『挑発する少女小説』(河出書房新社)で幅広い知識と洞察力で痛快に児童文学を語った書評家の斎藤美奈子さん。『窓ぎわのトットちゃん』は2021年に出版40周年を迎えた本ですが、トットちゃんに今も子どもたちが夢中になるのは当然、と語るその理由を教えていただきました。
じつは優れた児童文学
『窓ぎわのトットちゃん』が出版された1981年、私は駆け出しの、子育て雑誌の編集者でした。いまはなき『マザーリング』という雑誌です。読者対象は2歳から8歳までのお子さんを持つ親御さんで、私は常に子育てネタを探していました。
というわけですので『トットちゃん』は職業上の必要性から即買いしました。上司に読んでおくよう命じられたのかもしれません。著名人の幼少時代や子育て事情も雑誌の重要なソースですから、「徹子の部屋」や「ザ・ベストテン」の名司会で知られる黒柳徹子さんが自ら綴った子ども時代の物語、となれば、そりゃ買うでしょ。
その本がまさか「戦後最大のベストセラー」になるなんて、当時は思いもしなかった。出版されて40年たった現在では、すでに古典ですよね。
『トットちゃん』が今日もなお世界中で読まれている理由は、いろいろあるでしょう。教育者にとっても親御さんにとっても、なかなか役に立つ本ですし。
でもね、ここはあえていっておきたい。『トットちゃん』はなぜ講談社青い鳥文庫に入っているのか。それはね、『トットちゃん』が児童文学として優れているからです。つまり子どもが読んで熱狂する要素が備わっている。
いいですか、まず書きだし。
<これは、第二次世界大戦が終わる、ちょっと前まで、実際に東京にあった小学校と、そこに、ほんとうに通っていた女の子のことを書いたお話です>
ほらあ、「お話」のノリでしょ。そしておもむろにはじまる本文。
<自由が丘の駅で、大井町線を降りると、ママは、トットちゃんの手をひっぱって、改札口を出ようとした。トットちゃんは、それまで、あまり電車に乗ったことがなかったから、大切に握っていた切符まであげちゃうのは、もったいないなと思った。そこで、改札のおじさんに、╱「この切符、もらっちゃいけない?」と聞いた>
いまにも何か新しい、おもしろいことがはじまりそうな気配。これを実話に基づく児童文学といわずに何という。
トットちゃんは和製『長くつ下のピッピ』
実際、小学1年生のトットちゃんが最初に入った小学校(公立の尋常小学校)で先生たちをあわてさせるところから、もう「児童文学の主人公」ぶりが炸裂します。
<授業中に、机のフタを、百ぺんくらい、開けたり閉めしたりするんです>と先生はママに訴えます。<机の音を立ててないな、と思うと、今度は、授業中、立ってるんです。ずーっと!>
ママはびっくりして尋ねます。
<立ってるって、どこにでございましょうか?>。
先生は怒った風に答えます。
<教室の窓のところです!><チンドン屋を呼びこむためです!!>。
<それに……>
となおも続ける先生と、
<まだ、あるんでございましょうか……>
と情けない思いで問いかけるママ。
冒頭近くで繰り広げられる、このママと先生のやりとりは何度読んでもおもしろいのですが、ところで、こういう規格外の主人公を、ほかにも見た覚えがないでしょうか。
私が想起したのは、『長くつ下のピッピ』です。
ご存じのように、『長くつ下のピッピ』はスウェーデンの作家、アストリッド・リンドグレーンの著名な児童文学作品で、『トットちゃん』同様、やっぱり世界的なベストセラーとして知られています。
物語の舞台がいつとは特定されていませんが、発表されたのは1945年(大塚勇三による日本語の初訳は1964年)。図らずもトットちゃん(黒柳徹子さん)の子ども時代といっしょです。『トットちゃん』も『ピッピ』も戦争の時代と重なっているのはちょっと驚きですが。それはともかく。
なぜピッピに人気があるかというと、それはもう「子どもはかくあるべし」という大人が決めたオキテを、ことごとくコッパミジンに粉砕してくれるからです。
トットちゃんも同じ。自由な気風のトモエ学園に入学し、のびのびした学校生活を送れるようになったトットちゃんですが、それでも型破りな行動は止まらない。
大切にしていた財布を汲み取り式のトイレに落とし、ひしゃくを突っこんでせっせと汲み出すとか、テツジョウモウの下をくぐってパンツをジャギジャギに破くとか、ネチャネチャの壁土が積んである山に飛び乗ってズボッと胸までハマるとか。
こうした主人公の突飛な(でも大なり小なりみんなに覚えのある)行動に加え、トモエ学園自体がまた、夢のような学校なのよね。
校舎は電車のリサイクル。教室ではどの席に座ってもよく、時間割もない。
「海のものと山のもの」の入ったお弁当を持って登校する。
午前中の勉強が終わったら、午後は散歩。裸のままでプール遊びをし、夏休みには講堂で「野宿」をし、汽車と船を乗り継いで泊まりがけの温泉旅行。
秋の運動会もユニークなら、12月の四十七士の討ち入りの日には泉岳寺までの長い道のりをみんなで歩く。
こんな学校に入りたい!
親子でシェアしたい物語
大人の目で読めば『窓ぎわのトットちゃん』は、ユニークな教育実践の書でしょうし、子どもとのかかわり方を教えてくれる子育て指南の書でもあります。
と思ったから、駆け出しの編集者だった私もこの本を買いに走ったのですが、でもそれだけで、『トットちゃん』が世界中で愛される、ここまでのベストセラーになったとは思えません。
子どもの読者がつくとは想像していなかったと、黒柳さんは「あとがき」で述べていますが、書き手が「子ども向け」を変に意識していなかったからこそ、逆に本書は子どもの鑑賞にも耐えるロングセラーになったのかもしれません。子どもは「子どもだまし」を容易に見ぬきますからね。
付け加えておくと、優れた児童文学には、切ない要素が必ず含まれています。
『ピッピ』の場合は、幼いころに母と死に別れ、父も海で遭難した(とピッピ自身は信じていませんが)という境遇が背景にあります。自由奔放にやっているように見えますが、ピッピは「みなしご」で、じつは孤独な少女なんですよね。
『トットちゃん』では終盤に近づくにしたがって濃くなる戦争の影がそれに当たるでしょう。仲良しの泰明ちゃんの死。おそらくは殺処分にされた愛犬ロッキー。小使いさんの良ちゃんの出征。そしてトモエ学園が戦火に包まれる衝撃のラスト。
世の中には「あんたは規格外だ」といわれて育ったり、「自分は規格外なのかも」とひそかに悩んでいたりするお子さんが意外に多いことに、最近私は気がつきました。
「だからピッピは心の支えだったよ」とある友人は口にしました。「トットちゃんもそうなんじゃない? そういう子がきっと世界中にいるんだよ」と。
『窓ぎわのトットちゃん』は、そういうわけで21世紀の今日でも、親子でシェアするのに適した本といえます。
「自分は規格外なのかも」と悩める子どもには勇気を、「あの子は規格外だから嫌い」と思いこんでいる子どもには内省の機会を、そして親には教育的価値以前に子どものお話を読む楽しさを、『窓ぎわのトットちゃん』は与えます。小学校中学年以上なら十分に読めるでしょう。
斎藤 美奈子
1956年、新潟県生まれ。児童書の編集者を経て、1994年『妊娠小説』(ちくま文庫)でデビュー。 2002年『文章読本さん江』(ちくま文庫)で第1回小林秀雄賞受賞。 他の著書に、『モダンガール論』(文春文庫)、『紅一点論』(ちくま文庫)、『戦下のレシピ』(岩波現代文庫)、『名作うしろ読み』(中公文庫)、『日本の同時代文学』(岩波新書)、『中古典のすすめ』(紀伊國屋書店)、『挑発する少女小説』(河出新書)など。
1956年、新潟県生まれ。児童書の編集者を経て、1994年『妊娠小説』(ちくま文庫)でデビュー。 2002年『文章読本さん江』(ちくま文庫)で第1回小林秀雄賞受賞。 他の著書に、『モダンガール論』(文春文庫)、『紅一点論』(ちくま文庫)、『戦下のレシピ』(岩波現代文庫)、『名作うしろ読み』(中公文庫)、『日本の同時代文学』(岩波新書)、『中古典のすすめ』(紀伊國屋書店)、『挑発する少女小説』(河出新書)など。