左手に障がいを持つスキンケア研究家・三上大進インタビュー「幸せに生きることが母の十字架を下ろせる唯一のこと」
初エッセイ「ひだりポケットの三日月」を出版記念インタビュー #1
2024.08.11
インタビューでは、圧倒的な明るさでどんな質問にも丁寧に誠実に答えてくれました。今回は、そんな三上さんを育てた母親との関係について語っていただきました。
「セーラームーンになりたかった」
「この性格は小さなころから。昔のホームビデオを見ると1歳とか2歳のとき、まだ言葉も喋れないのに、ずっと大人の会話に入っているんです。とにかく喋っている子でした。人見知りもまったくなくて、街中ではいろんな人からすぐ『抱っこさせてほしい』って言われるほど可愛がられたと聞いています。でも大人になった今では、抱っこはおろか、声をかけてもらうことすらありません(笑)
『美少女戦士セーラームーン』になりたくて、幼稚園にあったスカートをはいて、女の子のお友達とセーラームーンごっこをしたりしてました。そのころ短冊に書いていた将来の夢は、セーラーヴィーナスか王子様になること。カレーの王子さまってありましたよね。あれが本当にかわいくって!」
「空気の読める子だった」
「よく覚えてるのは年長さんくらいのときのお誕生日会。『お友達、誰呼びたい?』って男の子の友達の名前を確認されました。母は私を心配してたんだと思います。そんな母に気を遣ったり、空気を読まなきゃって思う節は、当時からうっすらとありました。
母が私の障がいのことですごく苦しんでることを知っていたので、これ以上母を苦しめてはいけないし、あまり十字架を背負ってほしくないと、思いながら幼少期は過ごしていました。
人との違いに苦しんだり、左手を隠したかった気持ちも、なるべく母に悟られないように。そう生活してきました」
──4歳のときに、「おてて、みんなといっしょがいい」と言うと、お母さんは「年長さんになったら、生えてくるかな」と答えたというエピソードがせつなく、涙がこぼれました。
「私が高校生になってからも、たまにふとした瞬間に『その手に産んでしまったこと、ごめんね』と言うことがありました。私が思ってるよりもずっと、母は長い間、責任感や申し訳なさで苦しんでたんだろうなと思います。
でも、これ以上私の左手のことで悲しまれても、こちらもこちらで迷惑というか、普通に生きてるだけなので。そんなに悲しまれてしまったら、むしろ『ごめん、生まれてきて』って気持ちになっちゃいます。だったら自分が毎日ハッピーに生きるのが私にできるベストなのかなって。ありのまま健康に元気よく幸せに楽しく生きることが、たぶん母の十字架を下げられる唯一のことなのだと思いました」
厳しかった母の優しさ
「左手の違いで不利にならないように、一般的な教養や礼儀作法等々は厳しくしつけられました。でも、左手のことで落ち込むようなことがあったりしたときは、全力で私の味方でいてくれました。
あと、自分の自己肯定感が下がってしまうようなとき、全力で守ってくれた記憶があります。私は運動神経がめちゃくちゃ悪くて、体育の成績も悪くて、球技大会とかも活躍できなかった。でもうちの母は『球技できなくても、死なない』って(笑)。
絵も絶望的に下手で、放課後、学校に居残りさせられたりしたし、コンクールで何の賞ももらえなくて、すごいショックを受けたときもありました。そんなとき母は、『こんなに色彩豊かな絵は見たことない! この絵が評価されないなんて、先生も困ったものね!』と言ってくれました。
ただ私は、すぐ調子に乗っちゃうところがあって、そうなるとだいたい失敗するんですよね(笑)。そういうときの母はとても厳しかった。テストで良い点をとっても、(静かなトーンで)『これにおごり高ぶらず、引き続き努力をするように』と言われていました」
げんき編集部
幼児雑誌「げんき」「NHKのおかあさんといっしょ」「いないいないばあっ!」と、幼児向けの絵本を刊行している講談社げんき編集部のサイトです。1・2・3歳のお子さんがいるパパ・ママを中心に、おもしろくて役に立つ子育てや絵本の情報が満載! Instagram : genki_magazine Twitter : @kodanshagenki LINE : @genki
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