子どもがスッと表情をなくし…保育士が少なすぎることで起きる驚きの実態

<保育士の配置基準を考える#3>

ライター:髙崎 順子

先進国最低の保育士配置基準が損なう「保育の質」とは何か

現在の「保育士配置基準」は、保育の現場にどんな影響を及ぼしているのか(写真:アフロ)

保育の定員枠が不足し、出産後の母親の復職の妨げとなっていた待機児童問題。政府と業界の対策により待機児童の数は減少していますが、現在、保育の現場では別の問題が注目されています。それは「保育士の労働問題」と、それに大きく影響されるであろう、子どもたちが受ける「保育の質」です。

この二つの背景には、先進国で最低レベルの日本の保育士配置基準があると指摘されています。国の基準では、保育士一人が担当する子どもの数が多すぎることを、第1回「深刻すぎる「保育士不足」配置基準、なぜこんなにも低いのか…専門家が解説」と、第2回「11人の人件費で15人が働く保育士たち 上がらない「配置基準」が生む負のループ」で解説しました。

現在の「保育士配置基準」は、保育の現場にどんな影響を及ぼしているのでしょう。最終回の第3回では、この問題を数年にわたって取材している新聞記者・伊藤舞虹(いとう まいこ 朝日新聞社)さんに伺います。

保育の問題を数年にわたって取材している新聞記者・伊藤舞虹(朝日新聞社)さん

コロナ禍が与えた気づき

編集部:伊藤さんはここ数年、保育士配置基準をテーマに取材をしています。今年1月に発売された『子どもたちにせめてもう1人保育士を』にも、共著者として参加しています。低い保育士配置基準による、保育の実態と課題、改善案を取り上げた本ですね。

伊藤:はい。保育の専門出版社・ひとなる書房の刊行で、この問題を追ってきた3社・7人の新聞記者が共同で執筆しました。

新聞記者7人が保育をめぐる現状を取材し問題提起する書籍『子どもたちにせめてもう1人保育士を』(ひとなる書房)

伊藤:「子どもたちにもう1人保育士を!」というのは、愛知県で行われている保護者や保育関係者のアクションの名前です。配置基準を改善するための動きで、私たちの本も、このアクションを受けて企画されました。

このアクションが芽生えたきっかけは、コロナ禍です。

登園自粛で通園する子どもたちの数が減り、保育士一人で担当する子どもの数も、いつもより少ない状態でした。

その期間はより質の良い保育ができ、そのためか、子どもたちも落ち着いていると、保育士たちが気がついた。配置基準が改善された状態を、保育士たちが実体験したのです。

編集部:保育士が足りずに問題があることは分かっていたけれど、実際にそれが改善されたときのポジティブな効果が、保育現場で実感された、ということですね。

現代の「質の良い保育」とは何か

編集部:保育士が担当する子どもの数が減ったことで可能になった「質の良い保育」というのは、具体的にはどのようなものなのでしょう。

伊藤:現代の保育では、「子どもの思いや願いを受け止め、子どもが主体的に考えたり、行動したりするための環境を整えること」が、人生の基盤を育む上で特に重要とされています。その実践のチャンスは日常の保育の何げない1コマにもあるものです。

現場の保育士たちからは、例えば「お散歩先で見つけたダンゴムシを夢中になって観察している子がいたら、気の済むまで観察させてあげたい」「室内に入る前にまだもう少しお庭で遊びたい、との思いを子どもが保育士に伝えたとき、それを受け入れてもう少しだけ長く遊べるようにしてあげたい」といった声を聞きます。

今の配置基準では子どもたちの思いに応えきれない場面も多いといいますが、それが登園自粛の副産物として、可能になった時期がありました。

そのように一人の人間として自分の意思を尊重され、大切にされた体験から、子どもたちは「自分と他者を大切にする力」を自ら獲得していくといいます。これは大人が口で教えて身につけさせるものではなく、子どもが自分で培うことでしか得られない成長です。

その力の獲得を促せる保育は、「質の良い保育」の一つの形といえます。

現場の保育士たちはプロとしてそれを知っているので、日々の生活の中で、なるべく子どもたちの意思を尊重しようとしています。

子どもの思いを受け止め主体性を尊重する──これは単なる感情論ではなく、厚生労働省が定める「保育所保育指針」でも明示されている方針だ。(写真:アフロ)

編集部:「子どもの思いを受け止める」「主体性を尊重する」というのは、「そうさせてあげたい」という保育士の感情論ではなく、厚生労働省が定める「保育所保育指針」でも明示された方針ですね。

伊藤:はい、そのとおりです。ですがそれは社会で広く理解されておらず、子どもの意思を尊重しない管理的な保育を「大人の言うことに従わせる」や「子どもを甘やかさないしつけ」のように、むしろ良いものと誤解している声も、残念ながら聞かれます。

それは時代遅れの古い価値観であると、社会全体が認めなければなりません。

低い配置基準が損なってきた「保育の質」

編集部:コロナ禍で子どもたちの通園が減り、保育士一人当たりの見る子どもの数が少なくなったことで、質の良い保育ができた。逆に、規定どおりの低い配置基準ですと、保育の質はどのように損なわれるのでしょう。

伊藤:配置基準が低いと、保育士が子どもに声をかける頻度や、子どもとの関わり方の質が落ちることが、研究から知られています。

この点を検証した一つの例が、新潟県私立保育・認定こども園連盟が2019年に取り組んだ調査研究です。

県内の16保育園・27人の保育士が参加して、1人の同じ保育士が、1歳児を3人保育する場合と、国の基準どおりの6人保育する場合で、保育のあり方がどう変わるかを調べました。

編集部:『子どもたちにせめてもう1人保育士を』の本の中でも紹介されていますね。

伊藤:この調査では、給食の時間の10分間の様子を分析しています。その結果見えたのは、6人保育の場合だと、保育士から声を「かけられる子」と「かけられない子」の格差が、大きくなってしまうこと。

声かけの内容も違いが出て、3人保育の場合は「おいしいね」など共感を示す関わりが多く見られた一方、6人保育の場合は食事を進めるための指導的な声かけ(食器の持ち方、食べ方)が中心になる傾向が見られました。

1人の同じ保育士が、1歳児を3人保育する場合と、国の基準どおりの6人保育する場合で、保育のあり方がどう変わるかを調べた調査(新潟県私立保育・認定こども園連盟)出典:『子どもたちにせめてもう1人保育士を』より

伊藤:また調査のために撮影された動画では、胸の痛むような場面もありました。

6人いる子どもの1人が、保育士に向けて「いないいないばあ」を何度も繰り返していたのですが、保育士は他の子どもの食事介助に追われ、気がつかない。するとその子はスッと表情をなくし、黙って食事に戻ってしまいました。

編集部:保育士の人数に余裕があれば、その子は「いないいないばあ」に応えてもらえていた、大人との関わりを諦めないでよかった、ということですね。

伊藤:はい。その様子を聞いただけの私でも涙が込み上げてきたので、日々をともにする保育士にはなお、辛い場面だったでしょう。そしてこのようなことは今、日本の保育現場で、毎日のように起こっています。

編集部:それを問題視して、国の基準より多くの保育士を、独自予算で雇っている自治体や施設もあります。

伊藤:自治体として国を上回る基準を設け、そのために必要な人件費を補助しているケースですね。そうした補助がない自治体の保育園では、保育士一人当たりの給与を下げてより多くの保育士を雇うか、保護者から寄付金を集めるなどしています。

私の子が通う園では、1歳児クラスで国の基準の2倍の配置をしています。ですが国・自治体の補助だけでは足りず、保護者も参加してバザーを開くなどして、人件費の足しにしています。

住む場所によって、行く保育施設によって、子どもたちの受けられる保育に格差が出ている。どこに生まれても、すべての子どもが適正な保育を受けられるよう、国が保障するべきです。

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