「脳出血」2児ママは入院中も“リモート子育て” 「もう歩けない?」でも「リハビリ生活」でゆっくり回復へ
脳出血で緊急入院!【萩原はるな:ワンオペママの闘病記】#3 〜約4ヵ月間の長期入院生活編〜
2022.04.21
ライター:萩原 はるな
ある日突然、脳出血で倒れてしまったフリーライターのママ(48歳)。パパと小学生の子ども2人を家に置いて、一人きりの入院生活がスタートしました。
ママの入院で、突如、ワンオペ育児に取り組むことになったパパの奮闘記(※1)はすでにお伝えしましたが、病になったママ当人は、一体、どんな思いで過ごして来たのでしょうか。
中学受験に挑む娘と野球少年の息子が待つ家に帰るため、リハビリに奮闘するママの闘病記です。
長期入院生活がスタート! 私はもう歩けない!?
突然の脳出血で緊急入院してから2週間と2日後、リハビリ専門病院に転院した。
リハビリ病院に介護タクシーで移動する間、約3週間ぶりに子どもたちと再会することができた。楽しい時間はあっという間に過ぎ、新たなリハビリ病院でさらなる入院生活がスタート。
子どもたちと別れた私は、夫と2人、リハビリ病院の診察室に通された。そこにいたのは、担当のドクターと看護師、そしてケアマネージャー。右手足を診察したドクターは、「おそらく、外を一人で出歩くのは難しいでしょう」と言った。
「えっ、私はもう、一人で出かけることはできないの!?」
ショックを受ける私に、ドクターの声が追い打ちをかける。「家の中なら、大丈夫かもしれませんね。入院期間は4ヵ月くらいかな。これから、リハビリを頑張っていきましょう!」
よ、4ヵ月!? 7月末に倒れて、リハビリ病院に転院したのは8月10日。そこから4ヵ月って、うっかり今年(2021年)が終わってしまうじゃないか。
9月の息子の誕生日はあきらめていたものの、11月の娘の誕生日は一緒に祝えると思っていたのに……。
失意のまま、入院生活を送る病棟の部屋に案内される。そこはカーテンで仕切られた4人部屋で、それぞれにベッドとテレビ&テレビ台、衣類など私物を入れる収納スペースがあった。
こうして、リハビリ漬けの毎日が始まった。
我が家の朝は毎日が修羅場!!
リハビリ病院の1日はというと、6時に朝の音楽が流れて照明がオンになる。朝食は7時半から。9時からリハビリがスタートし、週3回は午前中に入浴もできた。12時に昼食をとり、13時から再びリハビリ。16時には終了し、18時から夕食、21時に消灯というスケジュールだ。
我が家の朝というと、息子は赤ちゃんの頃から早起き。6時には目を覚まし、「朝だよ、お母さん! 起きよう、へい、1、2、3!」と、早朝から暑苦しくかけ声をされて、うんざりしたものだ。
いっぽう、娘は起こされるまで寝ているタイプ。夜中まで仕事をしている夫にいたっては、8時に起きればいいほうだ。しかも、5回ぐらい起こした末に!
子どもたちが通う学校は8時15分までに登校する必要がある。息子は早起きだが朝食を食べるのに50分以上かかるので(!)、7時には起こさなければならない。娘は遅起きだが食事も支度も早く(でも忘れ物は多い)、7時半でも大丈夫だった。
そんなわけで、入院中は毎日7時に夫のスマホにLINE電話をかけるのが日課に。すでに起きている息子の顔を見ながら、「みんなを起こして学校へ行くんだよ!」というのが常だった。このころの私は、電話越しにでも、けっこうスムーズに話せるようになっていたのだ。
ただ一回だけ、息子がねぼすけ娘と夫を放置して一人で学校に行ってしまい、娘が大遅刻したことがあった。ショートメールが返ってこず、電話にも出ない娘に私は大慌て。
結局リハビリの合間に何度も電話をかけた末に、娘は10時近くになってやっと起き、何とか学校に行ったのだった。
娘の中学受験&息子の少年野球はどうなるの!?
入院が長引くにあたって心配ごとはたくさんあったけれど、もっとも気がかりだったのが娘の中学受験だ。娘は3年生のときに、放課後の居場所の確保を兼ねて塾に通いはじめた。
しかも、ゴリゴリの難関校受験塾に受かってしまい、通塾はしたものの、5年生になるころには見事に落ちこぼれてしまっていた。
6年生になって志望校も固まり、夏休みは徹底的に娘が苦手な算数を一緒に頑張ろう! と思っていた矢先の脳出血&長期入院。迷走する娘と夫は、初めてしっかり向き合って話し合ったようで、ある日夫からLINEが届いた。
「家から近い個人塾に、変えるわ。今の塾の内容は高度すぎて、娘には合わないよ」。夫からそう言われて内心複雑だったものの、送迎も勉強を見てやることもできない立場では、何も言えなかった。
「個人塾でしっかり見てもらえ、自習室で集中して勉強できる」と聞き、正直ホッとしたところもあった。頑張れ、娘!! キッズケータイの見守り機能でちゃんと塾にいることを確認し、「頑張って、応援してるよ!」と毎日ショートメールを送った。
もうひとつ心配だったのが、3年生の息子の少年野球だ。保育園のころから「プロ野球選手になる!」と言い、自主練にいそしんでいた彼が野球チームに入団したのは、2年生の9月のこと。
入団当日に「お母さん、僕、やっと野球少年になれたよ!」とうれしそうに言われ、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。というのも、私の覚悟がなかなか決まらなかったからだ。
息子が入団したチームは、すべて親によるボランティアで成り立っている。監督やコーチは全員選手の父で、毎週末、親たちが休日を返上して運営しているのだ。
自称・馬車馬のように働いている我が夫は、当然参加できない。入団したら私が担わなければならないと思うと、ワンオペかつ娘の受験もあり、そう簡単に「入っていいよ」とは言えなかった。
とはいえ、入団以降は意を決し、ほぼ毎土日、私が車出しと見守りなどに行っていた。それも、入院によってまったく参加できなくなっていた……!
監督たちには、すでに夫が私の現状を伝えていた。みんな「息子の参加だけで大丈夫、お大事にしてください」と言ってくれているという。
その後も、「息子のことはおまかせください」「今日も楽しそうに野球をやっていましたよ」などと監督たちが私にLINEをくれ、本当にありがたかった。
ママたちも、試合のたびに息子や子どもたちの動画や写真を送ってくれ、みんなの成長を感じて何度も胸が熱くなった。
野球チームの存在が、どれだけ息子とわたしたちを救ってくれただろう。今でも感謝の気持ちでいっぱいだ。