【WEBげんき連載】わたしが子どもだったころ
「この人の親って、どんな人なんだろう」
「この人は、どんなふうに育ってきたんだろう」
今現在、活躍する著名人たちの、自身の幼少期~子ども時代の思い出や、子ども時代に印象に残っていること、そして、幼少期に「育児された側」として親へはどんな思いを持っていたのか、ひとかどの人物の親とは、いったいどんな存在なのか……。
そんな著名人の子ども時代や、親との関わり方、育ち方などを思い出とともにインタビューする連載です。
今回は、弁護士であり元エリート官僚、コメンテーターとしても活躍し、先日出産育児のため、一定期間の休養に入られた山口真由さんの後編です。
社会に出たとき、私は決して優秀なほうではなかった
学生時代の私は、自分はすごく優れている人間だと思っていました。成績は全て「優」でしたし。なぜまわりは「良」なんて取るんだろう? と不思議に思っていたぐらい。ところが財務省に入ってみると、私は仕事ができるほうでは全くなかったんです。それを認めるのがあまりにもツラくて……。私は小さいときも、コンピューターゲームをやっていて負けそうになると、その前にリセットする癖があったんですね。同じように、仕事もリセットした。最終的な勝敗がつく前に、わずか2年で財務省を辞めてしまったんです。
ただ幸いなことに私は弁護士資格を取得していましたから、退職後は弁護士になることができました。ところがこちらも……。弁護士になった初期のころは、私の評価は良かったんですよ。なぜなら最初は、リサーチなど勉強に近い作業が主だから。それが勤めが長くなっていくにつれて、自分で考えて決断したり、後輩のマネージメントをしたり、といったことが増えていく。そうなると私の評価はどんどん下がっていったんです。そして、学生時代は自分より勉強ができなかった同期たちが、どんどん私より高いところへ上がっていく。これは、思っている以上にきついことでした。
大事なのは自分の能力に仕事を近づけていくこと
今になると、分かるんですよ。全てのことの出来不出来というのは、つまりはどの物差しで測るか、の問題だということが。私は学生時代は、自分が極めて得意なゲームを戦っていただけ。だけど社会に出ると、少ないインプットでどんどんアウトプットしていかなければいけない。そういう自分が苦手なルールの下でやっていかなければならなくなったときに、自分は優れた人間なんかではなくて劣った人間だったんだ、と打ちのめされてしまったわけです。
でも実際は、私の能力というのは全く変わっていなくて、ただ戦うゲームが変わっただけ。だからもし、学生時代は優秀だったけど社会に出た後に通用せず苦しんだ、ということがあれば、自分は本当はダメな人間なんだと卑下する必要はないと思っていて。それよりも、自分の能力はどういうものか把握して、その能力を発揮できる仕事を見つけていく、ということができれば何の問題もない。「これがダメなら次はこれ」と、自分の居場所が見つかるまで可能性の扉を開き続ければいいと思います。実際、今は転職も増えていますし、そういう社会になってきていると思います。でも私が社会人になった15年ぐらい前までは、まだまだ終身雇用の考え方が根強かったので、それはそれはツラかったんですよね。
もう少し失敗経験を積めていれば違ったのかも
でも良いんですよ。失敗を繰り返してみて分かったのは、取り返しのつかない失敗っていうのは実際のところはそんなになくて、人生は何とかなるのかな、ということでした。何より大人になって失敗をしたことで、私は人間としては丸くなることができました。大学を卒業したころの私は、けっこうまわりから嫌われていたんですね。いつも得意満面だったし、自分が圧倒的に優れていてまわりは自分を中心に仕事をすべき、と思っているような人間でしたから。でも今は、人の求めるものを嗅ぎ取る感度がかなり高くなったと思うので、前よりははるかに人として成熟したかな、と思っています。