
「母」になった久保田智子 【特別養子縁組】は“特別“じゃない 私たちは子育てをしたい“普通“の夫婦だった
養親当事者・久保田智子(兵庫県姫路市教育長、元TBSアナウンサー)インタビュー【1/3】~養子縁組を決意するまで~
2025.04.02
兵庫県姫路市教育長:久保田 智子
高校の授業で聞いた養子の話を思い出す
久保田さんは、20代前半のとき、医師から将来妊娠することは難しいかもしれないという事実を告げられました。
「当時は、まだ結婚もしていませんでしたし、実感はあまりなかったんです。でも漠然と、『子どもを産むことができない自分は結婚してはいけないのかな』と考えてしまうことはありました。
それから少し時間が経ち、高校生のときに授業で聞いた『妊娠以外にも養子という形で子育てをする選択肢がある』という話を思い出したんです。
今思えばですが、私は自分の体と向き合いながら、ゆっくりと養子縁組についても考えていたのかもしれません」
アナウンサーとして活躍する中で、夫となる平本典昭さんと交際がはじまり、数週間後にはプロポーズを受けることに。その場で久保田さんは「子どもを産むことは難しい」と告げました。
「夫は、驚くくらいあっさりと受け止めてくれました。こっちのほうが『え? いいの?』って思うくらいに(笑)。ちょっとびっくりする反応でしたが、気持ちがラクになれたので、ありがたかったですね」
その後、夫のニューヨークへの赴任が決まり久保田さんもTBSを退社して渡米。アメリカでの生活は約3年間続きました。
アメリカは日本よりはるかに養子縁組、里親制度といった子どもの家庭的養護が進んでおり、養子の子どもが当たり前のように社会生活の中に存在している国です。
「アメリカの知人の中にも養子だという人がいました。また、テレビなどのメディアも養子もありうることという空気感を作っていて、ドラマにも養子の子が自然に出てきます。
養子は一般的な選択肢のひとつだよねという社会で生活したことは、その後の選択に影響を及ぼしたと思います」

テレビで見た養子縁組家族
養子縁組を具体的に進めるきっかけとなったのもテレビでした。
「私が担当したTBSの番組で養子縁組の特集があり、そこに出てきたご家族がとても素敵で『こんな家族を作ってみたい!』と思いました。決して特別なご家族ではなかったんですよ。ごくごく普通のご家族で、いや、むしろとってもおしゃれでした。
いつかこんなふうになりたいなって憧れる雰囲気を持った方たちだったんです。このご家族は、夫婦が養子縁組を選択したからできたのだと目の当たりにして、衝撃でした」
そのVTRを見ていなければ、やはり養子縁組は特別な選択肢であるという先入観が残ったままだったかもしれないと久保田さんは続けます。
「それまでは、養親になるのは、聖人みたいに立派な考えの人たちだろうという思いがあったかもしれません。なんとなく、自分とは違う立派な人たちに見えました。
でも今となっては、それは違うとはっきり言えます。養子縁組は普通の家族の、選択肢のひとつだと心から思っています。私たちは普通の夫婦として、普通に子どもを育てることを選択しただけ。ただ、その過程には不安や迷いも当然ありました」
とくに最近、印象的だったのが、夫婦で参加したこども家庭庁のシンポジウムでの夫の発言だったそうです。