【宮城・岩沼で小6の震災語り部が誕生】少女が決意した背景にあるものと両親の2大教育方針

大震災後に生まれた私が「震災語り部」になったワケ #1 (2/3) 1ページ目に戻る

10歳の子を突き動かしたのは「震災語り部の話」と「防災体験」

東日本大震災は、2011年3月11日に発生した、次のような未曾有の災害です。

東日本大震災のデータ

■発生 2011年3月11日14時46分頃
■最大震度 宮城県北部で震度7
■震源域 岩手県沖から茨城県沖まで南北約500km
■家屋損壊全壊・半壊合わせて 40万6127戸
■震災発生直後の避難者数   47万人
■全国の死者・行方不明者数  約2万2000人
※2025年3月1日時点

心彩さんが所属し、「いわぬま震災語り部の会」の拠点がある宮城県岩沼市も被害を受けた地域のひとつで、岩沼市だけでも家屋被害は5428戸、避難者数は6825人、181人が犠牲になっています。

被災地では今でも、震災の痕跡やそれにまつわる話は見たり聞いたりする機会がありますが、それらが日常にあるといっても、大震災後に生まれた小学生が震災語り部になるのは珍しいことです。

2023年3月11日に発足し、心彩さんが入会する以前は30代~80代の会員6人で活動していた「いわぬま震災語り部の会」に、12歳の女の子が参加を決断した背景にはどのような経緯があったのでしょうか。

「きっかけは、小学4年生のときの夏休みの宿題です。〈岩沼市の防災について知ろう〉という課題が出たので、千年希望の丘での防災ワークショップに参加したことが始まりです。

宿題はネットで調べて終わらせることもできましたが、施設のことは知っていましたし、遠くはないから行くだけ行ってみようって、母親と話しました。

訪れると、丘の上にある単なる屋根付きのあずまやが防災設備になるんだよ、などの説明を受けたんです。そして、その話をしてくれたのが、震災語り部の方でした。

学校や地域の図書館にも、防災の本は置いてあるけど、大震災は自分が生まれる前に起きたことなので、災害や防災といわれてもあんまり身近ではなくて……。

遠くにあったことが、震災語り部の方の話を聞いたり、防災設備を目の前で見たことで意識が変わりました
」(心彩さん)

〈親子で学ぼう防災in千年希望の丘〉は、およそ年に2回行っている「いわぬま震災語り部の会」が主催する体験型講座です。

小学4年生、10歳だった心彩さんは初回のイベントで心を動かされて以来、母親の明子さんと、あるときには兄の大遥(たいよう)さんとも欠かさず参加して、積極的に震災や防災について接点を持っていきました。

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心彩さんが単なるあずまやだと思っていた千年希望の丘2号丘の防災設備(写真1枚目)。屋根に収納された幕を下ろすとあずまやがテントになり、中に設置されている防災グッズが入った収納ベンチ(写真2枚目)や、かまどベンチ(写真3枚目)を使うことで避難場所として機能する。  写真:コクリコ編集部およびいわぬま震災語り部の会

どうしよう…の末の決断「私にできることは語り部」

毎回、防災イベントに参加をする中で、心彩さんは「(会員の)人数が少ないし、後継者がいなくて困っている」という話を耳にします。

「イベントに参加するうちに、『いわぬま震災語り部の会』の会長さんからそんな話を聞いて、最初はどうしようと迷ったんですけど……。私にできることは語り部かなと思い始めました。

それで、小学6年生の夏に入会したんです」(心彩さん)

防災イベントへの参加に熱心だった心彩さんは、実は入会の決意をするずっと前、これまでに自分が「いわぬま震災語り部の会」から教えてもらった設備などの説明を、ほかの親子に披露したことがあります。

イベントの参加者のひとりにしかすぎなかった自分が、「教わる側」から「伝える側」へ、震災語り部に近い経験をしたことでさらに災害や防災への見方が変わり、それが震災語り部への興味を高めたといえます。

どうしたら子どもの主体性を育めるの? 鈴木家の2大教育方針

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