国語9点の子が大学院に進学 外国人ルーツの子どもが本当に欲している大人とは

吉川英治文化賞受賞・小林普子さんに聞く「外国にルーツを持つ子どもたちの教育支援」第2回

ライター:太田 美由紀

NPO法人「みんなのおうち」代表理事の小林普子さん。  写真:村田克己(講談社写真部)
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NPO法人「みんなのおうち」代表理事の小林普子(こばやし・ひろこ)さんは、東京新宿区で20年以上にわたり、外国にルーツのある子どもたちの教育支援を続け、第57回(令和5年度)吉川英治文化賞を受賞しました。

3人の子育てに奔走し、一息ついた50歳を過ぎたころ、ふと目にしたある新聞記事をきっかけにNPO法人「みんなのおうち」を立ち上げました。

東京都新宿区の大久保地域で日本語と教育支援の教室「こどもクラブ新宿」の運営をスタートさせます。それ以来、外国にルーツを持つ子どもたちの課題にていねいに向き合ってきました。

その活動の裏に、小林さんのどんな思いがあったのか。外国にルーツのあるこどもたちの日常がどんなものであったのか。

全3回にわたりお届けし、私たちが目指すべき「こどもがまんなか」の社会とは何か、「こどもの権利」とは何かに迫ります。

第2回は、10年以上前に小林さんのもとに通っていた当時の子どもたちの視点を交え、小林さんの活動を詳しくご紹介します。

※全3回の2回目(#1を読む

小林普子PROFILE
こばやし・ひろこ 1948年、愛知県生まれ。NPO法人「みんなのおうち」代表。2000年ごろから日本語・教育支援のボランティアを始め、2005年、NPO法人「みんなのおうち」設立。2007年に外国にルーツを持つ子どもを対象の日本語・学習支援教室「こどもクラブ新宿」を立ち上げ、2017年から居場所「みんなのおうち」を開設、現在に至る。

おかしいと思うことをそのままにしたくない

「新宿区で日本語がわからない親が、子どもに予防接種を受けさせることができていないという新聞記事が目に止まりました。

2003年ごろです。子どもの権利が、子どもの命が守られていない。おかしいと思いました」(小林さん)

同時期、小林さんはたまたま見つけた「ボランティアのための日本語教授法」という講座(財団法人 新宿文化・国際交流財団〈現・公益財団法人新宿未来創造財団〉主催)を受講し、日本語を教えるボランティア活動を始めます。

そして、講座を終えた仲間たちと共に「新宿 虹の会」を立ち上げ、新宿区の委託を受けて託児付きの親子日本語教室にも取り組みはじめました。

あるとき、その日本語教室に来たお母さんから、「日本語ができなくていじめにあっている小学生がいる」と耳にします。

「会いに行くと、フィリピン出身の男の子でした。お母さんも本人も日本語は全く話せません。学校でいじめに遭い、不登校になっていました。

私のつたない英語でやりとりして状況を確認し、その子が通う小学校に出向いて担任の先生と話をしました。

その先生は、『新宿区では日本語を初期指導で50時間教えているのに、ちっとも日本語ができるようにならないのはその子の努力不足だ』と言うんです。

さんざんその子の悪口を言った挙げ句、『ところであなたは何をしてくれるんですか』と言われました。

どうして日本語ができないだけで先生にも理解されず、いじめに遭わなければならないのか。その場の勢いで『私が面倒を見ます』と言ってしまいました」(小林さん)

目の前の子どもの課題を共に考え走り続けてきた

言ってしまったからにはやるしかない。小林さんはすぐに動きました。

家の近所の児童館の一角を借り、その子に日本語を教え始めると、その様子を見た外国にルーツを持つ中高生や口コミで知った親たちに声をかけられるようになりました。

「日本語教えてくれるんですか」
「私も教えてほしい」
「うちの子もお願いします」

「そのころ、私はまだ、日本語ができず困っている子どもが新宿区にたくさんいることも知らなかった。次々と困っている子どもたちがやってくるので、新宿って一体どうなっているんだと驚いたものです」(小林さん)

小林さんは2005年にNPO法人「みんなのおうち」を立ち上げ、2006年に新宿区の協働事業提案制度に採択され、日本語・学習支援教室「こどもクラブ新宿」は本格的にスタートしました。

「最初に出会ったそのフィリピンの男の子が私を導いてくれました。年齢を重ねるごとに子どもが抱える問題は変化していきます。

目の前の子どもたちがさまざまな課題にぶつかるたび、私たちも共に考え、走り続けてきました」(小林さん)

「こどもクラブ新宿」以外にも、小林さんのNPOが運営する居場所「みんなのおうち」で勉強をする子も多い。  写真提供:みんなのおうち

最初は「日本語を教えればいい」と考えていた小林さんでしたが、子どもたちの状況もさまざまでした。

両親が共働きで帰りが遅い、母子家庭、家に勉強できる環境がない、食事をしていない、勉強中にも親から呼び出され通訳として同行させられる。高校受験、進学、就職、国籍やビザがない──。

課題は次から次へとやってきます。目の前の子どもたちにその都度伴走したことで活動は広がり、後に続く子どもたちがぶつかる課題にも少しずつ応えられるようになっていきました。

「日本語がわからないお母さんがいれば、保護者会やPTA活動にも同行しました。当時、日本国籍を持たない子どもたちは中学校就学に申請も必要で、申請手続きもサポートしました。

中学になると高校受験も現実味を帯びます。100点満点の定期テストで2点をとったと聞けば教科学習もはじめないわけにはいきません。

自然体験が乏しい子どもたちが多かったため、家族も含めて50人ほどのツアーを組んでバスを借り、キャンプやスキーにも出かけました。夜は親たちと子どもたちの教育について語り合ったものです」(小林さん)

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