養子で歌手・川嶋あい「絆は血より時間」養親・実母の死を超えて挑み続けた“レジリエンス力”

養子当事者・川嶋あい(シンガーソングライター)インタビュー【3/3】~つながり続ける命のバトン~

シンガーソングライター:川嶋 あい

出産を楽しみにしていた生みの母

「なかでも印象的だったのが、妊娠中に生みの母が親友に送った手紙です。『“愛”っていう名前にしようと思っている』と書いてあり、生みの母が命名してくれたのだと初めて知りました。

そして、何よりうれしかったのが、手紙の文章から生みの母のルンルンしてる気持ちが読みとれたんです。私を生むことを楽しみにしていたのだという思いが伝わってきました。

このときまでは、生みの母は生後すぐに私と離れたことをどう思っていたのだろう? 私は望まれて生まれてきたのだろうか? ということばかりを考えてしまっていました。でも、その手紙を見て、親友の話を聞いて、うれしい気持ちや安堵感、生みの母への感謝の気持ちが自然とわいてきました」

生みの母親、育ての母親、そして16歳から現在まで支え続けてくれている事務所のスタッフ。そこには意外な共通点があると川嶋さんは続けます。

「親友の方いわく、生みの母は学校イチ豪快な女性だったそうです。豪快さを感じられるエピソードをたくさん聞かせてもらいました。

これは今になって気づいたことなんですが、育ての母もとても豪快な人だったんです。そして16歳で天涯孤独になったときから私を支え続けてくれている事務所の社長もすごく豪快な人です!

偶然ではあると思いますが、そういう豪快な人たちが私の“命のバトン”をつなぎ続けてくれているって、ちょっと運命的なものを感じずにはいられないなって思うところもありますね」

家族を持つなら 親になるとしたら

豪快な人たちに見守られ、“命のバトン”をつないでもらったと語る川嶋さん。この先、もし家族をもち、自身が親になることがあるとしたら、どのようなイメージを描くのだろうか。

「私を支えてくれた人たちのように、豪快になれるかは自信がありません(笑)。でも、子どもとは毎日一緒にいて楽しく笑い合って過ごしたいです。

私と母がそうだったように遠慮することなく、互いのありのままを出し切って生活していきたい。

子どもには自分の道をしっかり歩んで自立してほしいですが、親として夢へのサポートを全力でしたいです。育ての父母や事務所の社長が私にしてくれたように、全力で支えてあげられる存在になりたいです」

学校建設をしたカンボジアを訪問。子どもたちと一緒に校歌を歌った。  提供:つばさレコーズ
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カンボジアの子どもたちに教科書をプレンゼントし一緒に桜の花を植樹した。  提供:つばさレコーズ

川嶋さんの代表曲『旅立ちの日に…』は2006年にリリースされましたが、20年近く経った今も多くの人の心を支えています。実はこの曲を作ったのは、彼女が中学3年生のとき。

「自分の中学卒業のタイミングに、当時の気持ちを重ねて作った曲です。この曲は母が一番好きだった曲なんです。

作ったときに聞かせたら『いい歌だねえ』と喜んでくれたのを今でも覚えています。路上ライブで歌ったことを話したときも、『みんな喜んでくれたやろ』って話していました」

卒業を迎える子どもたちの等身大の気持ちが温かい言葉で紡がれているこの曲は、今も多くの卒業式で歌われています。なかでも、川嶋さんにとって忘れられないエピソードがあるそうです。

「東日本大震災の発生直後、宮城県南三陸町の戸倉小学校の6年生の子どもたちは津波から逃れるために学校の裏山に避難していました。

夜になって寒さが増してきたころ、歌って気持ちだけでも温めようという案が出て、そのときに歌ってくれたのがこの曲だったんです。ちょうど卒業式で歌う予定で合唱の練習をしていたそうです。

その話を震災の1週間後に聞いて、支援物資をもって現地に駆けつけました。そのときに、子どもたちから一緒に歌ってくれませんかと言ってもらえて、みんなで歌いました」

卒業式では子どもと一緒に熱唱

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