突然妻が倒れて入院してしまったことで、「子育て戦力外」から急遽「ワンオペ育児」をしなければならなくなった、フリーライターのパパ(46歳)。
育児も家事も全部ママまかせだった超ビギナーのパパが、小学生の子どもを二人抱えて、ついにワンオペ育児デビューを果たします。
ママの入院をきっかけに、変わり始めたある家族の奮闘記。第2回は「ワンオペ育児デビュー」編です。(1回目を読む。#1)。
子どものスケジュール把握に悪戦苦闘
休日は、年に10日前後。ほぼ毎日、朝9時頃から深夜2時頃まで仕事という生活がルーティン化していた僕。
今年(2021年)7月、突然、妻が脳出血で倒れたことで、土日も含めて仕事で埋め尽くされているスケジュールに、“育児・家事”が加わることになった。「子育て戦力外」から、まさか「ワンオペ育児」になるなんて、思いもよらなかった。
ワンオペ育児をスタートさせるにあたって、まずやったのは子どもたちのスケジュールを把握すること。ちょうど夏休み期間中ということもあり、中学受験に臨む小6の娘は塾の夏期講習のまっただ中だった。そこで、塾に通う曜日や時間帯を、娘から聞くことにした。
いっぽう、小3の息子はというと、平日は毎日ゴロゴロしながら過ごしている模様。送り迎えが必要な週に一度のスイミングスクールと、彼にとって一番のお楽しみである、週末の少年野球のスケジュールを教えてもらう。
けれども、子どもたちの日常をまったく知らなかったこともあって、さっぱり頭に入ってこない。そこで、大きめのホワイトボードを購入。僕の予定も含め、それぞれのスケジュールを書き込み、ひと目でわかるようにした。
把握しなければいけないのは、子どもたちの予定だけではない。お金のやりくりもすべて妻にまかせっきりだったので、公共料金や車の駐車場の代金、子どもの塾や習い事の月謝、あとほかに何が必要なのかをピックアップしていく。毎週届く無農薬野菜の宅配サービスが、けっこうな金額であることが判明。料理にこだわっている場合ではないので、一時的にストップすることにした。
わからないことがあれば、その都度LINEで妻に確認。集中治療室にいるというのに、スマホでやりとりできるとは! 便利な時代になったもんだ、と心から思う。
ちなみに、しばらく妻が家に帰れなくなったということは、倒れたその日に子どもたちに説明していた。
一報を受けたときに一緒にいた娘は塾を休み、僕が病院から帰ってくるのを家で一人で待っていた。「脳の病気」「最低でも2ヵ月は家に帰れない」「右半身に後遺症が残る」とストレートに伝えると、「生きているだけでいいじゃん!」とポツリ。心細く一人で僕の帰りを待ちながら、最悪の事態を覚悟していたのかもしれない。
息子は少年野球の練習中だったので、自転車で迎えに行って早退させてもらう。息子に状況を説明すると、「えっ、そうなんだ!? ふーん」と軽く驚く程度。泣き出すかと心配していただけに、思いのほか薄いリアクションに拍子抜けした。
ただ、何を出したか記憶にないその日の晩ごはんを、二人がたくさん残したことだけは覚えている。突然の出来事に対するショックのせいか、僕の味つけのせいかはわからない。
未知との遭遇!令和時代の炊飯器はボタンが多すぎて戸惑う
僕はフリーランスなので、仕事のボリュームは自分次第でいくらでも調整することができる。当初、妻が退院するまで大幅にセーブすることも考えた。ただ、多少の蓄えがあるとはいえ、そう思いきることができない事情が我が家にはあった。
自宅と事務所が入っているマンションは、築50年以上の古い物件。そのため、数年前から建て替えを検討するプロジェクトが進められていた。
もしも、賛成多数で建て替えが決定した場合、今と同じくらいの広さの部屋を手に入れるには、アンビリーバボーなことに4500万円以上の費用負担が! さらに、約4年かかると言われている工事期間中、賃貸物件を借りなければいけないので、引越代と家賃でプラス1000万円以上はかかるだろう。
しかも、保険会社などに確認した結果、妻は入院保険に入っていなかったことが判明。数ヵ月にわたる医療費が、家計を圧迫することも予測された。
切羽詰まった事情から、ワンオペ育児をスタートさせるにあたって、何よりも収入の確保を最優先することに決めた。多少はセーブするものの、それまで通り仕事中心の馬車馬ライフを続けようと思ったのだ。
その結果、妻がいない生活がスタートしてから数日で、自宅はカオス状態に。個人的に、掃除は家事のなかで最も優先度が低かったため、完全スルーすることにしたからだ。
驚いたのは、子どもたちが整理整頓をまったくできないこと。「片付けろや!」「ゴミはゴミ箱へ!」が、僕の口グセになった。そのたびに、「はい!」と陽気な返事が返ってくるものの、部屋はいっこうにキレイになる気配はない。
掃除と違って、日々の食事の用意や洗濯、娘の塾や息子のスイミングスクールの送り迎えは、スルーするわけにはいかない。そのたびに、仕事を何度も中断しなければいけないのがキツかった。
特に、取材があまり入らない夕方から夜にかけては、集中して原稿に取りかかれるゴールデンタイム。自宅と事務所が同マンション内で徒歩20秒の至近距離とはいえ、夕食の準備で30分~1時間ほど仕事の手をとめるのは正直つらかった。
「お腹すいた!」「ごめん!あと1時間待ってくれへんか」というやりとりが、毎日のように交わされる。
家事ビギナーということもあって、最初の頃は失敗の連続。令和時代の炊飯器はボタンが多くて使い方がわからず、いざ食べようと思ったらゴハンが炊けていなかったことがあった。スイミングスクールのお迎え場所を間違えてしまい、30分待っても息子が現れず、誘拐されたのかとあたふたしたこともある。
これらをすべて、何年も一人でこなしていたのか……。大変そうな様子はいっさい見せず、完璧に仕事と家庭を両立させていた妻のすごさがわかった気がした。
失敗を報告するたびに、「ドンマイ!」と明るくなぐさめてくれる娘と息子。もちろん、家事を手伝おうとする気配はまったくない。