どんなにがんばっても“透明な存在”でしかなかった私
──ご著書を読むと、平岡さんご自身、小さなころから、きょうだい児として精一杯がんばっていたことに驚かされます。とくにつらかったのはどんなことですか。
平岡さん
自分が家庭の中で「透明な存在」だったのが一番つらいことでした。弟の世話をしても、絵を上手に描けても、勉強をがんばっても、「健常児なんだから当たり前」と親にほめてもらえないのです。
親は自分たちのつらさ、大変さで精一杯で、私のことが見えなかったのだと思います。愛情を受けたい時期に、あまり年齢の変わらない弟に親の目を独占されるのはきついものがありました。
両親はカルト宗教の修行で不在にしがち。また、母はオーバードーズ(薬の過剰摂取)や家出を繰り返し、私たち子どもは家に置き去りになっていました。
小学生にして、親への期待をすべて捨てる
親に対するスタンスが変わり始めたのは小学校高学年くらいからです。自我が確立すると同時に、親に対して批判的な視点が芽生え、愛情を求める気持ちが小さくなっていきました。