子育てが一段落「やりたかったことをやろう!」と決心
──いつごろから絵本作家になろうと思ったのですか。
玉田美知子さん(以後、玉田さん):もともと絵本や絵を描くことが好きだったので、進路を考え始める中学2年生のときに「将来、絵本を描く人になりたいな」と思ったんです。美術系の大学に進みましたが、そのときは絵本作家ではなく、デザイン会社に就職しました。
──絵は描かなかったのですか。
玉田さん:就職した会社ではMacを使ってデザインする仕事でしたし、自分の絵を描く時間は一切なかったですね。いろいろ思うところがあり、数ヵ月で辞めて、その後はCDショップでアルバイトをしていました。
──また絵を描こうと思われるようになったのは、なぜですか。
玉田さん:子どもを出産したことがきっかけです。子どもを連れて、毎日のように図書館に通って絵本を読み聞かせしているうちに、「絵本っていいな。そうだ私、絵本を描きたかったんだ」と、絵本作家になりたかった気持ちを思い出したんです。
──実際に絵本を描き始めたのは、どんなタイミングだったのですか。
玉田さん:子どもが高校に入学すると、子育ても落ち着いて自分の時間が持てるようになったんです。それで「やりたかったことをやろう!」と勇気を出して、絵本教室に通いはじめました。それが5~6年前ですね。
絵本教室に通ってプロの絵本作家を目指す
──どんな絵本教室に通われたのですか。
玉田さん:築地にあるパレットクラブスクールです。プロフェッショナルの方から直接指導が受けられるイラスト専門スクールで、絵本コースがあるのです。20代前半の若い方から主婦業の方、すでに絵本の出版経験のある方まで、受講生はさまざまでした。
毎週日曜日に2時間の授業で8ヵ月間に33講座があり、絵本作家さんや編集者さんが教えに来てくれました。
イラストレーターで絵本作家の飯野和好さん、絵本作家のtupera tuperaさんなど、講師は第一線で活躍中のそうそうたる方ばかり。飯野さんは着物を着てハットをかぶってお越しになり、自作の三味線のような楽器をベンベン!と鳴らしてくださって。
すっかり見とれてしまって、質問するのも緊張してしまいました。ただのファンになってましたね。
作家の方たちにはそれぞれの描き方があって、それを直接見られたのがとても勉強になりました。「自分なりの描き方を探すことが大切」と気がつきました。
スクールでは絵本の扉や見開きのページ数といった、絵本の基礎から教わりました。それまでは横書きや縦書きの進行方向も意識しないで、反対方向を向いた絵を描いていたりしました。毎回課題が出るので、必死にこなして全部提出しました。
──どんな課題が出るのですか。
玉田さん:例えば、ハロウィンをテーマに絵本のラフをつくるとか、リンゴをモチーフに一枚絵を描くなどです。先生によって課題がいろいろで、つくっていくと講評していただけるんです。
自分のためにお金を使う
──初めて作った作品が賞をとりますね。
玉田さん:やぎたみこ先生の講座の「子どもがちょっと怖いと思うものでキャラクターをつくって絵本を描く」という課題でつくった「しりとりきんちゃく」という作品を、パレットクラブスクール卒業制作展に出展。その作品を「ピンポイント絵本コンペ」に応募したら、入選したんです。
──とんとん拍子ですね!
玉田さん:そういうわけでもないんです。入選しても出版の確約があるわけではありません。より完成度を上げなければと思いました。
そこで、さらにnowaki絵本ワークショップという、絵本作家を目指す人のためのオンラインワークショップを受講しました。毎月2回、11ヵ月で全22回のオンライン講座です。あらかじめスキャンして送っておいた作品のラフをみんなの前で講評してもらい、ブラッシュアップして出版するのに適した形に仕上げていくことを学びました。ここでちゃんと向き合ってやっていけたのが、講談社の絵本新人賞につながったのだと思います。
──よく途中でくじけませんでしたね。
玉田さん:「本気でやらなきゃ。一言一句ちゃんと聞こう」と必死でした。大人になってから学ぶと、やる気と根気が違ってくるのかもしれませんね。
笑いあふれる創作秘話
〈『ぎょうざが いなくなり さがしています』で講談社絵本新人賞を受賞します。ある日、焼きぎょうざが行方不明になり、町内放送がかかって町の人たちが心配するというお話です。ぎょうざはどこでどんな大冒険をしたのでしょう? 奇想天外なラストがほっと温かい気持ちにさせてくれます。丹念に描かれた絵のすみずみまでユーモアにあふれた作品です〉
──刊行と同時に、あっという間にメディアでも取り上げられて話題に。お話の冒頭の「……ぎょうざがいなくなりさがしています。とくちょうはひだが5つあるひとくちサイズのやきぎょうざです。……」と町内アナウンスが入るシーンから、お話にグッと引き込まれてしまいます。
玉田さん:私の住んでいる地域では、「サルが駅前に出没しました。ご注意ください」などのお知らせや、「こんな年ごろでこんな服装の人が、いつごろいなくなりました」といった内容の町内アナウンスが流れることがあるんです。
聞くたびに、「どこにいるのかな」と心配になるのですが、しばらくたつと、「見つかりました」という放送が流れて、ほっと胸をなでおろします。
あるとき家族でテーブルを囲んでいるときに、「ふだん逃げ出さないものがいなくなったら楽しいよね」と話し合って、「迷いぎょうざ」を主人公にしようと思いついたストーリーです。
──創作の背景にそんなシチュエーションが! ところで、玉田さんは絵本制作のほかにも、お仕事をされているんですよね。