「教育がないと貧困は再生される」外国人1割超の新宿で学習支援が必要なワケ

吉川英治文化賞受賞・小林普子さんに聞く「外国にルーツを持つ子どもたちの教育支援」第1回

ライター:太田 美由紀

吉川英治文化賞の贈呈式の様子。左から3番目のクリーム色の着物姿が小林さんだ。  写真:講談社写真部

学校に馴染めなかった長女の子育てと「子どもの権利条約」

「私は、最初から外国にルーツのある子どもたちの教育支援をしようと考えていたわけではないんです。

活動を本格的に始めたのは私自身の子育てが少し落ち着いた50代前半のころ。もう74歳ですから、20年以上続けてきたことになります。

私は3人の娘を育てたのですが、子育てを通じて、行政や学校に疑問や不満に思うことが多かった。だから子どもたちの気持ちや不満もよくわかる。子育ての経験がなければ今の活動はしていなかったかもしれません」(小林さん)

小林さんは愛知県の海の近く、自然豊かな地で生まれ育ちました。中学生のころ、東京に引っ越したことでアクセントの違いで苦労し、同級生に笑われることも多く、学校でつらい思いをしていたと言います。

大学卒業後、経済学の研究者を目指していましたが、31歳で大学を退職。結婚して夫の生まれ育った新宿区早稲田で暮らし始めます。子育ての傍(かたわ)ら、大学の通信教育のレポート指導を50歳過ぎまで続けていました。

「長女は、小学校のころから学校にあまりなじみませんでした。自分の意見を持っている子でした。長女だけでなく私自身も、学校の先生とうまくいかなかった。

子どもの意見を聞いてもらえず、この子はこういう子だと決めつけられ、学校ではこうすべきだと押し付けられるのがとても嫌でした。3人の娘はそれぞれ2つ違いでしたから、学校で比較されることも多かった。

学校で意見を聞いてもらえないこと、自分が認められないことに長女はずっと不満を持っていました。ただ、小学校1・2年生の担任の先生だけは、私たち親子を柔軟に受け止めてくれた。

あの2年間がなければ、長女は不登校になっていたかもしれません」(小林さん)

小林さんは学校に対して疑問を感じるたび、子どもの権利について考えずにはいられませんでした。

国連で「子どもの権利条約」が採択されたのが1989年。その条約では、子どもは権利を持つ主体とされていて、「差別の禁止」「子どもの最善の利益」「生命、生存及び発達に対する権利」「子どもの意見の尊重」の4原則がうたわれていました。

「学校と折り合いのつかないことの多かった長女が中学生になった1994年、子どもの権利条約が日本でもようやく批准(ひじゅん)されました。

でも、何も変わらなかった。日本の子どもたちは追い詰められ、いじめや自殺も増える一方でした。

あるとき、日本語がわからない親が、子どもに予防接種を受けさせることができていないという新聞記事が目に止まりました。それは、私が暮らす新宿区で起こっていました。

母親が日本語を理解できないことが理由で、子どもの権利が、子どもの命が守られていない。それはおかしいと思いました。今思えばそれが、私が動き出す大きなきっかけだったと思います」(小林さん)

一番下の子も中学生になり、手を離れるようになったころ、気がつけば50歳を過ぎていました。「いつか再就職を」と、どこかで思いながら、通信制大学のレポート添削を自宅で続け、子育てと家事に奔走してきた日々。

そのころ、親しい友人ががんを患い、お世話になった恩師をがんで亡くしたことも小林さんに衝撃を与えました。

「いつか自分が棺桶に足を突っ込んだとき、私の人生なんだったんだろうと後悔したくない」

小林さんの胸に、そんな思いがうごめいていました。

(第2回へ続く)

※第2回は2023年6月9日、第3回は6月10日公開予定です。

※1 吉川英治文化賞=公益財団法人・吉川英治国民文化振興会が主催する〈吉川英治賞〉のなかで、日本の文化活動に著しく貢献した人物、並びにグループに対して贈呈されるのが文化賞。他に、吉川英治文学賞、吉川英治文学新人賞、吉川英治文庫賞がある。

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こばやし ひろこ

小林 普子

Hiroko Kobayashi
NPO法人「みんなのおうち」代表

1948年、愛知県生まれ。NPO法人「みんなのおうち」代表。 2000年ごろから日本語・教育支援のボランティアを始める。2004年から大久保小学校で親子日本語教室立ち上げに関わる。2005年、NPO法人「みんなのおうち」設立。2007年に外国にルーツを持つ子どもを対象とした日本語・学習支援教室「こどもクラブ新宿」(新宿区の協働事業制度利用、のちに新宿区の事業)を立ち上げ、2017年から同地域(新宿区大久保)に居場所「みんなのおうち」も開設、現在に至る。 第57回(令和5年度)吉川英治文化賞を受賞。

1948年、愛知県生まれ。NPO法人「みんなのおうち」代表。 2000年ごろから日本語・教育支援のボランティアを始める。2004年から大久保小学校で親子日本語教室立ち上げに関わる。2005年、NPO法人「みんなのおうち」設立。2007年に外国にルーツを持つ子どもを対象とした日本語・学習支援教室「こどもクラブ新宿」(新宿区の協働事業制度利用、のちに新宿区の事業)を立ち上げ、2017年から同地域(新宿区大久保)に居場所「みんなのおうち」も開設、現在に至る。 第57回(令和5年度)吉川英治文化賞を受賞。

おおた みゆき

太田 美由紀

編集者・ライター

1971年大阪府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。雑誌編集部を経て独立。育児、教育、福祉を中心に、誕生から死まで「生きる」を軸に多数の雑誌、書籍に関わる。NHK Eテレ『すくすく子育て』の番組制作やテキスト制作に関わる(2020年まで)。 2011年より新宿区教育委員会・家庭教育ワークシートプロジェクトメンバー。2017年保育士免許取得。子育てコーディネーターとして相談現場でも活動。「人間とは何か」に迫るため取材・執筆を続けている。 初の自著『新しい時代の共生のカタチ~地域の寄り合い所 また明日』(風鳴舎)重版出来、好評発売中。 ●『新しい時代の共生のカタチ~地域の寄り合い所 また明日』公式HP

1971年大阪府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。雑誌編集部を経て独立。育児、教育、福祉を中心に、誕生から死まで「生きる」を軸に多数の雑誌、書籍に関わる。NHK Eテレ『すくすく子育て』の番組制作やテキスト制作に関わる(2020年まで)。 2011年より新宿区教育委員会・家庭教育ワークシートプロジェクトメンバー。2017年保育士免許取得。子育てコーディネーターとして相談現場でも活動。「人間とは何か」に迫るため取材・執筆を続けている。 初の自著『新しい時代の共生のカタチ~地域の寄り合い所 また明日』(風鳴舎)重版出来、好評発売中。 ●『新しい時代の共生のカタチ~地域の寄り合い所 また明日』公式HP