脳出血になった2児ママが退院!後遺症とともに再開した子育てとその暮らし

脳出血で緊急入院!【ワンオペママの闘病記】#6 ~退院後、そしていま~

ライター:萩原 はるな

娘の中学受験 志望校合格率は30%!!

年が明け、娘の中学受験に向けての正念場となってきた。試験日は2月の頭。12月の模試の結果は、志望校の合格率30%とあって衝撃を受ける。何、この無理ゲー!?

夫と娘はたくさん話し合った挙げ句、社会と理科を捨てて国語と算数での受験にしぼっていた。娘の志望校は1校だけ。そこが不合格だったら、近所の公立中学校に通うことにした。

クラスメイトの半数は公立中学に進学するだけに、「落ちてもみんなと一緒だし、どっちでもいいんだよね」と娘。もっと必死になってくれ~!

1月の頭に、コロナでのびのびになっていた学校見学に行く。杖と装具で駅から学校まで歩くのは大変だったけれど、娘は私と見に行くことを希望。

行ってみて、「やっぱり、この学校に行きたい」と娘の意欲がアップしたようだ。そうだよね、実際に行って、先生や先輩たちに会わないと、どんな学校なのかリアルにわからないよね。

それからは毎日、ひたすら塾の先生や私と一緒に過去問に取り組む日々。食塩水の濃度や、複雑な扇型の面積や周りの長さの求め方は、すっかり完璧になってしまった(私が)。

前日までつきっきりで苦手な算数に取り組んで、ついに試験当日の朝を迎えた。

2人で5時に起き、志望校へ向かう。寒い体育館で、たくさんの保護者たちと待機。後遺症が残る右手右足が、寒さでこわばって動きにくい。

椅子の上でモゾモゾ動きながら、「周りの保護者はライバルであり、もし受かったらママ友にもなり得るんだなあ」と不思議な気分になる。

試験が終了し、娘は「できたと思う」と珍しく自信がある様子。

合否は当日の夜、学校の特設ウエブページで発表される。「私が見る!」と私ののぞいていたノートパソコンを娘が横から取り、番号が並んでいるページを凝視する。

「あった! あったよ、おかあさん!」。

見ると、娘の番号が確かにあった。30%から、よくぞここまで……。やればできるんじゃん。なら、もっと早くやってくれよ~。

でも、突然私がいなくなった夏からここまで、よく頑張ったなあ。泣くまいと思っても、この夜はなかなか涙が止まらなかった。

娘が4月に入学し、6時前に起きてお弁当をつくる生活がスタート。ここまで料理は復活した。包丁でのゴボウの千切りは、まだまだハードルが高く、きんぴらはスライサーで。  写真:萩原はるな

装具と杖を卒業! 大変なことだらけだけど人生は続く

娘は無事中学校に通い始め、息子は小学校4年生に進学。わが家は、以前とほぼ変わらない生活を取り戻しつつあった。

右足は少しずつ筋力を取り戻し、ちょっとの間なら右足で片足立ちができるように。こうなると、着替えがずいぶんラクになる。

1月には「もう、足の装具はつけなくても大丈夫ですよ」と退院後からリハビリに通っている近所の病院の理学療法士に言われた。

それまでは出かけるときは必ずつけていたが、あるとき、思い切って外したままの外出にチャレンジ。杖に頼る比重は大きくなったものの、問題なく歩くことができた。これで、スニーカーやムートンブーツなど普通の靴が履ける~!

その後、4月の終わりには杖を卒業できた。

なにせ、右手が思うように動かないため、左手で杖を持っていると荷物が持てないし、傘もさせないのだ。会計時にお金を出すのもひと苦労なので、杖がなくなって本当に自由度が上がった。

ただし、そうなると「足は少しひきずっているものの、ほぼ健常な人」に見える私。立ち続けるのはつらいし、階段はよちよちしか昇り降りできず、「遅いな、コイツ」のような目で見られることもしばしば。歩きスマホをしている人にぶつかられて、危うく転びそうになったことも(悲)!

まだまだ回復しなければ、と毎日のように思わされている。

ある日の夕飯。大根はとりあえず半分に切り、平らな面を下にして切れば、左手でも切れる。ただ徐々に、右手で包丁が握れるようになっていった。  写真:萩原はるな

さらに大変なのが右手だ。握力は18まで上がったものの、力が持続しないし、それぞれの指を別々に動かすことが難しい。そしてすぐ疲れてしまう。

今後の課題は右手で字を書くことと、箸でごはんを食べるようになること。まだまだ不器用な左手と、不自由な右手での生活は続くのだ。でも、少しずつできることは増えている、と思う。

できないことを考えても仕方ないので、できることにフォーカスしながら生活するようにしている。ただ、以前とくらべると、着替えや料理、出かける準備、仕事などの作業は1.5倍ほど時間がかかるようになった。

そうやって日々、奮闘する私の姿を見て、子どもたちも「いざというときに頑張れる力」を養っていってくれるといいなあ。

正直、とっても生きづらくなった私。だからせめて、そのくらいの望みをもってもいいんじゃないだろうか、と密かに願っている。

自転車にも乗れた! でもこの後、2回転倒。電動自転車は重すぎて、弱々しい右足では支えきれないことが判明。課題はいっぱいあるけど、できることは確実に増えている。  写真:萩原はるな

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はぎわら はるな

萩原 はるな

ライター

情報誌『TOKYO★1週間』の創刊スタッフとして参加後、フリーのエディター・ライターとなる。現在は書籍とムックの編集及び執筆、女性誌やグルメ誌などで、グルメ、恋愛&結婚、美容、生活実用、インタビュー記事のライティング、ノベライズなどを手がける。主な著作は『50回目のファーストキス』『ハピゴラッキョ!』など。長女(2009年生まれ)、長男(2012年生まれ)のママ。

情報誌『TOKYO★1週間』の創刊スタッフとして参加後、フリーのエディター・ライターとなる。現在は書籍とムックの編集及び執筆、女性誌やグルメ誌などで、グルメ、恋愛&結婚、美容、生活実用、インタビュー記事のライティング、ノベライズなどを手がける。主な著作は『50回目のファーストキス』『ハピゴラッキョ!』など。長女(2009年生まれ)、長男(2012年生まれ)のママ。