医療従事者にも難しい、現代のワンオペ育児
医学的な正解が分かっていても、実践するのが難しい。それは子どもを持つ医療従事者にも共通しています。
特に難易度が高いのは、睡眠リズムが定まらない、生まれた直後の新生児期です。小児看護師の山田桃子(現在は東京大学大学院生)さんは、「子どもが全く寝てくれないことに愕然とした」と、ご自身の新生児育児期を振り返ります。
「母親は疲れた身体を癒やすために、何としても睡眠時間が必要です。そのために私も、赤ちゃんを寝かせることにあらゆる工夫をしました。抱っこは手っ取り早いですが長時間は体力的に難しく、おくるみはすぐに手足が出てしまって寝てくれない。いろいろ試していくうちに、医学的な正解よりも、『とにかく寝てほしい』という思考回路になっていきました」
窒息のリスクの高い「添い乳」(添い寝で母乳をあげること)だけはしないと決意しながらも、試行錯誤を重ねる日々。平日は代わる人の誰もいないワンオペで、終わりの見えない・眠れない日々にイライラが募り、頭痛などの症状が出るようにもなりました。
「夜勤のあるNICU(新生児集中治療室)でも働いていたので、自分なら多少は耐えられると思っていました。が、数日で限界を迎えてしまった。不甲斐なさ、焦り、自信がなくなる感じが襲ってきて、部屋の隅にまとめてあったオーディオ類のコードを見て、『あ~……楽になりたい……』なんて考えた夜もありました」
それでも代わってくれる人はなく、赤ちゃんを生かし続けるために、ただひたすら、育児はやるしかない。最終的に残った思いは「まとまった時間、ぐっすり寝たい」でした。
「眠れるように人手が欲しいと、心の底から思いました。何人も抱っこできる人がいるのであれば、物に頼らずとも新生児をいろんな人が抱っこして寝てくれれば、問題ないのに。夫や家族でもいいですし、行政のサポートでも、なんでもよかったです」
悲しい事故を減らすためにも、新生児期は安心して託せる人と、一緒に育児できたほうがいい。そしてともに育児をする人の生活も保障されていることが理想だと、山田さんは言います。
新生児医療に従事する専門家でも、この時期に一人で育児をすることは過酷であると、山田さんの例は示しています。そしてその原因の一つには、出産直後の母親を一人きりにしてしまう、父親の働き方があるのです。
誕生直後の父親育休は昨年から最長4週間の取得が可能になり(産後パパ育休)、雇用主には取得の環境整備や案内が義務付けられました。それが功を奏して、2022年の取得率は47%まで大幅上昇したものの(前年は29.3%)、新生児のいる世帯の半数はまだ、父親が全く仕事を休まず、母親にきつい新生児期の育児が偏っている状態です。
※出典:「男性の家事・育児」に関するアンケート調査結果、経団連、2023年6月5日 P4
「せめて、これで」現実的な折り合いの付け方
親だけではなく、子どもたちの生活にも悪影響を及ぼしている、現代の働き方。改善の糸口はあるのでしょうか。
「新生児期はできるだけ、複数の大人が育児に関わること。赤ちゃんの睡眠は必ずリズムができるように変化します。つらくても、1か月ごとで変わってきますので、希望をもってほしいです」(星野先生)
そして子どもが小さいうちは、養育者のどちらかが10時から16時までの時間短縮勤務にできたら良いのでは、と提言します。
「現実的にそれが難しいご家庭では、せめて乳幼児は21時まで、学童は22時までに必ず就寝する、と決めてほしい。そしてその目標に母親だけではなく、子ども自身も父親も含めて、家族全体で取り組んでほしいです」
その第一歩として、星野先生のクリニックでは、起床と就寝の時間をメモする「睡眠表」の作成を勧めています。目に見える形で意識するだけでも、リズムを改善できる世帯もあるそうです。
「小学生の子どもたちにヒアリングした調査(※)では、全学年の7割が『本当はもっと寝たい』と答えています。ぜひこの記事をきっかけに、睡眠リズムや体の疲れについて、子どもたちと話す機会を作ってみてください」
社会全体で責任を自覚し、変えていく
インタビューの間、星野先生が繰り返していた願いがあります。それは子ども自身や親だけではなく、子どもの養育に関わる人々に、睡眠リズムやその影響について、科学的な知識を得てほしい、ということ。
「私たち医師は知識を与えられる立場にいて、情報を発信している医療者の方々も多くいます。どうか社会全体で、その知識を共有してほしいのです」
星野先生ご自身も、睡眠リズムの情報を発信する「社会と共に子どもの睡眠を守る会」の運営に携わっています。親子をめぐる医療や教育や行政の関係者、各種学会に呼びかけ、子どもの睡眠の重要性に注目してもらうことが目的です。
親たちには子育ての時間が必要ですが、同時に、生活するお金のために働かねばなりません。そこで長時間労働を余儀なくされる現状は、働く親自身だけでなく、子どもたちの健康を阻害してしまっている。国や企業は、現代の働かせ方が子どもたちの健康に及ぼしている影響を知り、働き方改革を進めていかねばならない時に来ています。
ですがその働き方改革は、親子だけを見ていては叶いません。子育てをしていない同僚たちに負担が偏ってしまっては、あらぬ分断を招き、ますます子育てのしにくい社会になってしまいます。
今の日本に必要なのは、誰かの負担軽減が他の誰かの過重労働に直結しない、業務分担の新しい原則。そして必要なときには子どもの有無に関係なく、休みや労働時間の調整ができる、働き方の公平性でしょう。
その働き方改革の重要性を理解して、変化を進めている企業・団体は、日本社会にも増えつつあります。
『子育て世代の働き方改革~「休めない国・日本」を変えるべきこれだけの理由』では、第1回で「子育て世代の長時間労働とその背景」、第2回で「長時間労働が子育て世代とその周囲に与える影響」、そしてこの第3回では「保護者の長時間労働が子どもの生活・健康へ与える影響」を探りました。
次回の第4回では、「働き方改革に取り組んだ日本企業」について取材します。
髙崎 順子
1974年東京生まれ。東京大学文学部卒業後、都内の出版社勤務を経て渡仏。書籍や新聞雑誌、ウェブなど幅広い日本語メディアで、フランスの文化・社会を題材に寄稿している。著書に『フランスはどう少子化を克服したか』(新潮新書)、『パリのごちそう』(主婦と生活社)、『休暇のマネジメント 28連休を実現するための仕組みと働き方』(KADOKAWA)などがある。得意分野は子育て環境。
1974年東京生まれ。東京大学文学部卒業後、都内の出版社勤務を経て渡仏。書籍や新聞雑誌、ウェブなど幅広い日本語メディアで、フランスの文化・社会を題材に寄稿している。著書に『フランスはどう少子化を克服したか』(新潮新書)、『パリのごちそう』(主婦と生活社)、『休暇のマネジメント 28連休を実現するための仕組みと働き方』(KADOKAWA)などがある。得意分野は子育て環境。