2021.08.09

ブロガーのカータン 台湾で買った「トットちゃん」と40年ぶり再会秘話

80年代台湾 "金儲けの神様"が作った日本語書店で小学生が本好きに

著者:カータン

読書がきらいな小学生だったカータンさんが、無類の本好きになったのは……

『健康以下、介護未満 親のトリセツ』などの著作や、笑えるブログが人気のカータンさん。

長女が小学1年生の夏、39歳で1590gの次女を出産。高齢出産、低体重児の情報がほしかったことから自分で発信をはじめたのが、ブログ『あたし・主婦の頭の中』でした。

その次女も元気な中学生になり、カータンさんが子どものころ読んだ、あるなつかしい本を読んで盛り上がったそうです。

実は、小学5年生から中学3年生までを台北で過ごしたカータンさん。
そのなつかしい本、『窓ぎわのトットちゃん』との出会いを教えていただきました。

父の仕事の関係で、小学校5年生から中学3年生までの多感な時期を台湾で過ごした。

台湾といえば、親日のイメージがあるが、私がいた1980年頃は、今とはかなり違っていた。
父からは「外で大きな声で日本語を話してはいけない」と教えられていたし、マンションの同じ歳の男の子は、私が挨拶してもいつも目を合わせてもくれずそっぽを向いた。

でも、その一方で、私が日本人だとわかると、流暢な日本語でニコニコ話しかけてくる年配のおじさんやおばさん。

どういうこと? 

子どもの私には、台湾ってなんだかよくわからない、とても不思議な場所だった。

大人になってわかったのだが、私がいた頃の台湾は、戦後長く続いた戒厳令の時代。
太平洋戦争後、それまで統治していた日本が引き上げ、代わりに中国大陸からやってきた外省人(中国人)によって台湾は治められていた。
大陸からきた外省人と、日本統治時代を知る本省人とでは、対日感情も一様ではなかったのだ。

台北に、日本語の本屋さんができた! 邱永漢さん、ありがとう

そんな台湾で、私は読書の楽しみに目覚めた。

今のように日本の衛星放送もDVD、もちろんインターネットもない。
日本人学校に通っていたが、近所に遊ぶ友だちもいなかった私は、学校から帰ると暇を持て余していた。

日本にいた頃は、読書なんて大嫌いで、それこそ夏休みの読書感想文などは、裏表紙に書かれたあらすじをヒントに書いていたくらいなのに。

要するに、本を読むくらいしか楽しみがなかったわけだ。

日本人学校の薄暗い図書室には、だれもが一度は聞いたことがある世界名作児童文学や偉人の伝記などが置いてあった。
それを手当たり次第、借りてきては読み漁った。
ためにはなるし、それなりに感動もするけど、いつも私は心の中で叫んでいた。

『もっとおもしろい本が読みたいのにィーーー』

当時の台北日本人学校の写真。アパートを買い上げて改装した校舎で、1フロアー2部屋しかない建物が点在していた。
(出典 昭和58年台北日本人学校校舎落成記念誌)

そんな折、うれしい出来事が起こった。
家の近くに日本語の本を扱う本屋さんができたのだ。

金儲けの神様として有名な、あの邱永漢さんが作った本屋さんだ。

うれしかったが、子ども心に心配だった。

いつも日本人でいることを後ろめたく感じているこの台湾で、日本の本を売って商売なんてしちゃっても大丈夫なの? 
見つかったら大変なことになるんじゃないの? 

でも、好奇心には勝てず、ドキドキしながら本屋さんに行ってみた。

入口もわからない秘密の隠し部屋みたいな場所を想像していたが、電気が煌々とついた日本の本屋さんがそこにはあった。

学校の図書室にあるカビ臭い古い本とは違う、新しい本のインクの匂い。
日本で話題の新刊もアイドル雑誌も漫画もなんでもあった。

うれしくってうれしくてスキップしながら店内を駆け回りたい気分だった。

カータンさんが通っていた書店は、「永漢国際書局」。直木賞作家・邱永漢さんが祖国台湾に作った、日本語の本を扱う書店で、いまも同じ場所にある。
永漢国際書局 
住所:中山北路一段152号3楼(中山北路と南京東路の十字路に立つビルの中にある)

「待ってたよ、トットちゃん!」

それから私は、毎日のようにそこに通い、読みたい本を買った。

今思えば、決して安くはなかっただろう。
でも、テレビを観る楽しみもない生活を気の毒に感じたのか、それとも読書好きになった娘を嬉しく思ったか、両親は、本だけはいくらでも買ってくれた。
こうして、私はすっかり読書大好きの少女となった。

そして、私が14歳の時だった。
新聞を読んでいた母が教えてくれた。
「今、『窓ぎわのトットちゃん』という本が日本で大ベストセラーになっているんだって! 黒柳徹子さんの子ども時代を書いた本らしいわ」

母からその話を聞いた私は、次の日から本屋さんに行くと、必ず『窓ぎわのトットちゃん』の本を探した。

まだない、まだ来てない……ヤキモキする日々を過ごしながら、ついに、いわさきちひろさんのかわいい表紙の本を見つけたのだ。
「待っていたよ、トットちゃん!」
抱きしめながら、家に走って帰った。

ちょっとみんなと違う風変わりな女の子トットちゃん。
電車の校舎のトモエ学園、どんなことをしてもいいところを引き出してくれる校長先生とトモエ学園の仲間たち。

自分の持っているイメージとはあまりにもかけ離れた学校に、ワクワクした。
学校で母のお弁当を食べるとき、心の中で「海のもの、山のもの」と言いながら食べたりもした。
こんな学校に通っていたら、どんなに楽しいだろう! 
でも、戦争がトモエ学園を奪ってしまう。

楽しくて、でも、ちょっぴり切ないお話だった。

台湾から帰ってきていた私の「トットちゃん」

そして、今年、ネットニュースで『窓ぎわのトットちゃん』が刊行され40周年になることを知った。

「トットちゃん」の文字を目にした途端、読書に夢中になった台湾の日々を懐かしく思い出すとともに、もう一度「トットちゃん」に会いたくなった。
買い求めようと思った時、頭に過ったのは、実家の本棚だ。

私が台湾を去った後も、さらに15年ほど台湾で生活していた親は、すごい荷物とともに日本に帰国してきていた。
台湾で買い集めた金銀財宝を運んできたのかと思いきや、こんなものまで? と驚くようなものばかり。
私の友だちとの交換日記やそれこそ中間テストまで!

もしかすると、私の『窓ぎわのトットちゃん』も一緒に連れて帰ってきてくれたかもしれない!

実家に行くと、すぐにトットちゃんは見つかった。
他の本よりちょっと黄ばんだ背表紙が目印だった。

台湾から日本に戻ってきたカータンさんの『窓ぎわのトットちゃん』。
いまもまったく同じ形で、売られています。

『窓ぎわのトットちゃん』(文:黒柳徹子 絵:いわさきちひろ)

ページをめくれば、あの頃と変わらない天真爛漫なトットちゃんがひょこり私の前に現れた。

でも、当時はあまり気にも止めなかったトットちゃんのお母さんの心の広さが心に沁みた。
そうか、私も母親になったということなのだ。

テーブルに置いておいた本を見て、次女が興味を持って聞いてきた。

「ずいぶん、古い本だね」
「ママが今のあなたと同じ歳の時に読んだ本よ」

そう教えてあげると、次女は早速、手に取り読み始めた。

なんだか不思議だ。14歳の私が読んでいた本を今、14歳の娘が読んでいる。

「えーこんな小学校、最高じゃない? もしあったら、私も通ってみたかった」

あの頃の私がそこにいるような気がした。

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著者紹介

カータン カータン

ブロガー、エッセイスト。
小学校5年生から中学3年生までを台北で過ごす。
客室乗務員となる。
1994年に結婚、1998年に長女を出産。
長女が小学1年生の夏、39歳で1590gの次女を出産。
高齢出産、低体重児の情報がほしかったことから、自分の体験をブログで発信。
著書多数。