社会から置いてけぼりになっていく恐怖
中学入学後の生活は、小学校時代とは大きく変わりました。
小学校では学校とこまめに連絡を取り合っていましたが、中学校の先生との関わりは、どこか淡々としたものになりました。息子のほかにも不登校の生徒が複数いたようで、強く登校を促されることもありませんでした。
担任の先生と顔を合わせるのは学期に1度ほど。ふだんのやりとりは、担任ではなく教務主任の先生が主な窓口になっていました。
家での様子をその都度説明する負担が減り、ほっとした気持ちがあったのは事実です。けれど同時に学校とのつながりが薄れ、息子の存在が社会から少しずつ見えなくなっていくような、なんとも言えない心細さもありました。
息子が学校へ行くのは、テストの日だけ。場所も教室ではなく、校長室です。小学校時代は、放課後に友だちと連絡を取り合って遊ぶこともありましたが、中学生になると、やりとりもほとんどなくなりました。
周りの子どもたちが、部活や友人関係など、それぞれの世界を広げていくなかで、うちの子だけが輪の外にいる。息子だけでなく、私自身も社会から少しずつ遠ざかっていくような孤独を覚えるようになりました。
不登校の中で思春期を迎えたことの難しさ
中学生になり、私が何より戸惑ったのは、息子との距離の取り方です。
部屋に引きこもることはありませんでしたが、もともと口数の多いタイプではなかった息子は、以前にも増して寡黙になっていきました。
息子は思春期に差しかかり、世間から自分がどう見られているか、親やきょうだいにどう思われているかを、以前にも増して気にするようになっていたのだと思います。
話しかけても返ってくるのは、「別に」「わかんない」という言葉ばかり。
けれど不登校という状況が重なっていたことで、私にはそれが思春期によくある変化なのか、苦しさの表れなのか、うまく受け止めることができませんでした。
とくに苦しかったのは、進路のことを話したくても話せなかったことです。中学卒業後のことを考えなければならない時期が近づいているのに、本人が何を考えているのかがわからない。息子は何を不安に思っているのか、どこまでなら話せるのかが見えませんでした。
動き出すタイミングは本人にしかわからない。無理に背中を押して逆効果になるのも怖い。けれど、進路を思うといつまでも待ってはいられない……。「見守る」と「放置する」の境界線がわからず、私は常に揺れていました。
下手に踏み込んで心を閉ざされるのを恐れるあまり、わが子なのに腫れ物に触るような接し方しかできない。そんな自分が情けなく、苦しい時期でした。
































