Jリーガーに母親は大反対! 臆病な少年が世界フィールドに立てた理由 元日本代表・鈴木啓太

元Jリーガー・鈴木啓太さんのアスリート人生から学ぶ子育てのヒント

撮影/大門徹(以下同)
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2000年から2016年の16年間、浦和レッドダイヤモンズに所属し、日本代表として世界でも活躍を見せた元プロサッカー選手の鈴木啓太(すずきけいた)さん。自身の環境と経験から「腸」の大切さを実感し、2015年には「腸内フローラ」を研究するAuB株式会社を設立しました。代表取締役を務め、正しい「腸活」によって人の健康と未来を守る研究・商品開発に取り組んでいます。

現在は14歳と10歳の2人の女の子を育てるパパでもありますが、元アスリートとしての経験が子育ての考え方に多く生かされています。

鈴木さんの幼少期から現在までのお話を伺い、子どもの健やかな成長のためのヒントを探っていきます。(インタビュー全2回)

初めて自分から「やりたい」と言った それが“サッカー”だった

人見知りとまでは言わないですが、すごく怖がりで臆病な子どもでした。母の後ろにくっついて隠れているような、コミュニケーションが得意ではないタイプです。

私がサッカーを始めたのが4歳、年中さんのときでした。幼稚園の帰りに母と一緒に手を繫いでいるときに、「ぼくはサッカーをやりたいんだ」という話をしました。そのときのことをはっきりと覚えています。当時、近所の子どもたちがサッカーをしている様子を「楽しそうだな」と思って見ていましたし、テレビではマラドーナの活躍やアニメ『キャプテン翼』が放送されていたので、そういう環境に影響されたのもあったと思います。

もしかすると初めて自分から何かをやりたいと言ったのは、このときかもしれません。「うちの子がサッカー?」と両親は戸惑ったと思いますが、「やりたいって言ってるから探そう」と見つけてきてくれたクラブチームに通うことになりました。

事実は変えられないけど、解釈は変えられる。たったひとつの“執着心”が原動力

小学生時代は強豪の少年サッカークラブ清水FCに所属していました。周りには実力がある子がたくさんいましたが、サッカーが楽しくて、もっとうまくなりたいという気持ちがあったので、その環境が辛いと思うことはなかったです。朝早く起きてボールを蹴っていたら、近所のおばさんに怒られたこともありました。

中学時代では1年生のときに、夏の全国大会の選抜メンバーに入れず、初めての挫折を経験しました。自分が1人でボールを蹴ってるときに、同級生の選抜メンバーは全国大会に行っている。「この大会が終わったら、次のメンバーには選ばれたい、負けたくない」……悔しいと思う気持ちを自主トレーニングにぶつけていました。事実は変えられないけど、解釈は変えられます。この大会で選抜メンバーになれなかったから終わり、というわけではないのです。

多感な時期には、新しい遊びを覚えたり、ふてくされたりしてサッカーとは違う道へ行ってしまう同級生をたくさん見てきましたが、私は「サッカー選手になりたい」という執着心があったから、サッカーを続けることができたのです。

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