「友だち疲れ」から自由になる方法があった 早稲田大学の教授が伝授
早稲田大学の教授・石田光規さんが教える「友だちがしんどい」がなくなる方法(4)
2024.03.22
早稲田大学文学学術院教授:石田 光規
「友だちとの会話に無理して合わせてしまう」「ケンカになるのがこわくて、友だちに自分の意見が言えない」「メッセージの返信に遅れないように必死になる」などなど、友だちとの付き合いで疲れてしまう人が大人も子どもも増えています。なぜそうした「しんどさ」は生まれるのか? どうすればその「しんどさ」は軽くなるのか? 孤独・孤立と人間関係について長年研究している専門家であり、『友だちがしんどいがなくなる本』を上梓した石田光規さんが伝えるヒントをご紹介します。
「友だち」は自由だからこそ、合理的になってしまう皮肉さ
「友だち」という関係のあり方は自由を前提とします。
だれと友だちになるか、あるいはならないかは個人の自由です。
そのため、そこには「だれと友だちになるとトクか」というメリット・デメリット、コスト・パフォーマンスの論理が入りやすくなります。
環境や役割に拘束されない自由さは、友だち関係の大きな魅力です。
しかしその魅力ゆえに、友だち関係には理想とは真逆の「合理性」が入りやすくなってしまう、というのは皮肉なものです。
メリット・デメリットや、コスパばかりを意識する友だち関係は、多くの人にって居心地のよいものではないでしょう。
友だちの輪にいても、つねにほかの人から見定められているような気持ちにさせられます。
いつでも見られるからこそ、コスパが重視される
このような状況から脱するために大切なのは
「友だちがほしい」
「友だちは必要」
という重荷を下ろすことではないでしょうか。
多くの人と単なる「知り合い」として、フラットに、かつ、複数の場でつながりつつ、そのなかから「いつのまにか友だちになっていた」という人ができれば、それでいいと思います。
友だち関係、人間関係なんて、もともとそうかんたんにうまくいくものではないのです。
失敗したり考えたりした時間が、その次の道しるべとなり、これからのみなさんをつくっていくでしょう。
友だちがなかなかできないのは、それこそ古代の哲学者プラトンの時代から変わりません。
「ずっと友だち」から自由になろう
もうひとつ、かつて友だちだった人と、友だちでなくなることをおそれる必要はありません。
歳をとれば、物事の感じ方や考え方は変わります。
それはみなさんにも、みなさんの友だちにもいえることです。
年月を経て距離が広がるのは当然のことなのです。
おそれる必要はありません。
かつて近くにいたはずの友だちと距離が広がったら、また別の場に足を運び、新しいつながりのなかに身をおけばよいでしょう。
コミュニケーションの技法や心理にこだわるより、もうちょっと気軽に人とつき合ってもよいかと、いまの若い人を見ていると感じます。
石田 光規
1973年、神奈川県生まれ。早稲田大学文学学術院教授。東京都立大学大学院社会科学研究科社会学専攻博士課程単位取得退学。博士(社会学)。著書に、『友人の社会史』(晃洋書房)、『孤立の社会学』、『つながりづくりの隘路』『孤立不安社会』(以上、勁草書房)、『「人それぞれ」がさみしい』(ちくまプリマー新書)。おもな著書に『友だちがしんどいがなくなる本』(講談社)、『「友だち」から自由になる』 (光文社新書)がある。
1973年、神奈川県生まれ。早稲田大学文学学術院教授。東京都立大学大学院社会科学研究科社会学専攻博士課程単位取得退学。博士(社会学)。著書に、『友人の社会史』(晃洋書房)、『孤立の社会学』、『つながりづくりの隘路』『孤立不安社会』(以上、勁草書房)、『「人それぞれ」がさみしい』(ちくまプリマー新書)。おもな著書に『友だちがしんどいがなくなる本』(講談社)、『「友だち」から自由になる』 (光文社新書)がある。