる工場や企業に働き口を求めて多くの人が都会に移り住みました。
「手入れが必要な広大な山があるのに、手入れする人はいない。生活の場としての山から人が離れていって、山の変化に関心を持つ人も減りました。こうして、山の異変は静かに進行していったのです」
表面の土が違うだけで、こんなに……!
浜田さんは、取材する中で水育の出張授業を体験しました。
透明なふたつの箱に、砂や石が層になって同じ種類、同じ量で入っています。ちがいは一番上の土だけ。分解しはじめた落ち葉が混ざるふかふかの土か、落ち葉の混ざらない固い土かというちがいです。この箱を、山の斜面に見立てた模型の上に置きます。
それぞれの箱に、一番上から同じ量、同じ内容の泥水を同じペースで注ぎます。すると、固い土のほうは泥水があふれ、斜面を流れ落ちてまるで洪水のよう。箱の一番下にある出口からは、ポタッ、ポタッとたれる程度にしか水は出てきません。一方、ふかふかの土のほうはスムーズに水がしみこみ、出口からはろ過されて透明になった水がどんどん出てきます。
「表面の土がちがうだけで、こんなにも違うなんて……!」とびっくりした浜田さんは、山田さんに理由をたずねました。山田さんは、大雨のときに川が泥水のようになるのは、その川の上流にある森の土が、水がしみこまない状態になっているからだと教えてくれました。
「土にしみこまない分、川に流れ込む水の量は増えます。また、流された泥はダムや川の底に沈み、水が入る量を小さくして洪水のリスクを上げます。先ほど触れた荒れた山の土が、実はこの水がしみこまない固い土なのです」
増える土砂災害の原因のひとつに、荒れた山と固い土があることが見えてきました。では、どうしたらいいのでしょうか?
その答えにたどりつくには、サントリーと林業家、研究者の長年にわたるさまざまな試行錯誤がありました。浜田さんも驚いたそのストーリーは、『水はどこからやってくる? 水を育てる菌と土と森』で詳しく知ることができます。
荒れてしまった森を手入れすれば、森はよみがえり、土の状態もよくなって土砂災害も減って、いいことずくめ! ……といきたいところですが、実際は次から次へと難題が降りかかります。それでもあきらめずに、いろんな専門家が知恵を出し合って理想の森づくりを少しずつ前に進めていく姿には、胸が熱くなります。
そして、なかなか見えてこなかった地下世界にも、テクノロジーの進歩のおかげで切り込んでいけるように! 他では知ることができない貴重な先端情報です。生き物や植物が好きな人、キノコが好きな人、自然の不思議に興味がある人、そして自然を愛するすべての人にぜひ読んでもらいたい、おどろきの「菌と土と森」のノンフィクションです。
『水はどこからやってくる? 水を育てる菌と土と森』(浜田久美子)/講談社
森の土が水を安全にきれいにして、生き物を豊かにし、土砂災害など災害を起こしにくくするメカニズムを、多数のイラストや図版で解説する「水育」ガイドブック。20年以上にわたって「水のための森づくり」を試行錯誤してきたサントリーへの取材をもとに、水のサイクルや日本のいまの森の姿に迫ります。
この本を読むと、生命に欠かせない「きれいな水」を永遠にリサイクルするためには「森の手入れ」が欠かせないことがわかります。森や水に関する調べ学習や、自由研究の参考書に、ぜひご活用ください!
※「水育」はサントリーホールディングス株式会社の登録商標です。この本はサントリー「水育」の公式ガイドブックではありません。
●目次
序章 きれいな水をつくってたくわえる「森の土」
1章 日本は森に助けられてきた
2章 飲み物をつくる会社、森づくりを本業に
3章 森づくりもいろいろだった
4章 どうして森は水を育むの?
5章 森に入れない!?
6章 二つの手ごわい敵〈前編・シカの巻〉
7章 二つの手ごわい敵〈後編・竹の巻〉
8章 豊かに見える森の中で起きていること
9章 自然の姿に近づけたい
10章 わかりはじめた地下世界
終章 水の未来に向かって
●浜田久美子 プロフィール
東京生まれ。早稲田大学第一文学部心理学専修卒業。横浜国立大学大学院中退。
精神科カウンセラーを経て、木と森の幅広い力と魅力に出合い作家に転身。森との接点が失われた時代に、もう一度森と人がより良い関係をつくるために挑む人々を取材している。2000年から長野県伊那市と東京三鷹の二ヵ所に暮らす二住生活中。『森をつくる人々』『木の家三昧』(コモンズ)、『スウェーデン森と暮らす』『森がくれる心とからだ』(全国林業改良普及協会)、『森の力 育む、癒す、地域をつくる』(岩波新書)、『スイス式森の人の育て方 生態系を守るプロになる職業教育システム』(亜紀書房)、『スイス林業と日本の森林』(築地書館)など著書多数。
くりもと きょうこ
総合出版社で編集者として14年間、青年誌・女性誌・男性週刊誌・児童書など、多彩な雑誌・書籍の編集に携わったのち、信州の村に移住して雑食系編集者・ライターに。文弱の徒たる夫と、ホームスクーラー3兄弟とにぎやかに暮らす。
総合出版社で編集者として14年間、青年誌・女性誌・男性週刊誌・児童書など、多彩な雑誌・書籍の編集に携わったのち、信州の村に移住して雑食系編集者・ライターに。文弱の徒たる夫と、ホームスクーラー3兄弟とにぎやかに暮らす。