ジャーナリスト・なかのかおりさんによる、子どもの居場所についてのルポルタージュ連載。
「日野すみれ塾」の2回目は、代表を務める仁藤夏子(にとう・なつこ)さんのお話です。
仁藤さんは、2歳・7歳・11歳の3児のママ。幼少期は、貧困家庭で育ち、小さなころから家事をするヤングケアラーでした。苦労はしたけれど、助けてくれる人との出会いもたくさんあったというそのライフヒストリーと、無料塾である「日野すみれ塾」を始める経緯を話してもらいました。
(全3回の2回目。1回目を読む)
小学校1年生のときから家族の夕飯を作っていた
2017年に、東京都日野市で無料塾「日野すみれ塾」を始めた代表・仁藤夏子さん。子育て真っ最中の3児の母親でもあります。
「『日野すみれ塾』を始めたきっかけは、過去の自分自身の体験が大きかった。というのも、私は貧困家庭で育ったんです。母親は、私が幼いときに離婚して家を出ていきました。
父は不規則な仕事をしていて、アルコール依存症でした。自分では、認めていませんでしたけど……。仕事柄、不在がちで、ほとんどの日々を姉、兄、私の子どもだけで生活していました。
姉も兄も、複雑な家庭で育った影響なのでしょうか、いまだに心身に問題を抱え、現在、生活保護を受けています。
末っ子である私は、小1のときから、家族の夕飯を作っていました。それが当時は、自然なことだと思っていて。ある日、友達が遊びに来たとき、私が『お昼は、月見うどんでいい?』と聞いて、ささっと作って出したんです。すると友達はびっくりしていて……。確かに普通の小学低学年の子が、そういうことはしないですよね」(仁藤さん)
そんな仁藤さんは、自身の“アグレッシブな性格”に救われたといいます。小さいころは、本を読むことで、親との会話がない部分を補ったり、親戚のおばさんの家でおしゃべりしたり、図書館や児童館に行ったり。辛いことがあっても、逃げる場所がありました。
「でも、姉や兄にはそうした場がありませんでした。それでいまだに苦しんでいます。小さいときに、会話してコミュニケーションを取り、正してくれる大人がいないと、考えが凝り固まってしまうんです。
『日野すみれ塾』には、勉強習慣が身に付いていない子や、親がシングルで勉強を見てもらえていない子が来ます。知識というのは、好奇心や日々の会話から生まれると思います。ちょっとした疑問に答えられる大人が、そばにいるということが大事なんです。
さっきも息子に、『お腹が減ったら、なんでぐーってなるの?』と聞かれて、ネットで調べて答えていたんですけど、そういう積み重ねが必要なんだと思います」(仁藤さん)
人生をあきらめないで気にかけてくれる大人の存在
仁藤さんは、たくましく生き延びてきたようでいて、小学生のとき、不登校でした。しかし、そんな状況でも、気にかけてくれる大人がいました。
「小学校のとき、学校の先生と合わなかったんです。それに当時、うちにはお風呂がなくて、銭湯代もなく、学校で臭い、とからかわれたこともありました。宿泊学習があるときには、『頭にシラミがいて来られないでしょう』と言われたり……。そんなこともあって、不登校になってしまいました。
でも、喘息で通っていた病院の先生が、私のことを気にかけてくれて。先生に『シラミはいないと診断書を書いてください』と自ら頼んで、書いてもらいました。たくましいでしょう?」(仁藤さん)
中学生になると、周りの人や環境が変わり、仁藤さんは学校に通えるように。そこで出会った保健室の先生が、親代わりのサポートをしてくれました。
「中学生のときも、相変わらず家事は私がしていて、遠足のお弁当も作っていました。この保健の先生も、兄や姉から、私がヤングケアラーであることを聞いていたと思います。
兄や姉も、小学生のころまでに、私のようにサポートしてくれる大人に出会えたら、人が信じられるようになったかもしれません」(仁藤さん)
そして父は、仁藤さんが中学3年生の2学期、高校受験を控えた時期に家出してしまいました。そのとき、仁藤さんは「ああ、終わった……」と絶望したと言います。
「そんな状況でしたが、保健室の先生が、受験料を立て替えてくれて、都立高校の推薦を取ることができました。
この保健の先生とは、今でも家族ぐるみでお付き合いしていて、先生に出会えて、私は本当に人に恵まれているなと思います。家族以外で、その子の人生をあきらめない大人がいるのは、本当に大事なことだと思います」(仁藤さん)