ドイツ発「広島には放射能がのこってるの?」中高生からの質問に被爆二世の日本人作家がこたえた

ミュンヘン国際児童図書館に日本から招かれた作家、朽木祥さん。原爆投下や戦争を「伝えていくこと」の大切さを届けました。

児童図書編集チーム

作家の朽木祥さん。著書『光のうつしえ』の英訳版『Soul Lanterns』をもって。写真提供:朽木祥さん

過去の負の記憶を胸に刻むことは、未来に二度と同じことが起きないように警戒すること

ドイツの南部にミュンヘン国際児童図書館(Internationale Jugendbibliothek)があります。ここでは2年に1回、「ホワイト・レイブンズ・フェスティバル(白いカラスのお祭り。特別なものがみられますよ、という意味です)」が開催されます。世界中から毎年15人ほどの著名な児童文学作家が招聘され、ドイツのバイエルン州の各地の小学校、中学校、高校で、児童文学作品についての講演会やワークショップをおこないます。

このフェスティバルに招聘された、作家の朽木祥(くつき・しょう)さんは、フェスティバルの一環としてバイエルン州各地をまわり、ドイツの中学生や高校生と交流しました。その講演内容を伝えていきます。

前回の記事では、朽木祥さんがドイツの子どもたちに、1945年8月6日の広島への原爆投下によって、その日のうちに7万人が亡くなったこと、また「過去の負の記憶を知ることは、未来に二度同じことが起きないように警戒することでもある」と語りました。この記事では朽木祥さんの講演のつづきを伝えていきます。

世界中から集まった13人の児童文学作家たちと、ミュンヘン国際児童図書館の職員のみなさん。ユーモアあふれる楽しい方ばかりです。写真提供:Internationale Jugendbibliothek

朽木祥さんは、ドイツの子どもたちに問いかけます。

心の自由を大切にしてください

戦争がはじまって、最初になくなった授業はなんだと思いますか? ああ、手があがりますね。じゃあ、その方からどうぞ。

──体育? 

──歴史? 

体育はむしろ称揚されたかもしれません。歴史は偏った形では残りました。もう少し考えてみましょう。

──音楽? 

──美術?

そうです。正解がでましたね。芸術なんです。軍部は、アートには、すごく大きな力があるとわかっていました。たとえば言葉の力。ナチスが一億冊も焚書をしたのは皆さんはよく知っていますよね? 文学者や言葉の力を、ナチスも日本の軍部もよく知っていたということです。

だからこそ、みなさん、好きな本を読める、好きな音楽を聴ける、好きな絵を描ける、そんな心の自由を大切にしてください。心の自由を縛られると、必ず全体主義に毒されることになります。

『光のうつしえ』という物語にはモチーフがいくつかありますが、その一つは芸術の力です。ドイツ語訳された「須藤さんの物語」の章では、短歌(日本の詩の形式の一つ)を読んで心慰められる母親の姿を書きました。

講演は教会でもおこなわれた。短歌の他に五七調で書かれた詩なども紹介。撮影:講談社児童図書編集チーム

「悼む」とは、ずっと忘れないで伝えていくということ

ヒロシマを書くということも、そして読むということも、「失われた声に耳を傾ける」ことです。『光のうつしえ』のなかでも登場人物の一人である吉岡先生に次のように語らせました。

この世界は小さな物語があつまってできている。それぞれのささやかな日常が、世界をかたちづくっている。

原爆のように空前絶後の大きな事件を理解するには、逆説的ですが、むしろささやかでもかけがえのない物語が必要なのではないかと考えています。

わかりやすいたとえとしていつもお話しするのですが──、ジグソーパズルのようなものです。小さなピースを一つずつはめていけば最後には全体の形がはっきり現れます。同様に、それぞれの生活を丁寧に描き出すことで(またそれを読むことで)、次第に原爆という巨大な事件の輪郭がはっきりしてくるのではないかと思います。


どうかヒロシマの記憶が少しでも皆さんの中に残って、二度と同じ過ちが繰り返されないように祈りながら、ささやかな物語を書いています。

1945年8月6日、広島市では、その日だけで約7万人が亡くなりました。数でしかない人がいます。数でさえない人もいます。名前でしかない人も、名前さえない人もいます。いまだにわからないことが、たくさんあります。

各国のホロコースト博物館では、毎日犠牲者の名前が読み上げられたり、画像が絶え間なくスクリーンに映し出されたりしています。広島市の広島平和記念資料館では、犠牲者の名前を検索できて、どんな人だったのか知ることができます。その人の画像が立ち現れた瞬間、その人はただの名前でも数でもなくなります。あの日までたしかに生きていた人、あなたや私と同じように泣いたり笑ったりしていた人として立ちあがってくるのです。

5月にアラブ首長国連邦で本日と同様の講演をしたときに、地元の高校生から興味深い話を聞きました。国のために死んだ軍人40名の名前を、子どもたちが全て暗記しているというのです。

いずれの試みも、理不尽な悲劇に襲われた人々に共感共苦を寄せるための追悼の試みと言えるでしょう。犠牲者一人一人を心に刻むことによって。

講演会場の一つだった、ドイツバイエルン州ランツフート市の学校。学校の柱には、ナチスの犠牲者の生徒たちの名前が刻まれています。撮影:講談社児童図書編集チーム

「負の記憶」を正しく知ること、伝えること。

みなさんから、質問があればうけたいと思います。はい、その前の女の子、どうぞ。

ドイツバイエルン州プリーン市の学校。質問はとまらなかった。撮影:講談社児童図書編集チーム

──8月6日の追悼式はどんなことをしているんですか?

8時15分から式典が始まり、全国中継もされます。私の親族は賑やかすぎるからと言って、式典に行くことはありませんでした。平和公園の下には数え切れないほどのご遺体が眠っているので、その上を歩くのは、まるで頭を踏んで歩くような気がするとも言うのでした。

あの日、あまりにも惨い形で膨大な数の命が奪われたのです。骨すらも見つからず、墓にはようやく見つかった櫛や焼け焦げた弁当箱を入れなければならないありさまでしたから。

──追悼式は、広島以外でも行われていますか?

ヴァチカンやローマ、ミュンヘンでも行われています。ローマでの追悼行事については最近知って大変ありがたく思い、『パンにかかれた言葉』という本にも書きました。

──広島市はまだ残っていますか?

完全に復興して、大きな都市になりました。

今の広島市には放射能が残ってますか?

──今の広島市には放射能が残ってますか?

残っていません。原爆投下の一ヵ月後、広島は大型台風に襲われ、かなりの汚染物質が流されました。いわば天然の除染がなされたわけです。また当時の原子爆弾は現在作られている爆弾と比べると威力が赤ん坊のようなものだったためです。それでも、あれほどひどい被害が出たわけですが。

──言葉の力について感動しました。どうやって言葉の力で、感動を作っているのでしょうか? またヒロシマを書くのはつらくありませんか?

ことにヒロシマの物語については、あきらめずに、祈りとともに書いています。ヒロシマの記憶も、ホロコーストの記憶も、心に留めておくのはとてもつらいことですよね。私もヒロシマについて書いている時は、よくうなされるので、家族はもうファンタジーだけ書いたらと言ってくれるくらいです。

──本当にあったことを書いているんでしょうか?

だいたいの物語にモデルはありますが、おおむね創作です。『光のうつしえ』には、息子を原爆で亡くして、探し続けるお母さんが登場します。広島では原爆投下のあとに、人を探している人がたくさんいました。

私が中学生のころ、バスの中で私をじっと見つめている人に会いました。その人は、自分の中学生だった娘を探していたんです。もう戦後20年以上経っていたのに! また、町の中で誰かを追いかけては声をかけている人もよく見かけました。

あのころでも、広島ではまだ誰かが誰かを探していたような気がします。8月6日の朝、ナタで切ったようにたくさんの命が断たれたので、その事実を受け入れられない家族ばかりだったからでしょう。生き残った人にとって死者は怖いものではなく、むしろ慕わしいものだったのです。

──原爆の爆心地にいた人は一瞬で死んだんですか?

例えば爆心地にいた人は、一瞬で亡くなりました。地表温度が4000~5000度にもなりましたから、ひとたまりもありませんでした。すさまじい閃光と、ものすごい爆風でガラスが砕け散り、建物が崩れました。戸外で熱線に焼かれて亡くなった人、崩れた建物の下で圧死した人も多くあります。あまりに強烈な爆発だったので、空に太陽が二つ見えたようだったという証言も残ってます。

日本の諺に「話半分に聞け」という言葉があります。大げさな話は半分程度として聞けというのです。しかし、原爆について言えば、どんなに言葉を尽くしても、被害の悲惨さを伝えることはできません。

ドイツバイエルン州ランツフート市の学生による広島原爆についての事前学習。調べるまえは、広島がどこにあるのも知らなかったと言っていましたが、非常に深い考察をしていました。写真撮影:講談社児童図書編集チーム

あんたがしたことじゃないけえ。個人同士が恨んでも、いつまでも戦争は終わらない

──もし原爆投下がなかったら戦争は終わらなかったのでしょうか?

現在の研究では、アメリカの原爆投下前から既に日本は降伏を決めていたので、原爆投下しなくても戦争は終わっていたと言われています。また、二度の原爆投下には、アメリカのソビエトへの威嚇、原爆の(殺傷能力についての)人体実験の意味があったとも分析されています。

──日本人は、このひどい出来事について、アメリカを赦せますか?

『光のうつしえ』は、あえて赦す、赦さないとは別の文脈で書いています。なぜなら、核兵器使用は、ヒロシマだけの問題ではないからです。

私の母は被爆者ですが、家ではアメリカ人留学生をうけいれていました。母は留学生にすごく親切にしていました。ある日、その留学生が広島平和記念資料館見学から帰ってきて、「アメリカがあんなにひどいことをしたのに、どうしてこんなに僕によくしてくれるんですか?」と泣きながら聞いたことがありました。

母が、「あんたがしたことじゃないけえ」と言いました。日本には「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がありますが、戦争はそういうことだと思います。

いつまでも個人同士が恨みあっていては、争いはいつまでも終わりません。ホロコーストや差別問題と同様に、核や核兵器は人類全体の問題です。お互いに責め合っている場合ではないのです。繰り返しますが、ヒロシマはひとりヒロシマだけの問題ではありません。もし次に核兵器がつかわれることがあったら、人類に未来はないのです。

最近、大変驚かされたのは、原子爆弾とは一発で一つの都市を全滅させることのできる、ただ大きな爆弾だと思っている政治家もいるらしいことでした。広島平和記念資料館に行けば、放射能がどれだけむごたらしい兵器で、どれほど長く人体に影響を与えるのか、すぐに知ることができるのですが。

まず「負の記憶」を正しく知ることが本当に必要です。

──重たい話は、心に影響を与えるかもしれません。どうか朽木さんには気分転換する趣味を持ってほしいです。

ありがとうございます。優しいお心遣いに感謝します。私は海のそばに住んでいるので、よく海に出ます。音楽を楽しみ、好きな本をたくさん読んでいます。みなさんも、どうか心の自由を大切にして楽しい時間を過ごしてくださいね。

みなさんの前に平和な未来が広がっていることを心から祈っています。

拍手喝采で、講演は終わりました。

『光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島』朽木祥/講談社

<あらすじ>

真夏の夜、元安川に、人々は色とりどりの灯籠を流す。光を揺らしながら、遠い海へと流れていく――。68年前の8月6日。広島上空で原子爆弾が炸裂した。そこに暮らしていた人々は、人類が経験したことのない光、熱線、爆風、そして放射能にさらされた。ひとりひとりの人生。ひとりひとりの物語。そのすべてが、一瞬にして消えてしまった。朽木祥が、渾身の力で、祈りをこめて描く代表作!第63回小学館児童出版文化賞受賞作。

『光のうつしえ』朽木祥/講談社
くつき しょう

朽木 祥

Shaw Kuzki
作家

広島出身。被爆2世。 デビュー作『かはたれ』(福音館書店)で児童文芸新人賞、日本児童文学者協会新人賞を受賞。その後『彼岸花はきつ...