コロナ禍の「子ども食堂」 大学生や地域のつながりも救ったスゴいアイデアとは
子どもの居場所 ルポルタージュ #1-2 千葉県「TSUGAnoわこども食堂」コロナ禍でのつながり方
2022.07.02
ジャーナリスト:なかの かおり
ジャーナリスト・なかのかおりさんによる、“子どもの居場所”についてのルポルタージュ連載。
1回目では千葉県「TSUGAnoわこども食堂」の誕生とそこから生まれたコミュニティについての物語でした。
2回目は、代表の田中照美さんが、コロナ禍でどのように子どもたちとつながりを保ってきたのか、詳しく伺いました。
休校期間中、急遽「臨時給食室」を開くことに
2020年2月末、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、政府から突然の休校要請が出されました。千葉市は3月3日からの休校が決定。
そこで「TSUGAnoわこども食堂」代表の田中照美さんは、子ども食堂で“臨時給食室”を開くと決め、2月28日、小学校と中学校にお知らせのチラシを持っていきました。
「このチラシは、児童へ配布するほどの枚数を準備できませんでした。先生方に対して、地域の受け皿があることをお知らせして、心配な子どもたちをTSUGAnoわこども食堂につなげてほしいとお願いに行ったのです。
なぜなら、給食が2週間もカットされて、困る子や、お留守番がしんどい子が絶対出てくるだろうと思ったんです。
いつもは、週1回のカフェと月1回の子ども食堂を開いていましたが、休校中の平日の昼間に、緊急で昼ご飯と居場所を提供することに。
最初の参加は、小中学生が十数人。ですが、右肩上がりに増えていきました。学校の先生にも、休校中にここでお弁当を配っていることを伝えてもらい、当時の小学校の校長先生は、自ら子ども食堂へいらっしゃいましたよ。当時は、先生方と連携して、地域の子どもたちの安全を守れたと思っています」(田中さん)
大学生も救われたオンラインクラスルーム
休校から続いた春休みも、子ども食堂とカフェに使っている居場所を開放し、簡単な昼ご飯を無料で提供しました。
当時、高校生や大学生も同じように、居場所をなくしていて、ボランティアとして参加してもらっていました。
ところが、2020年4月に初めての緊急事態宣言が。休校も延長されて、公的な機関もクローズ。本格的な自粛生活が始まりました。
教育現場のとまどいも大きく、学校と子どもとのつながりもなくなり、学びも止まりました。このとき、田中さんは、まずオンラインでつながりを持とうと考えました。
「このころは2ヵ月ほど、子ども食堂もカフェも閉めていました。保護者が働かざるを得なくて、子どもだけで過ごすのが心配な家庭には、子ども食堂に寄付されたパントリーの食材を持って家庭訪問しながら、子どもを見守りました。
さらに、みんなとのつながりを作るために、オンラインクラスルームを開くことにしたんです。土日を除く平日、午前2コマと午後2コマ。大学生が各グループに入って、質問があれば答えてくれるという、オンライン自習室のような形です。
この試みは、結果として孤立していた大学生を救うことにもなりました。大学はオンライン授業だし、バイトがなくなって食べるものがない、生理用品も買えない、という学生がいる状態でした。
国立大は支援金がありましたが、私学は救済措置がない。そうした報道を知った方から、大学生を支援したいと多額の寄付をいただいたんです」(田中さん)
田中さんがSNSで呼びかけると、市内の私立大学の学生が集まり、3日で30人に! 大学生たちは各自、自分の部屋から参加し、子どもたちの人気者になりました。
彼らへのアルバイト代は、寄付から支払いました。大学生もやりがいを持てて、アルバイトにもなり、お互いにいい関係が築けたと思います。
「自宅に親がいて特に心配がない子も、学校がなく友達に会えなくて、人と関わることに飢えていたのでしょうね。オンラインクラスが終わるときは、泣いたり、画面越しにメッセージカードを見せたり、先生と一緒にスクショしたりして別れを惜しんでいました」(田中さん)
分室やパントリーで見守り続ける
もちろんなかには、インターネット環境や保護者のサポートがなく、オンラインに参加できない子もいました。居場所が閉まったままでは困ってしまう、そうした子のため、田中さんの自宅のツリーハウスを分室として、開けている期間もありました。
「心配な子は、私たちがシェアパントリーと呼ぶ食材のお届けのときに、状況を把握していたので、居場所を閉めることに不安は感じませんでした。
これまでに家族で感染した家庭を支援したこともあります。“地域の子は地域で育てる”という思いをみんなで共有していて、地域の方からの支援は途切れませんでした。
休校が延長された2020年5月には、地域の個人経営の飲食店からテイクアウトメニューを買い取り、それを配りました。子どもや保護者だけでなく、飲食店や自分たちにもエールを送りたかったんです」(田中さん)