日本語ができなくても笑いあえた 外国ルーツの子どもが抱える困難と心の居場所

吉川英治文化賞受賞・小林普子さんに聞く「外国にルーツを持つ子どもたちの教育支援」第3回

ライター:太田 美由紀

令和5年度吉川英治賞贈呈式で賞状を受け取る小林普子さん。  写真:講談社写真部

NPO法人「みんなのおうち」代表理事の小林普子(こばやし・ひろこ)さんは、新宿区で20年以上にわたり外国にルーツのある子どもたちの教育支援を続けてきました。

そして、その功績がたたえられ、第57回(令和5年度)吉川英治文化賞を受賞しました。

活動拠点となる大久保周辺は、韓国の店が立ち並ぶ観光スポットとしても知られ、新宿区は住民の10人に1人が外国籍。その割合は東京都23区内でも飛び抜けて高く、小中学校にも多くの子どもたちが通っています。

これまで2回に渡り、その活動の背景にある小林さんの思いや外国にルーツのある子どもたちの様子を伝えてきました。

最終回の第3回は、小林さんと子どもたちとの関わりをご紹介します。その関わりには、子どもたちと共に生きる小林さんの人生も浮かび上がります。

小林さんが大切にしてきた、子どもの権利とはどんなことなのでしょうか。

本当の「こどもがまんなか」社会とはどんなものなのでしょうか。

※全3回の3回目(#1#2を読む)

小林普子PROFILE
こばやし・ひろこ 1948年、愛知県生まれ。NPO法人「みんなのおうち」代表。2000年ごろから日本語・教育支援のボランティアを始め、2005年、NPO法人「みんなのおうち」設立。2007年に外国にルーツを持つ子どもを対象の日本語・学習支援教室「こどもクラブ新宿」を立ち上げ、2017年から居場所「みんなのおうち」を開設、現在に至る。

小林先生は「あなたはダメだ」って言ったことがない

「こどもクラブ新宿」の1期生の渡辺美貴(日本名は通称名、タイ名はジャンペン・ナワポーン)さん(29)は、中学2年生のときにタイから日本にやってきました。今は大手コンビニエンスストアを運営する企業の本社で仕事をしています。

「母が日本人の義父と再婚して日本に来ましたが、来日したときは、ひらがなとカタカナの読み書きができるだけ。

それでも、学校では同級生が漢字を教えてくれ、先生がテストの問題を読み上げてくれるなどサポートをしてくれたので、あまり困ることはありませんでした。

だけどテストでは頑張ってもみんなと同じような点数は取れません。タイでは100点を取っていた教科も10点以下になってしまった。

とても悲しかった。学校では、ノートをたくさん書いて、課題を増やしてもらって成績をつけてもらっていました」(渡辺さん)

合理的配慮が整った学校で、先生も同級生も優しく接してくれるものの、女子のグループにはなんとなく入れない。放課後にお互いの家を行き交い、いろんな話をする友達ができたのは、義父の勧めで通い始めたこどもクラブ新宿でのことでした。

「みんな日本語もたどたどしくてあまり話せませんでした。でも、勉強の前に少し早目に集まってスポーツをしたり、休憩時間にお菓子を食べながらおしゃべりしたりするのが本当に楽しみだった。

学校は行かなきゃいけないところ。こどもクラブ新宿は、みんなにとっての心の居場所です」(渡辺さん)

集中してみんなで勉強した後は、おやつを食べながらおしゃべりも。「こどもクラブ新宿」が休みの日は居場所「みんなのおうち」に集まって勉強する。  写真提供:みんなのおうち

こどもクラブ新宿に行くと両親も安心する。両親に言えないこともそこでできた友達には話せる。小林さんは、そこに通う子どもたちのモデルとなるような先輩の話を聞く機会も多く設けていました。

「外国にルーツのある高校生を呼んでくれて、いろんな体験談も聞かせてもらいました。

学校選びや受験までの勉強の仕方、高校に入ってからのこと。進路のこと。進路を考えるときも、小林先生は一人一人をよく見てアドバイスをくれました。

コミュニケーション能力があるし将来はこういう仕事ができそうだからこの学校がいいとか、スポーツができるからこの学校がいいと思うよって。その子だからできることを最後まで一緒に考えてくれる。小林先生の前では本当の自分でいられます」(渡辺さん)

多感な中学時代は、子どもたちの心のバランスが崩れることもあります。

「思春期になると、家族とうまくいかなくなったり、引きこもってしまったり、少し間違った道に進みそうになったりする子もいました。

でも、小林先生は『あなたはダメだ』って言ったことがない。

『最近○○ちゃん大変みたいだから、ちょっと話聞いてあげて』ってその子が仲のいい友達に頼んだり、少し上の同じ国のルーツを持つ先輩を紹介してくれて、遊びに連れ出して話を聞いてもらえるように頼んだりしていました」(渡辺さん)

いつでもフラッと立ち寄れ安心して過ごせる場所が必要

子どもたちが中学を卒業しても、小林さんとの関わりは終わりません。

子どもたちが大人になっても、日本で生きて行くためには、いくつもの課題が待ち受けています。

就学、進路、就職、ビザ、虐待、教育問題、家族問題などの相談を受け、必要があれば行政や弁護士などの専門家ともつなぎながら解決を図ります。行政の外国人相談窓口に直接相談に行ける人はとても少ないと言います。

「これまで関わってきた子の中には、夜の街に出ていってしまった子もいたし、私たちの力では助けられなかった子もいます。家庭環境を苦に自殺してしまった子もいました。

子どもたちが置かれている環境は本当に厳しい。勉強したくても家に勉強する環境がない子や、家に居場所がない子のために、いつでもフラッと立ち寄って安心して過ごせる場所、親も気兼ねなく相談できる場所が必要です。

そういう場所にするために、居場所『みんなのおうち』を作りました」(小林さん)

大人数を対象にした子ども食堂は休止中だが、コロナ禍も週に3回、5~6人の食事を小林さんが自宅で作って「みんなのおうち」へ運び、提供を続けてきた。  写真提供:みんなのおうち

「寄付や補助金に頼っての活動で、大変じゃないって言ったら噓になるけど、もうすぐ後期高齢者になる私にも中学生や高校生が本音で話してくれる。

就職した卒業生の女の子たちがご飯に誘ってくれたり、お付き合いしているパートナーを紹介してくれたりすることもあります。それはとても楽しい時間です。

これまで出会った子どもたちを通して世界中の文化に触れることもできたし、自分の中の偏見にも気づかされてきました。

自分が若いときに描いた夢とは全然違う人生だけど、やったことって絶対無駄にはならない。描いていた夢よりも、こっちのほうがより人間的だし、これでいいんじゃないかな」(小林さん)

小林さんは今年75歳になりますが、これからやりたいこともまだまだあるようです。

「私が関わった子どもたちの中で大学に進学したのは3割。就職した残りの7割のうち、ほとんどが非正規で働いています。これからはキャリア教育もしっかりしていきたい。

みんなどこかで、日本社会を支えているのは外国人だということを忘れてしまっている。コンビニのお弁当が安いのも、ワイシャツのクリーニングが安いのも、低時給で働いてくれている労働者のおかげです。そこにはたくさんの外国人労働者がいます。

若年労働者が足りないというのなら、外国にルーツのある子どもたちを日本社会がしっかりと育ててほしい。そう願っています」(小林さん)

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