地震に備えたい 311のとき東京で小さな子がいた親たちの行動とは 

小さな子がいるといざというときに身動きがとりづらい。準備しておくべきことを聞きました。

ライター:山本 奈緒子

どんな備えが必要になる?

東京でも震度5が起きた東日本大震災 どういう状況だった?

2011年の東日本大震災から11年が経過しました。

あのとき生まれた子どもたちは、はや11歳になります。

その震災が起こった時、東京でも震度5強を観測しました。

東北地方や北関東の甚大な被害とは比べようもないですが、東京にいても、生まれたばかりの赤ん坊を抱えていたり、妊娠中だったりした母親たちは、不安な日々を過ごしました。

当時の切迫した思い、そしてそれが今にどう生きているかを取材をしました。

『震災を機に家も持ち物も身軽に』 浅田えりさん(44歳)

震災が起こったとき私は2人目を妊娠中で、産休に入る直前でした。その少し前に都内にマンションを買ったところだったのですが、震災で世の中がぐちゃぐちゃになって、このまま赤ん坊を抱えて今まで通りに仕事をしていけるのだろうか、という不安が一番にきました。

夫は同業者だったので、私の仕事がダメになるなら夫だってどうなるか分からない。放射線の問題もあったし、そもそも東京に住み続けることができるんだろうか、という不安も……。
そのとき思ったのが、「持ち家ってすごく不自由だな」ということでした。収入が減ったらローンを返していけないだけでなく、自由に住む場所を変えることもできない。

それで本気でマンションを売って賃貸物件に移ろうと考え、震災直後は一日中物件検索をしていたほどです。
持ち家のデメリットを考える。
結局マンションに関しては、賃貸だとどうしても分譲物件よりグレードが下がることもあって、断念しました。だんだん社会が落ち着いてきて、無事に仕事に復帰できたというのもありましたが。

ただその2年後、当時のマンションは売って、駅近でいつでも売れそうなマンションに引っ越したんです。いざというときにはすぐに手放して移動できる、と思ったら、ちょっと身軽な気持ちになれましたね。
当時は、マンションに限らず、家にはとにかくたくさんの物が溢れ返っていました。夫は趣味人なので、バイク、自転車、ギターなど……。

こんなに持ち物が多いといざというときに身動きがとれない、ということも反省して、その後夫にはかなり断捨離をさせました。

10年かけてバイク3台、自転車5台、ギター10本。最近また、剣道というかさばる趣味を始めたのですが、まあこれ1つだけになったのでまだマシです。

そうやって、できるだけ物は増やさないよう気を付け続けています。震災は忘れた頃にやってくると言いますから……。
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