活況を呈した「超百科」シリーズ
とはいえ、ここまでのハイペースぶりは、稀に見る出版好況期であった1990年代でも珍しいケースといえよう。3巻目となる『ウルトラセブン超百科』が発売された翌月、9月10日には、もう『全ウルトラ怪獣超百科』が発刊されている。
この怪獣図鑑の決定版を企画した理由は、「ウルトラマンシリーズ」においてはヒーローのみならず、怪獣も児童層に強くアピールしているという状況を想定したからである。ウルトラ怪獣のパワーはそんな予想通りに強かった。
『ウルトラQ』
児童層をメインターゲットにすえた出版物においては、ヒーローが登場しないシリーズは、たとえ「ウルトラ」の冠があっても、その扱い方が難しいという認識があったのである。
1990年の春に公開された劇場映画、円谷映像が幹事となって制作した『ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説』は、本誌の記事として特集してはいるが、それはイレギュラーな話題作という認識での掲載であり、円谷プロダクションが版権を管理するテレビシリーズの『ウルトラQ』については、当面は扱わない方向に落ち着いていく。
とはいえ、『ウルトラマンタロウ』の怪獣として『ウルトラマン物語』に登場したジュダとグランドキングを紹介するなど、詳細さをウリとする編集方針は継続されており、1990年当時の最新ヒーロー、『ウルトラマンG(グレート)』に登場する怪獣を紹介することにより、この時点での「決定版」になったことは間違いのない事実である。ただし、発売時期の関係からシリーズ後半の怪獣については詳細を紹介できないこととなり、第7話以降の怪獣については一部のみの掲載となっている。
大胆な手法で、表紙を刷新!
1990年から1991年の「テレビマガジン」は、本誌記事の展開用に『ウルトラマンG』の内容を再現するロケーションによる特写会を2回、ウルトラヒーローを集合させる写真スタジオでの特写会を3回ほど挙行している。
これは、1990年の夏にウルトラマンとセブン、帰ってきたウルトラマン、タロウに講談社スタジオに集まってもらって大島康嗣カメラマンが撮影した特写スチールの一枚で、カバーと表紙に放送当時のウルトラマンのスチールを使用していないのは、これが初のケースとなる。
その理由は、年長の読者を考慮する内容であっても主要読者が児童層である限り、本の顔であるカバーの写真はスーツの状態を含め、なるべくクリアなものが望ましいという当時のテレビマガジン編集長の意図によるものであった。
そう決まると思い切ったもので、担当者はオレンジの照明を強調する効果を施した一枚をカバー用のスチールに選んだ。「超百科」のなかでもイレギュラーといえるスタジオの背景を生かした多分にアダルト指向のレイアウト処理を行っているのである。
『帰ってきたウルトラマン』の呼称問題
それは、『帰ってきたウルトラマン』という番組における主役ヒーローは、劇中においてはあくまでも「ウルトラマン」としか呼ばれていないからである。ウルトラマンジャックという名は、そもそも『ウルトラマンタロウ』の企画時のタイトル及び、ヒーロー名であり、1984年の劇場用映画、『ウルトラマンZOFFY』において差別化のためにその名称を活用、「帰マン」をジャックと呼ぶようになったのだ。
以降は、児童書を中心にウルトラマンジャックの名は、徐々に浸透していくことになるのだが、1990年代は「帰マン」、あるいは「新マン」という表記が並行して採用されるケースがまだまだ多かったのである。
テレビマガジン編集部
日本初の児童向けテレビ情報誌。1971年11月創刊で、仮面ライダーとともに誕生しました。 記事情報と付録の詳細は、YouTubeの『テレビマガジン 公式動画チャンネル』で配信中。講談社発行の幼年・児童・少年・少女向け雑誌の中では、『なかよし』『たのしい幼稚園』『週刊少年マガジン』『別冊フレンド』に次いで歴史が長い雑誌です。 【SNS】 X(旧Twitter):@tele_maga Instagram:@tele_maga
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