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遺族当事者が中心でグリーフケア
家族との死別など、人生の中で起きる喪失から引き起こされる「悲嘆(グリーフ)」に苦しむ人たちに寄り添い、支えることを「グリーフケア」と呼びます。うみそらでも、子どもが亡くなった遺族のグリーフケアにも取り組んでいます。
中心となってグリーフケアの活動を続けるのは、2013年に次男の航平くんを小児脳幹部グリオーマで亡くした杉山真紀さんです。杉山さんは自身の経験から、遺族同士がゆるやかにつながれる場になるようにと、年に数回、うみそらで「グリーフカフェ」を開催しています。
「我が子を亡くし、悲嘆に苦しむ親たちは、複雑な思いを誰にも言えず、心の居場所を失ってしまいます。せめて当事者同士でつながることで、少しでも安らぎを感じてもらえたら」と杉山さんは話します。
グリーフカフェでは、お茶会や工作ワークショップ、クリスマスコンサートなどを通じて、子を亡くした親同士が時間を共有してきました。本多さんの「きょうだい児ケア」同様、杉山さんも、会合にはイベントの要素を取り入れつつ、細部は参加者間のコミュニケーションに預けるようにしてきました。
しかしうみそらが3周年を迎え、グリーフカフェの運用を再考する必要が出てきました。
これまでは、うみそらの利用実績に関係なく、子を亡くした遺族を「カフェ」の参加対象としてきましたが、うみそらの年間利用者数(のべ人数)が1000人近くなり、利用後に子どもが亡くなるケースが増えました。
そのため施設利用時から続く「一連のケア」として、グリーフケアを位置付ける必要がある、という議論が、スタッフ間で始まりました。
杉山さんは、揺れる思いを語ります。
「利用者が増えるごとに、利用者家族へのさまざまなケアが必要になるものですね。一方で、施設見学に来て、『我が子を亡くしました』とお話される方や、ボランティア登録者の中に『子どもを亡くしたので何かやりたい』という方もいます。
これまで同様、そういう方々にも『こんな会がありますよ』とお声がけできる場でありたいと思うんです」
4年目に入ったうみそらでは、グリーフケアの運用だけではなく、利用者家族を多面的にサポートする体制など、さまざまな変化が求められています。1月末のスタッフミーティングでは、こんな会話が交わされたそうです。
「利用者が100人いたら、こちらの支えかたも100通りになるよねって。個々のご家族のニーズに応じて『こうしたらいいのかな』と考え続け、柔軟に対応していこう、それが医療機関とは違う自分たちの強みだね、という話をしました」
杉山さんが取り組むうみそらのグリーフケアも、ニーズに応じて変化していくのでしょう。
取材・文/浜田奈美
浜田 奈美
1969年、さいたま市出身。埼玉県立浦和第一女子高校を経て早稲田大学教育学部卒業ののち、1993年2月に朝日新聞に入社。 大阪運動部(現スポーツ部)を振り出しに、高知支局や大阪社会部、アエラ編集部、東京本社文化部などで記者として勤務。勤続30年を迎えた2023年3月に退社後、フリーライターとして活動。 2024年5月、国内では2例目となる“コミュニティー型”のこどもホスピス「うみとそらのおうち」(横浜市金沢区)に密着取材したノンフィクション『最後の花火』(朝日新聞出版)を刊行した。
1969年、さいたま市出身。埼玉県立浦和第一女子高校を経て早稲田大学教育学部卒業ののち、1993年2月に朝日新聞に入社。 大阪運動部(現スポーツ部)を振り出しに、高知支局や大阪社会部、アエラ編集部、東京本社文化部などで記者として勤務。勤続30年を迎えた2023年3月に退社後、フリーライターとして活動。 2024年5月、国内では2例目となる“コミュニティー型”のこどもホスピス「うみとそらのおうち」(横浜市金沢区)に密着取材したノンフィクション『最後の花火』(朝日新聞出版)を刊行した。