養子で歌手・川嶋あい「絆は血より時間」養親・実母の死を超えて挑み続けた“レジリエンス力”

養子当事者・川嶋あい(シンガーソングライター)インタビュー【3/3】~つながり続ける命のバトン~

シンガーソングライター:川嶋 あい

育ての母の葬儀後 生みの母を探して

16歳にして養父母を亡くし、天涯孤独となった川嶋あいさん。3歳で児童養護施設から川島家に引き取られたあとは、歌手になることを応援してくれる母のために青春のすべてを音楽に注ぎました。

やがて、人々の心に長く響く名曲の数々を生み出していくことになりますが、それまでには過酷ともいえる出来事の数々に見舞われます。

「12歳のときに、突然自分が養子であることを知ってから、16歳で育ての母を亡くすまで、自分の生い立ちについて、あまり考えることはありませんでした。育ての母に聞くことはできたのかもしれませんが、聞くことで悲しませてしまうような気がして。

また、考える暇もないくらいに育ての母が濃すぎる愛情を注いでくれましたので、さびしいと感じることは全くありませんでした」

しかし、育ての母の葬儀のあと川嶋さんは生みの親を探し始めました。それは、どうしようもない孤独感からの衝動だったといいます。

「当時やっていた路上ライブをサポートしてくれた仲間が、今の所属事務所のスタッフです。そのスタッフたちと一緒に生みの親を見つけようと福岡市中の区役所を回りました。

そして、翌日には生みの母も、もうこの世にはいないことが判明したんです。少しは予想していましたが、やはりかなりショックで。そのあとは育った養護施設も訪ねて、そのころのことをうかがったりもしました」

そして翌年の春には、育ての母親との約束だった1000回の路上ライブを達成。その後、彼女は生みの母親の素性を知ることになります。

今の事務所スタッフとの出会いのきっかけとなった渋谷駅前でのストリートライブ。高校生のころ。  提供:つばさレコーズ
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「ちょうど福岡に行っていたときに、養護施設の先生経由で生みの母の親友だったという方に急に会えることになりました。もう、どんなステージよりも緊張したのを覚えています。

その方は私を見るなり泣いてしまい、その後も泣きながら生みの母の話をしてくれました。私がおなかにいることがわかったときに生みの母がどんな心境だったのかなど、こと細かく教えてくださいました」

海外での学校建設など、さまざまなチャリティ活動も精力的に行っている川嶋さん。  写真:柏原力

生みの母の思いを知った 「愛」の名は生みの母が命名

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