好きなことを続けられるヒミツ サッカー日本代表・南野拓実選手の少年時代

少しずつうまくなることを実感できた少年時代[南野拓実インタビュー第1回]

講談社のグローバル・パーパス「Inspire Impossible Stories」のアンバサダーを務める南野選手。 写真:長濱耕樹  スタイリスト:鈴木肇  ヘア&メイク:須賀元子
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幼稚園生や小学生に聞く「なりたい職業ランキング」で、つねに上位に入っているサッカー選手。プロのサッカー選手を目指して、ボールを追いかけるサッカー少年&少女の姿は、街の至るところで目にすることができます。

そんな憧れの職業であるプロのサッカー選手の中でも、サッカー日本代表の背番号10は、誰もが憧れる特別な存在と言えるでしょう。そして、2022年現在、その「代表の10番」として活躍しているのが、南野拓実選手です。

「海外でプレーする」という夢をかなえた南野選手に、「サッカーをはじめたきっかけは?」「子どものころはどれくらい練習をしていたの?」「家族にはどんなサポートをしてもらっていたの?」など、子どものころのことを聞いてみました。 
※全3回の1回目です

子どもの頃から必死にサッカーをしてきただけ

2022年11月にカタールワールドカップ(W杯)での戦いを控えるサッカー日本代表。初のベスト8入りを目指す森保ジャパンで背番号10を背負い、攻撃陣の中核として活躍するのが南野拓実選手です。

幼少期にサッカーを始め、中学校に上がると同時にJリーグクラブのセレッソ大阪の下部組織であるセレッソ大阪U‐15に入団。多くのゴールを決め、高校生年代がプレーするセレッソ大阪U-18に昇格すると、高校3年時の2012年に17歳という若さでJリーグデビューを果たします。

翌2013年にセレッソ大阪のトップチームとの契約を勝ち取り、開幕戦からいきなりスタメンに名を連ね、ベストヤングプレーヤー賞を受賞しました。

その後、2015年1月に19歳でオーストリアの強豪FCレッドブル・ザルツブルクに移籍し、国内リーグだけでなく、ヨーロッパ中の強豪チームと戦うUEFAヨーロッパリーグ、UEFAチャンピオンズリーグなどでゴール&アシストを量産。

2020年1月に世界最高峰のチームのひとつであるイングランド・プレミアリーグの強豪リバプールFCへ加入した初めての日本人選手となりました。

そのキャリアはまさにサッカーエリートと言える輝かしいもの。

しかし、本人は初めての著書『Inspire Impossible Stories』(講談社)の中で、自身についてこう語っています。

「僕自身は『自分はエリートだ』とか、『順調に成功を重ねてきた人間だ』とは思っていません。むしろ、どんなに心が折れそうでも、世界一のクラブでいつも活躍する選手になるという目標のために、必死になっています。

だから、もしも僕のことをもう少し知りたいと思ってくれる人がいたなら、そういう泥臭い部分を見てもらいたいです。負けず嫌いで、雑草魂を持ったサッカー選手というのが、南野拓実だと思っているので」

プロサッカー選手として約10年のキャリアで世界最高峰のチームの一員となり、日本代表チームの中核を担う活躍を見せながら、おごることなく努力を続ける姿勢。その姿を見ると、子育て世代としては素直にこんな感想を抱いてしまいます。

「少年時代から1つの物事に本気で、真剣に、継続的に取り組めたのはなぜだろう?」

「ご家族はどんな接し方で、子ども時代の南野選手の可能性を育んだのだろう?」

サッカーと出会った少年時代から現在まで。コクリコならではの視点からインタビューしました。その内容を、「少年時代」「家族からのサポート」「2022-23シーズンに向けて」と、全3回に分けてお届けします。

南野選手はサッカー日本代表のエースナンバー10番を背負います。 写真:渡部薫(ゲキサカ)

夢中になれることを見つけられた少年時代

「物心がついたときには3歳上の兄と一緒にボールを蹴っていました。だから、自分が気づいたときにはもうサッカーを始めていたんですよね」

“サッカーを始めたのは、いつですか?”という定番の質問に、笑顔でそう答えてくれた南野選手。

幼稚園に入ってすぐにボールを蹴り始め、小学校に上がると、地元・大阪の泉佐野市にあるクラブ「ゼッセル熊取FC」に加入し、チームでプレーするサッカーに出会います。

さらに小学校3年生になると、6年生の兄とともにテクニックに特化した指導で知られる「クーバー・コーチング・サッカースクール」にも通い始めました。

「当時は週5日、月曜日と水曜日以外、ほぼ毎日サッカーをしていましたね。もちろん、クラブやスクールがない日も家の近所で友達や兄とボールを蹴っていました。

それでも“今日は練習に行くのが嫌だな……”と思うことはまったくなくて。毎日、“あー、学校行くより、サッカー行きたい!”みたいな感じでした」

サッカーのどんなところが、それほど南野少年を惹きつけたのでしょうか。

「そうですね。なんでなんだろう……。今、振り返ると、子どもにとって“自分がうまくなっている”と実感することが、物事に夢中になるきっかけになると思うんです。

僕はたまたまそれがサッカーだったわけですけど、きっと他のスポーツでも、練習したらうまくなる、というサイクルを感じるとどんどん楽しくなりますよね」

少年時代の成功体験が、いまもサッカーを続ける理由だと南野選手は続けます。

「前はできなかったことができたときに得られる達成感だったり、うれしい気持ちだったりが次へのエネルギーになるというか。僕の場合、それがサッカーでした。

だから、毎日楽しみだったし、大人になった今も続けられているんだと思います」

大人になっても忘れられない父親からの言葉

このころの南野選手のプレーぶりを知るクーバー・コーチングのコーチ陣がかつてメディアの取材に「とにかく負けず嫌いだった」と語り、こんなエピソードを明かしています。

先にゴールを決めたチームがピッチに勝ち残るミニゲーム。南野選手はいつもキックオフのドリブルから自分でゴールを決めて、何試合も勝ち続けようと意気込んでいた、と。

「たしかに狙っていましたね。当時は本当に“負けたくない! 勝ちたい!”という気持ちをむき出しにして毎日サッカーをしていました。

サッカーをしているときが、本当の自分というか。普段はそんなことはないのに、ボールを蹴るとスイッチが入って、サッカーのことになるとむちゃくちゃ負けず嫌いが出てしまう……。ピッチの内と外では性格が違う、そんな子どもでした」

当時から得意としたのが、ゴールを奪うプレー。サッカーの醍醐味であるゴールをとれる選手として知られる南野選手は、リバプールFCでの2021-22シーズンにおいて、公式戦に24試合出場して、10ゴール、1アシストを記録し、少ないチャンスをものにする高い決定力を見せました。

「ターンからのシュート。ドリブル。ゴールに向かうプレーは、小学校のころから得意としているプレーです。今の自分にとっても長所になっていると思います」

そのプレーに刺激を与えたのが先にセレッソ大阪U‐15に加入した3つ年上のお兄さんであり、メンタル面での成長を促したのがお父さんでした。

「父は練習にも付き合ってくれましたし、日々のクラブへの送り迎えもしてくれて、そのクルマの中でいろいろな話をしました。今でも強く記憶に残っているのは、いつも『1番を目指せ』と言われていたことです。

サッカーが好きで、やりたくてやっていて、そこで負けて悔しいと思うんだったら、練習して1番を目指せよって。その言葉に自分の負けず嫌いな性格が加わって、ずっと真剣にサッカーをやってこられたのだと思っています」

取材・文:佐口賢作 / 構成:奥山典幸(マーベリック)

次回に続きます。第2回は「家族のサポート」をテーマに語っていただきます。

南野拓実(みなみの・たくみ)

1995年1月16日生まれ。大阪府出身。ASモナコFC所属。2013年セレッソ大阪で高卒ルーキーとしてクラブ史上初の開幕スタメンでプロデビュー。各年代の日本代表では中心選手として活躍し、19歳でA代表に選出された。2015年には、オーストリアの強豪FCレッドブル・ザルツブルグに移籍し欧州に活躍の舞台を移す。2019年に欧州CLリバプールFC戦での活躍を認められ、翌年、世界最高峰のクラブチームであるリバプールFCに所属。2022年6月リーグ・アンのASモナコFCに移籍。日本代表でも「10番」を背負う、世界に誇る日本サッカー界の至宝。2022年1月より講談社の「Inspire Impossible Stories」アンバサダーを務める。

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