『伝わり方が劇的に変わる!6つの声を意識した声かけ50』(東洋館出版社)など、小学校の先生向けの著書が多数ある小学校教諭の熱海康太先生。
今年40周年で話題のベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』が理想の小学校を描いた話だと聞いて興味がわき、手にとってみたところ、「21世紀の子どもたちに必要な力を育むための教育手法の宝石箱だ!」と驚嘆したといいます。
有名な本ではありますが、80年以上前の小学校のお話です。
現役の小学校の先生に、いったいどんなに驚きを与えたのでしょうか。
まず自己紹介をさせてください。私は、現在、私立学校である桐蔭学園小学校において教鞭を取っております、熱海康太といいます。私立学校の前は、公立の小学校でも教えており、教員歴は十数年になります。
「子どもの考えを待つ」ということ
職業柄、保護者の方から「子育てで一番、大切なことは何ですか?」という質問をよくいただきます。私はそれに対して、「子どもだと思わないことです」と答えています。
さて、「子どもを子どもだと思わない」というのは、どういうことでしょうか。
例えば、小学校には「廊下は走ってはいけません」というルールがあります。
ただ、教師である私が子どもたちに向かって、「そういうルールだから」と言って、走るのをやめさせようとしても、「やだっ!」と返されて(苦笑)、子どもたちの行動は変わらないことが多いのです。
そんな時、私は、「ルールだから!」ではなく、「なぜ、走ってはいけないっていうルールがあるんだろうね?」と、子どもたちに投げかけるようにしています。
すると、子どもたちは自ら、「走ると、友だちや自分が怪我をするかもしれない」「もっと小さい子(下級生)が真似してしまうかもしれない」などと言い、自分の行動を変えることができます。
子どもを子ども扱いしない、とは大人の考えを押し付けるのではなく、子どもの思考に委ねてみるということではないかと考えています。
子どもにいちばん悪い服を着せる、深い理由
『窓ぎわのトットちゃん』に、トットちゃんが汲み取り式のトイレに財布を落としてしまう話があります。
トットちゃんが、なんとかそこからひしゃくで掻き出そうと悪戦苦闘している時に、小林宗作先生は、叱りもせず助けもせず、「終わったら、みんな、もどしておけよ」と、一声かけただけでした。
そのおかげでトットちゃんは様々な試行錯誤を行うことができたのです。
今の学校現場では、トイレの中から財布を探そうとする子どもがいたら、すぐに手を差し伸べる教員が多いと思いますが、それでは子どもは考えることをやめてしまいます。
教員はそこで我慢をし「待てるか」「見守れるか」が教育の大切な鍵となります。
他にも、子どもに委ねることをいかに大切にしていたか分かる小林先生の言葉に「一番わるい洋服を着せて、学校に寄こしてください」というものがあります。
上等の服で登校すると、その洋服が汚れたり破れたりすることを気にするあまり、子どもにとっての大切な経験ができなくなってしまうとの考えをお持ちだったからです。
実際、トットちゃんは鉄線で服を破ったり、破れた理由をお母さんに言い訳したりしますが、その全てが、子どもが大人になる上で大切なことです。
今の学校現場では、帰宅して服が破れていたらクレームが入る可能性があり、子どもの言葉だけを聞いた保護者の方からの心配の電話が鳴ることもあるでしょう。実際に、年に何回かはそのような電話を受けます。
小林先生のようにあれたらと思うと同時に、それがいかに難しいことなのか痛感します。
子どもは、言葉にするのが苦手でも「小さな大人」
私は、子どもたちと接する時に、子どもたちの表情、特に目をしっかりと見ることにしています。
目の動きを見ることで、「目が合わないからまだ興奮していて、言葉を受け入れられる気持ちの余裕は無さそう」や、いつもより多く目が動いていたら「心が少し揺れている」などを感じることができます。
「目は口ほどに物を言う」といいますが、子どもの場合は「目は口以上に物を言う」と考えています。これは、言葉の正確でない低学年の子どもだけでなく、思春期に差しかかり、言葉数が減る高学年にも有効な手段です。
このようにする理由は、子どもは言葉で自分の心情を言い表すのが、まだまだ得意ではないからです。
大人はともすると、「子どもだから、よく分かっていないんじゃないか」とか、「子どもだから、辛いことでもいつか忘れるから大丈夫」などと思ってしまうこともあるのではないでしょうか。
でも、けっしてそんなことはありません。
子どもは経験したことを覚えているか覚えていないかに関係なく、全て将来に持っていきます。
一見忘れてしまっているように見えることでも、あらゆるその経験は良い意味でも悪い意味でも、子どもの性格形成や自己肯定感(自分を好きでいる力)につながっていきます。
『窓ぎわのトットちゃん』を読むと、「子どもは実に多くのことを考えていること」がわかります。
そして、その様々な行動には、子どもなりの理屈があることもわかります。
トットちゃんの素朴で純粋で明るい行動や、真っすぐな心根は、黒柳徹子さんの軽快な文章に乗って、我々に「子どもを子ども扱いせず、一人の『小さな大人』として見る」ことの大切さを教えてくれるのです。
忙しい日々の子育てのヒント
さて、これを読まれている皆さんは、「いやいや、そんなことは分かってる。でも、大人は毎日忙しいし、いつもいつも子ども中心にやっていられない」という方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
そんなとき、具体的にヒントを与えてくれるのが、『窓ぎわのトットちゃん』の小林校長先生であり、トットちゃんのママではないかと思います。
小林先生は忙しさなど無いように、トットちゃんの話を4時間も聞くというエピソードが物語の冒頭にありますが、トットちゃんのママもなかなかのものです。
朝の忙しい時間にトットちゃんは定期券を飼い犬の首にかけるということがありました。見ていたママは、様子を見ることにします。
これは、なかなかできないことです。教師である私でもできないかもしれません。
「定期券は、大切な物ですっ」と頭ごなしに言われ、納得できないという顔をした子どもが目に浮かびます。
でも、いつもそうするのは無理でも、10回に1回だけでも子どもに委ねる時間を作ってあげたら、将来の成長は大きく違ってくるでしょう。
古くて新しい。トモエ学園の教育の素晴らしさ
『窓ぎわのトットちゃん』の舞台は、小林宗作先生の作ったトモエ学園です。
トモエ学園はとても風変わりな学校で、子どもたちは、校庭に置かれた電車の教室の中で学習します。席は毎日自由。学校に来た時の気分で選びます。
そして、黒板には朝のうちに今日の課題が全て書かれ、「さあ、どれでも、好きなものから始めてください」という具合です。教室では、作文を書いている後ろで、アルコールランプに火をつけて何か実験しているなんていう光景は当たり前だったようです。
とても楽しそうです。私もこの学校に通いたいですし、できれば教師としても参加したいです。教育観が180度変わるかもしれません。
教育について少しでも興味のある方はピンっと来たかもしれませんが、このトモエ学園の取り組みは、いま話題のモンテッソーリ教育やイエナプラン教育に似ています。
どちらも、子どもの個性を尊重し、主体性を育み、自己肯定感や自己有用感を育てるものとされており、幸せの形が多様化してきた現代において、注目されている教育理論です。
そして、最近話題のモンテッソーリもイエナプランも、どちらもとても古い歴史があるものです。モンテッソーリは、イタリアのマリア・モンテッソーリが100年以上前に考案したものですし、イエナプランも100年近い歴史があります。
小林先生が80年以上前にトモエで子どもたちに施した教育も、「古く、そして、新しいものだ」と感じました。
21世紀を生きる子どもたちには、主体性や自己肯定感といった「非認知能力」を育成することが重要だとされてきています。
従来重要視されてきた、偏差値や点数で表される「認知能力」をのばすだけでは、幸せになれない、とわかってきているのです。
トモエ学園の「子どもに任せて、結果で伝える」という教育方針は、非認知能力を高めるために大きく役に立っているように感じました。
ただし、これは子どもにとっても大人にとっても、甘いものではありません。
例えば、トットちゃんは学芸会の練習で自分本位に映る行動を繰り返してしまい、本番は出演できませんでした。
これは、今の公立学校の教育ではあまりないことです。
反省をさせた上で、本番には出すようにしなければ、問題になってしまうからです。
安易にトモエの教育と現代教育を比べると、「トモエ学園のようなら……」と考えてしまいがちです。
でも、その状況を自分が保護者として受け入れられそうか、ということも少し考えてみると、よりトモエの素晴らしさ、またそれを見守る大人の強さを感じることができるのではないでしょうか。