
安青錦関と同時期に避難した“在日ウクライナ人女性”がプラネタリウムで解説! 戦禍を逃れ笑顔を取り戻すまで
ウクライナのプラネタリウム解説員・オレナさんインタビュー第1回/全2回 ~母国から日本へ~ (3/3) 1ページ目に戻る
2026.01.17
フリーライター:浜田 奈美
夫妻が来日してまず始めたことは、仕事探しです。日本のプログラムの一環で、ミハイロさんは工場で職を得ることができましたが、オレナさんは「ウクライナでもやっていたプラネタリウム解説員として働けないだろうか」と思い、宇宙航空研究開発機構(JAXA/ジャクサ)のお問い合わせフォームから、自己紹介と経歴を送りました。
「私はウクライナから避難してきたオレナ・ゼムリヤチェンコです。ウクライナでは、プラネタリウム解説員として働いていました。できることなら、日本でもプラネタリウムで働きたいと考えています」
このことを知ったJAXA宇宙科学研究所の職員だった大川拓也さんが、全国のプラネタリウム関係者に情報を共有し、「プラネタリウム業界での受け入れや、何か支援ができませんか」と呼びかけました。
この声に、まず首都圏のプラネタリウム関係者が反応し、オレナさんを施設に招待して投影イベントを企画しました。徐々にその輪は広がり、2023年6月に岡山県で開催された「全国プラネタリウム大会」では、オレナさんも招待されました。
そしてここに集まったプラネタリウム関係者に改めて協力を呼びかけ、大川さんら7人が発起人となり、解説員としてのオレナさんを支える活動「One Sky for All」(ワン・スカイ・フォー・オール)が始まりました。
すると「うちにもぜひ」という声が続々とあがり、各地のプラネタリウムやプラネタリウムに類する施設に招かれ、プラネタリウム解説員としての仕事が、少しずつ軌道に乗るようになったそうです。
「One Sky for All」の発起人の一人である川崎市多摩区の「かわさき宙(そら)と緑の科学館」職員の田中里佳さんも、プラネタリウム解説員の仲間としてオレナさんに伴走してきました。同科学館ではこれまで2回、オレナさんを招いた投影イベントを開催したほか、オレナさんが長野県や長崎県など地方のイベントに招かれる際にたびたび同行し、案内役を務めてきました。
田中さんが2022年夏に都内でオレナさんと初めて会った際には少し不安そうな印象を受けたそうですが、同年秋に「科学館」を夫婦で訪れたオレナさんを「プラネタリウムの解説台」に案内すると、「オレナさんの表情がぱっと明るくなりました」と田中さん。慣れ親しんだ仕事への意欲が、心を明るく照らしたのでしょうか。
田中さんは「オレナさんが母国に戻る日まで、自分にできる限り、支え続けたい」と言葉に力を込めます。オレナさんはこの活動に「深く感謝している」と話します。
「One Sky for All」のサポートを得て、日本各地でプラネタリウム解説員として働くオレナさん。感謝の思いを、こう語ります。
「皆さんのおかげで、私はこの日本で自分らしく暮らせていると思います。彼らへの恩返しに私ができることは、プラネタリウムに来てくれた方々に『おもしろかった。また来よう』と思ってもらえる仕事をすることだと思います」
─・─・─・─・─
次回はウクライナと日本の「子ども時代」のギャップのことなど、オレナさんに話を聞きます。
取材・文/浜田奈美
全2回の1回目
※2026年1月18日よりリンク有効
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浜田 奈美
1969年、さいたま市出身。埼玉県立浦和第一女子高校を経て早稲田大学教育学部卒業ののち、1993年2月に朝日新聞に入社。 大阪運動部(現スポーツ部)を振り出しに、高知支局や大阪社会部、アエラ編集部、東京本社文化部などで記者として勤務。勤続30年を迎えた2023年3月に退社後、フリーライターとして活動。 2024年5月、国内では2例目となる“コミュニティー型”のこどもホスピス「うみとそらのおうち」(横浜市金沢区)に密着取材したノンフィクション『最後の花火』(朝日新聞出版)を刊行した。
1969年、さいたま市出身。埼玉県立浦和第一女子高校を経て早稲田大学教育学部卒業ののち、1993年2月に朝日新聞に入社。 大阪運動部(現スポーツ部)を振り出しに、高知支局や大阪社会部、アエラ編集部、東京本社文化部などで記者として勤務。勤続30年を迎えた2023年3月に退社後、フリーライターとして活動。 2024年5月、国内では2例目となる“コミュニティー型”のこどもホスピス「うみとそらのおうち」(横浜市金沢区)に密着取材したノンフィクション『最後の花火』(朝日新聞出版)を刊行した。