成長の見通しを立て「眺める」のがポイント
子どもをちょっと客観的に見る機会というのは、意外に少ないものではないでしょうか。眺めてみて、じっくり次の手を考えつつ、自分から気づかせる方向づけをするのです。
このときに気をつけるべきことは、あれがダメ、これがダメだとネガティブに眺めないことです。「どうすればよくなるだろう」とプラスに考えるとよいでしょう。
子どもが成長するために引っ張り上げる計画を考える。子どもの長所を見つけ出す。「眺める」ことで、そんなことを考える時間にしてみることができます。
私自身も「眺める」ということを意識して以来、子どもがちょっと間違ったり、失敗したりしたあとにもうまく対応することができるようになりました。成長過程にある子どもたちは、間違うことがあります。このとき、「見る」のではなく、しっかり「眺める」のです。
教室で子どもたちがケンカした際、私は多くのケースでこう声をかけてきました。
「あなたらしさが出ていないよ」
ケンカだって子どもが社会に出て行く過程で起こりうることなのです。後にくわしく書きますが、眺めるためには、家庭でも学校でも成長の見通し、ゴールがわかっていることが大切です。そういう安心感のもとでこそ、子どもはらしさを発揮できます。
私はさらに、トラブルを起こした子どもにこう声をかけることも多かったです。
「いいよ、頑張ってるからね。ずっと見守ってるからね」
子どもを叱るときにも、これが「よくなるためのもの」とはっきりと伝えるのです。
ではこの「よくなるため」の「ゴール」とは何なのか。次の項目で説明しましょう。
「公」に出ていく子どものためにできること
何のために子どもを眺めるのか。子どもが「公」に向かっていくためです。本章の内容でも軸になるものです。
「公」という単語はよく、「家庭」ともセットで使われることもあります。英語のほうがなじみ深いでしょうか。「パブリックとプライベート」です。
公、つまりパブリックは、「他者と共有し合う空間」ですから、そこにふさわしい言動が求められます。子どもたちにとって最初に出合う「公」が教室です。私はここを「一人ひとりの個人がおたがいを大切にしつつ、集団社会をつくっていくべき場所」と捉えています。
子どもたちは小学校の教室から、より多くの地域から子どもが集まる中学校、高校などを経て、社会という公に飛び出していきます。時に日本を飛び越え、世界に出ていく子どももいるでしょう。
ただ「公」という言葉は少し難しいものでもありますよね。言い換えるのならこういうことだと思います。
「家族以外の人がいる場所」
「多様な人たちがみんなで幸せをつくらないといけない場所」
自分とは違う、さまざまな違いがある人たちがいる場所です。いろんな考えがあるから、それに見合った立ち振る舞いをしなくてはなりません。
最近は日本の考え方だけではなく、人種や言語、民族といった多様性も考える状況が増えているでしょう。そういったなかで、子どもにとって最初の「公」が教室なのです。
振る舞い、というのは大きく分けて4つの行為が中心になると考えています。
あいさつをする
お礼を言う
お詫びをする
お願いをする
まず、できることは朝会ったときにあいさつをする、ということですよね。それが子どもが公に出ていくにあたって大切なのだと。
ただし、私も教室でこの次の「お礼」「お詫び」「お願い」の理解を子どもに浸透させることには頭を悩ませました。矢継ぎ早に公にふさわしい言葉の使い方、態度、行動、仕草、振る舞いをひとつずつまず教えたい。しかし、それらは言葉で言ってもなかなか身につかないものでもありました。ご家庭でもおそらく同じことだと思います。
教室では、「お礼を言うことについてどう思うか」と質問し、話し合ったり書かせたりする手法をとりました。すると子どもたちも考えます。コミュニケーション教育の要素を取り入れつつ、大人のほうから、子どもが「どうあるべきか」という点を浸透させていくという方法です。
では、家庭で「お礼を言う」「お詫びをする」「お願いをする」といった点を子どもに浸透させるためにはどうすればいいのか。こう問いかけてみることだと思います。
「それができなかったら、相手はどう感じると思う?」
公の概念を理解するために最も重要なのは想像力です。自分と違う立場の人、違う状況にいる人のことを想像できるか。それを思いやり、とも言います。思いやることができなければ、みんなが幸せになれる社会はつくれません。
たとえば、電車の中で大声で話している人がいる。でも近くには疲れて眠りたい人もいるかもしれない。図書館で走り回る子がいる。そこはもともと、静かに読書したい人のための場所だ。そういう想像力を働かせて、みんなが気持ちよくすごせるように行動すること。それが公の精神です。






























